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日和見たちのご機嫌伺い〜つぶやき〜

総裁選を見ながら、あるお医者様のお話を思い浮かべました。
腸内環境の菌の話。
善玉菌 悪玉菌っていますよね。善悪ってはっきり言うのが面白いなと思いますが。

菌の割合は、善玉菌2割  悪玉菌1割  残りの7割は「日和見菌」と言うのだそうです。日和見菌たちは善玉が強ければ善玉寄りになり、悪玉菌が強ければ悪玉寄りになるそうで・・
じゃあ、悪玉を取り除けば良いじゃないか!という単純なことではなく、悪玉を取り除くと善玉がうまく働かなくなるらしい。君たち付き合ってたのっ・・と突っ込みたくなりますが(笑

ふむ〜〜私の意思に関係なく、体の中でもこう言う決議が行われているのか・・と不可解に思ったのだが

世の中の善悪や、決まり事は真実や本質ではなく、日和見たちの多さで決まるのが、宇宙のシステムなのであろうか。
総裁選ではそう見えた。右行ったり左行ったり・・見ている側はがっかりだ。

悪玉にも善玉にも加担する日和見たちのご機嫌を取るのは中々の至難だと思うが、日和見たちのご機嫌を損ねては、数の論理には戦えないことは確か。
悪玉に加担したとしたならば、下痢や腹痛とか起きてしまうわけで、それも自己治癒力が働らく身体でなければ、衰弱していく一方。

世の中、真理の問題ではなく、悪も善も人間が作り出す。戦争中は人殺しも悪とはされない。善悪は期間限定品か、と単純化するわけではないが、難ありの品であっても、大体数が良いと認めれば良いとなってしまう。洗脳や情報操作が行われてないことを祈る。

悪があるから善がわかり、善があるから悪が見える。どちらも役割ということなのだろうか。比較の中から優越、良し悪しが生まれる。
数ではなく、日和見たちのご機嫌次第ではなく
人の心にそれぞれに訴えかける「唯一共通」のものって何だろう。
抑えようがなく、「心が揺らされる」というものは何だろう。

自分の中に揺れる感覚を頼りに生きていると、浮世離れしているとか、変人とも言われかねないが
私の外側に、私の答えが無いことは確か。私の問題は私ししか扱えず、私しか解決できず、私しか決められないはず。
そうは言っても、一人ぼっちではそんなエネルギーも枯れていく。だから一人にならない様に周りにも合わせるし、頼るし、数の論理に乗っかることもある。
けどね、ギリギリのところで、自分の名誉は守りたい。

そんな事を思う今日この頃であった





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