ひめきち、5歳になる

2017年12月10日。夜中3時。あれ?お腹下した?と思って10分おきにトイレに向かったけど出る訳もなく。横で落ち着かない娘を見た母に「何してんの?」と尋ねられた。なんかお腹下したのか、痛いんだよねさっきから、と伝えたら「いやいやいやいやいやそれ陣痛だから!!!何分おきなのいま!!!」と盛大にツッコミを入れられたのももう5年前のことなのかと思うと感慨深いやら恐ろしいやら。

出産のタイミングで夫が傍にいられない可能性が高いから、という理由で出産予定日直前は実家に帰っていた。「12月全部仕事の調整できたんだけど、どうしても10日だけはやらなきゃいけない仕事が出来てしまったので早く終わらせるつもりだけど、10日に産まないように頑張って!!赤ちゃんもこの日出てきちゃダメだよ〜!(お腹に向かって叫んでた)」と無理難題なうえにフラグでしかない台詞を吐いた夫。この辺のフラグ回収技術の高さは今考えれば娘らしい。

昼頃にはまだまだヘラヘラ笑えてたわたしの陣痛レベル。その頃に一瞬、本当に一瞬だけ顔を出してまた「もうひとつの仕事片付けたらおしまいだからね!ごめんね!!」とε≡≡( ˙꒳˙)/シュタタタタくらいの勢いで去った夫。その時とは比べ物にならないレベルに泣き叫んでる妻に再会するのはその4時間後。わたしの母と交代して付き添うことになるが予想外の姿に恐慄いていた。夫、ごめんな。あの時夕食で出された病院食チキン南蛮のおかげでわたしはいまでもチキン南蛮を食べるとフラッシュバックして腹痛が起きるのであれ以来食べられなくなった。痛いですぅぅぅぅと伝えたが「ご飯食べないとお産進まないから…」って助産師さんに言われたけど食えない。はいよってぱぱきちに食事介助されたけど食えませんって伝えたら自分で食ってた。食うんかい。

まあそこから何やかんやあってその6時間後。日付をまたいでやっとこ出てきたのが、わたしの娘ひめきち。元気よくつば九郎グラムで爆誕。あまりの疲労で感動とかそういうのぶっとびで「終わった…」しか言えなかった。陣痛時間22時間越え。退院の時「大丈夫、次は半分になるからね!」って微笑まれたけどいや半分も10時間越えてますやん…とは言えなかった。

あれから5年。産まれ方も自由そのものだった娘ひめきち。生き様も自由。なんか楽しそうだねってよく言われてる。ありがたいことに。「なんか」が気になるけど。大きな病気もなく元気に育ってくれてありがとう。母もやっと「母5歳」になりました。

ひめきちを産んだ後、流産を3回してなかなか兄弟を授かることができなかったけど、それでも3回目に後期流産した弟の小さな骨壷を抱きしめたり、お菓子を買うと「○○くんの分も」と言ってちっちゃな駄菓子を買おうとしたり(のちに自分のものになることを計算しているのかもしれないけど気づかないことにしておこう)、本人なりにちゃんと「お姉ちゃん」になろうとしてるのが嬉しいような切ないような。

去年の年末、子授かりの神社にお参りに行った時、疲れてるだろうに必死に歩いてお願いしてくれて「ママ、お腹に赤ちゃん来るよ、もうちょっとかかるけど!」と慰めてくれたり。とっても優しいお姉ちゃんに成長しました。

勝負事に負けると泣いて悔しがって手つけられなくなるし、ワガママ言うし、食事中は踊るなって何回言っても言う事聞かずに踊って飲み物こぼしたり(Everyday)するけども可愛い可愛いわたしの宝物は本当に素敵に大きくなったよ。

これからもよろしくね。ママもパパも頑張るよ。
お誕生日おめでとう。

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