四国歩き遍路の記憶#027 25日目 2006.3.19 44番
こんにちは。
四国遍路の整理に挑戦中 とっつーです。
この日の日記をデータ化していたら、現実でも冷え込みがきました…こんなリンクは起こさなくていいのだよ (´;ω;`)ウッ…
2006/3/19(日)の概要
天気:晴 7.6℃/-1.4℃
札所:44.大宝寺
移動:徒歩31km
宿泊:やすらぎの宿でんこ(民宿)
起床:5:45 就寝:22:00
支出:6742円 収入:300円
久々に真面目に歩きます。
7:00~18:00 歩き遍路
四国の3月でも、高原は寒いです。
熊本からの救護隊
バス停から話し声が聞こえるので覗いてみると、体調不良で点滴した歩き遍路さんでした!昨日は一日休んだそうです。一緒に進むことにします。
と、なんとご両親が登場!!熊本から車を飛ばしてきたようでした。遍路道が2ルートに分かれているところだったのですが、分岐点でお父様が「こっちだ!」と思ったのだそうです。父のカン、素晴らしいです。私の両親は、回復したと分かったら絶対来ないなぁ…(-_-;)
しばらく話し込んでいましたが、遍路続行で話がついたようでご両親は帰っていかれました。
点滴したのは熊本の女子大生。連日一緒なのは東京の社会人男性。同じ女子大生の私は、今日はたまたま一緒なだけ。なんてことは、説明していないのだろうな。私がいなかったら「あの男はなんだ⁉」となって強制終了になりそうな雰囲気でした。(その気持ちも分からなくはない)
ランニング遍路
お遍路さんの中には、時々、走っている方がいます。自転車やバイクではなく、走るのです。歩き遍路の区分に入るのでしょうが…あえて名付けるならランニング遍路でしょうか。トレイルランニングをされる方達らしく、山道も走り抜けます。
この日も、久万高原へと登っていく山中で抜かれました。そして、久万高原に着いたら45番札所から折り返してくる所に遭遇しました。あのスピードだと何日で周れるのか…気になります。(と思って検索してみたら、20日程のようです。車の2倍、歩きの1/2~1/3です。)
札所を打つ
< 44番 管生山 大宝寺 >
久しぶりの札所です。参道の両脇に商店が並び、その間に山門があったのですが…気が付かず、山門の前で一礼するのを忘れてしまいました。
結局、この時にいただいたお線香で、49番まで行けてしまいました。
納経に使った300円は、この日の朝に大瀬で出会ったお婆さんからのお接待です。
太子と大師
太子と書いたら、基本はたいしと読んで、聖徳太子をさします。
大師と書いたら、基本はだいしと読んで、弘法大師をさします。広義には仏や高僧の尊称ですが、狭義には弘法大師です。
太子堂(たいしどう)は聖徳太子が祀られた仏堂。
大師堂(だいしどう)は弘法大師が祀られた仏堂。
四国遍路では、本堂→大師堂→納経所とまわるのがマナーとされています。(納経所が閉まる時間ギリギリの時には、納経所を先にしてもOK)
ただ、大師をたいしと読む例外もあったはずなんですよねぇ…
ううーん(゜.゜)…思い出せたら追記します。
宿:やすらぎの宿でんこ(民宿)
ご主人が1人で切り盛りされている宿でした。チェックインと同時に金剛杖を回収されてしまったのですが、記帳を済ませてから部屋に行ったら、洗って杖立に立ててありました。
★各図の出典★
図1〜図3はネットから図を借用し作成しています。
※1: 「四国遍路」 基本情報|日本遺産ポータルサイト の 詳細(PDF)を加工して作成
※2: 歩き遍路のための「四国遍路」巡礼マップ | 聖地巡礼 四国遍路 | 回遊型巡礼路と独自の巡礼文化 の 一括ダウンロード(PDF)を加工して作成
日記の原文
note記事を利用して手書き日記のデータ化もしているのですが、私的なものをフルオープンもどうかと思い、原文は有料化という鍵をかけています。
自分にしか分からない書き方の部分は、補足を付けてあります。
この日は、明け方に変な夢を見ています。
南米で遍路しているんです。……なんで南米??
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