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四国歩き遍路の記憶 #000 旅がはじまる前

こんにちは。とっつーです。

はじめての一人旅を思い出す旅という記事を書いてみて、整理したいけれど先延ばしにしていることはnoteの記事にすると良いのでは?と思いました。
世に発信を始めてしまった以上はやらなければ…という義務感が生まれて面倒になっても続けられそうなのです。

ということで、


宣言!  四国遍路の整理 に挑戦します。

はじめての一人旅を思い出そうと頑張った結果、初一人旅だったと判明した四国遍路。
遍路を始めてから終わるまで17年近くかかった上に一切アウトプットをしてこなかったため、写真も日記もバラバラと点在していて全体像が掴めなくなっています。
長丁場になることが明白で手を付けることを躊躇していたのですが……腹を括くります。

そもそも 四国遍路 とは何か?

一言でいうなら
 四国に点在する88の札所(寺)を辿ること です。

88の札所には便宜上 通し番号が振られています。
基本的なルートと言うのもあります。
が、実は巡る順番や道筋のルールはありません。

移動手段は、全て徒歩/公共交通機関/自転車/バイク/車と多様です。ツアーもあります。人力車の方もいたし…スケボーやキックボードもいるかも。

札所では納経を済ませたら御朱印をいただきます。
主に四国遍路専用の納経帳(朱印帳)を使いますが、白衣や軸にいただく方もいます。いただかない方もいます。

修行僧や修験者もいらっしゃいますし、願掛けや供養のために巡られている方も、レジャーの方もいらっしゃいます。
いろいろな背景や想いがあるのでむやみに踏み込まないというのが遍路中に守るべきマナーの筆頭かもしれません。

そんな感じです。実態はかなりフリーです。
ちゃんとした説明は、多くの方が解説されていたり本も出ていたりしますので、興味のある方は是非ご自身で調べてみてください。


まずは何から書き始めようかなぁ…
あ、そうだ。
なぜ四国遍路をしたのかをまとめておこう。

四国遍路に興味を持ったきっかけ

話は、私の本名が弘法大師・空海にちなんでつけられている、というところからはじまります。
と言っても、弘/空/海といった想像しやすい漢字ではなく、空海が伝えた密教の法具を見て父が閃いた漢字が使われています。

小さい頃(たしか幼稚園?)にこの話を聞いた私は、当然ながら弘法大師・空海が何者なのかを尋ね、その時に四国遍路の存在を知りました。
両親がどんな説明をしてくれたのか詳細は覚えていないのですが、四国遍路がはじまった由来として衛門三郎の伝説を語り聞かせてくれました。
ザックリ書くと↓こんなお話です。

 伊予(愛媛)に、金持ちだが強欲で冷酷な衛門三郎という豪農がいた。
 ある時、みすぼらしい托鉢僧が三郎宅を訪れる。いくら追い払っても懲りずに現れたが、8日目、三郎が托鉢僧の持つ鉢を叩き割ると現れなくなった。
 それ以降、三郎の子供が毎年1人亡くなるという不幸が続き、ついに8人全員が亡くなってしまう。打ちひしがれる三郎の夢枕に僧侶が立ち、三郎はあの托鉢僧が弘法大師であり、自らの振る舞いがこの不幸を招いたと悟る。
 深く悔いた三郎は、謝罪するために弘法大師を追って旅に出るが、20回巡礼しても会えなかった。そこで逆に回ってみた21回目の途中、とうとう病に倒れてしまう。
 その時、目の前に弘法大師が現れ、過ちを詫びる三郎に望みを聞く。三郎は「来世は領主に生まれ、人の役に立ちたい」と言い残して息を引き取り、この願いは叶えられた。

 子供達は関係ないじゃん ⁠ಠ⁠_⁠ಠ
 怒りっぽい、はた迷惑なオジサンじゃん
 なんでそんな人にちなんだ名前にするんだョ 
ಠ⁠益⁠ಠ
と思ったことだけはハッキリと覚えています(笑)

由来はなんであれ、一般人が何十日も歩き続けるという慣習が何百年と続き、現在も行われている。
 なんでそんなことをするんだろう?
 なんで歩くんだろう?

と、子供心に疑問を持ちました。
いくら考えてもさっぱり理解できず、中学の頃には
 これは、やってみるしかないな。
と考えるようになっていました。
ついでにいうと
 遍路するまでは四国に上陸しないぞ
 遍路しながら観光もするぞ

というよく分からない決意も固めていました。

そして「その日」はやってくる

そうは思っても「いつか行こう」で流して過ごしていたのですが、大学生のある時、ぽっかりと空白期間がやってきました。
次学期に向けた To Do が何もない春休み。
所属している部活の次の活動は1ヶ月以上先。
引っ越しを機にバイトを辞め、次は決めていない。

  あ、いまだ。

四国行きを決め、急いで準備をはじめました。


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