四国歩き遍路の記憶#026 24日目 2006.3.18 内子町
こんにちは。
四国遍路の整理に挑戦中 とっつーです。
今日は朝から何回もクシャミをしています。
家からは出ていないんですけどねぇ……
2006/3/18(土)の概要
天気:雨 10.9℃/4.0℃
札所:-
移動:徒歩 7km
宿泊:お遍路無料宿(善根宿)
起床:7:30 就寝:21:00
支出:3791円 収入:100円
内子町を観光しただけの日。
連泊せずに 7km進んだのは意地かな。
歩き仲間が元気でホッとする
3/16に明石寺で再会した2人組の歩き遍路さんは、兄妹に見えるのですが、歩き中に意気投合しただけの赤の他人同士です。
前日、女性が体調不良で病院に行ったと聞いて心配していたのですが、起きると回復したという連絡が来ていて一安心しました。
お遍路さんの朝は早い
開館時間を考えて9:30にチェックアウトしたところ…
宿の方が気を揉んでくださるほど、お遍路さんの朝は早いものなのです。
お寺の納経時間が 7:00~17:00 な上に、日没後に歩くのは危険なので朝型になるしかないのですが…夜型人間にはキツイところです。
この納経時間、2006年当時は一律で 7:00~17:00でしたが、山深い場所の中には短くする所も出てきています。2024年4月1日からは 8:00~17:00になるようです。
宗教施設に休日はないとは言え、シフト制を取れないお寺もあるだろうのに1日10時間を365日というほうが異様ですよね…(8-17時でも1日9時間、昼休み無しだけど。)
内子町 = 鏝絵!
伝統的建造物群保存地区の内子町。木蝋で栄えた内子町。でも、私にとっては鏝絵の町 ♪
漆喰で立体的な装飾を施す鏝絵(こてえ)は、江戸時代に芸術の域に達した技術で、古い建物にはチラホラと残されています。それが多く残っている町の1つが内子町です。
内子町:内子座やら 木蠟資料館やら
観光も忘れずに。内子座、商いと暮らしの博物館、木蠟資料館、高橋邸……と覗いて歩きます。
内子座は、大正5年(1916年)に建てられた芝居小屋。老朽化で取壊しも検討されましたが、町並保存地区への指定を機に保存の機運が高まり、昭和60年(1985年)10月に劇場として再出発しています。
木蠟資料館(上芳我邸)は、木蝋製造の中心となった上芳我邸を使った資料館です。木蝋とは、ウルシ科の植物(特にハゼ)の実の油で作る蝋のこと。
建物は重文指定もされています。
内子町は どこもかしこも芳我(はが)さんばかり。それなりに人数が多い町で、どうやって世帯を区別するのか? 気になります。
移動経路
ほとんど移動してなぁぁい…
あははははは (;'∀')
宿:お遍路無料宿(善根宿)
少しでも進もうと 7km 前進して、遍路無料宿という善根宿へ。
かつては農産物の直売所だったらしき建物です。電気が点き、鍵もかかったので、ここに一泊することにします。
現在の遍路地図には載っていないので、もうやっていないようです。
タイムリミットが近づく
サークル行事のため、3/23中には東京に帰り着かねばなりません。帰りのアシは松山まで出てから考えればいっか。と先送りして眠りにつきました。
★各図の出典★
図1〜図3はネットから図を借用し作成しています。
※1: 「四国遍路」 基本情報|日本遺産ポータルサイト の 詳細(PDF)を加工して作成
※2: 歩き遍路のための「四国遍路」巡礼マップ | 聖地巡礼 四国遍路 | 回遊型巡礼路と独自の巡礼文化 の 一括ダウンロード(PDF)を加工して作成
日記の原文
note記事を利用して手書き日記のデータ化もしているのですが、私的なものをフルオープンもどうかと思い、原文は有料化という鍵をかけています。
自分にしか分からない書き方の部分は、補足を付けてあります。
今日の日記は、建築用語ばかり補足説明している……
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