バーチャレ in 埼玉 を主催する大谷遼太郎です

改めて。

バーチャレ in 埼玉を主催させていただくトライアスリートの大谷遼太郎です。

EKIDEN NEWS さんに担ぎ上げられてしまった訳ですが笑
そもそもお前誰やねん!っていう声がめちゃくちゃ聞こえてきている(ような気がする)ので、
自分自身の自己紹介を含めて1度Noteに投稿させてもらおうかと思います。

1990年10月18日生まれ

埼玉県浦和市(現さいたま市)出身

埼玉県さいたま市北浦和小学校(競泳)


埼玉県さいたま市本太中学校(バスケ部)


私立浦和実業学園高等学校(駅伝部)


青山学院大学国際政治経済学部(陸上部)


トヨタ紡織(陸上部実業団)3年間在籍


セガサミーホールディングス所属(トライアスロン)

といった経歴です。

物心ついた時から水泳をやっていて、中学校上がるまで割とガチでやっていました。

5年生の時にJO出るくらいガチでやってました。
そん時の練習のきつさと、青学陸上部の練習のきつさはどちらがきついですか?と聞かれたら、間違いなく水泳です。と言うくらいキツかったです。笑

小学校5年生から中学校卒業するまではバスケをやっていて、スラムダンクの世界観に憧れていました。
好きなキャラは三井寿。

山王戦のもう俺にはゴールしか見えねえ、、は
7回は泣きました。

小学校の卒業文集にはバスケで全国大会に出場したい、あれ?優勝したいとか書いてた気がする。笑

そんなバスケっ子だった僕が陸上をするきっかけは、中学校の時に駆り出された駅伝大会!

バスケ部だったんだけど、競泳上がりで心肺機能が強かったことと、バスケ部なのにめちゃくちゃ走っていたからまあまあ長距離速くて。笑

中学2年生の時にさいたま市駅伝大会で1区区間賞をとって、
中学3年生の時にさいたま市に全国大会出た陸上部のやつが二人いて、めちゃくちゃ速かったんだよな〜

(のちに高校時代のライバルになる2人、農大三高の内藤選手、花島選手)

その2人に負けちゃったけど、その駅伝大会でまあまあいい走りが出来て高校からスポーツ推薦がかかって、
陸上の道へ進むことを決めました。
(特待生だったからほとんど親父の強制で。この話はまた今度)

高校は家から片道5kmにある、京浜東北線に乗ってると南浦和駅と蕨駅の間に見える浦和実業高校に通っていました。

今でも覚えていることは、毎年冬の3ヶ月は月間走行距離をチームで競ってて、負けたくないから
リュックサック背負って家から学校までの往復10kmを走って通っていたこと。

同期の渡邉ゆうじがやり始めてから、チームでブームになった気がする。

この練習で強くなったか分からないけど、この経験で強くなったことは確か。

汗でびちゃびちゃのウインドブレーカーを着て、ボロボロのリュックサックを背負って、
弁当箱を一番下に入れて、その上に着替えを入れて箱根駅伝を夢見て走ってた高校生活。

冬の三ヶ月間だったけど、この三ヶ月間が自分の大部分を作った気がするな〜

そうそう、高校2年生の時かな?

浦和駅で本太中学校の1個上の綺麗な先輩にたまたま出会って。(天才てれびくんにも出てたほどの元芸能人)

昔から憧れてた先輩に出会えた嬉しさよりも。

汚ねえ格好して走ってた自分が情けなくて。

先輩はキラキラ輝いて見えてて。

いや、本当はバイトしてた同級生や、髪の毛を伸ばしてる、染めてる同級生が本当に羨ましくて。

彼女作って高校生活を満喫してる周りが羨ましくて。

お前は今、将来の輝くための今を過ごしているんだぞ。
周りと比べるな。

って親父に言われてもどうしても周りと比べて情けなく感じて。

そんな劣等感を抱きながら、箱根駅伝を走ること、実業団に進むこと、オリンピックに出場すること。

これを夢見て高校生活を送っていました。

いま振り返ってみれば、胸張れる高校時代を過ごせていますね、過去の自分に誇りを感じます。

練習のかいもあってか、


二年生から1500mでインターハイに出場することが出来て、
三年生の時には1500m5位、5000m18位を地元の埼玉インターハイで残すことが出来ました。

。。。

いま何らかしらの縁で記事を読んでくれている、中高生の皆様。

僕達大人もみんな、君達と同じような悩みを感じていました。

だからこそ、大会がなくなって悔しい想いをしている気持ちに対して共感しているし、

そのもどかしい気持ちをどうにかしたいと、沢山の人達が動いてくれているんだと思います。

これって、僕らが学生の時に

同じような悩みを抱えていたからなんだよね。

だから、今回のバーチャレは1人でも多くの人達の目に触れて欲しいし、
タイミングが合えば是非とも参加して欲しい。

この経験がまた今後の人生に活きてくるはずだから。

。。。

っていうか、

そもそも今はトライアスロン選手だし(最高成績は2018年の日本選手権8位)
なんで大谷が担ぎ上げられているんだ?という気持ちを持っている方、

安心してください、僕も同じです。笑

埼玉県と言えば、
埼玉栄をはじめとして、設楽悠太選手や川内優輝選手等実力や知名度のある選手や学校が多くあると思います。

なぜ、俺なんだ。笑

そんなことを思いつつも、もう企画はスタートしてしまったし、
後には引けないし、自分のやれる事をやっていこう。
そう思っています。

僕が伝えられる事があるとするならば



他のスポーツから陸上競技を選んだ、

ということ。(今はトライアスロンやってるくらいだし)

上記にも書いたけど、水泳やバスケをやっていて、たまたま高校の先生の目に触れて陸上の道へ進んだけど、

今これを読んでる陸上をしていない君も、そんな選択肢があるかもしれないよ!?

陸上をしているそこの君。
他の部活動で、めちゃくちゃ脚が速い友達いないかな?

ぜひ誘ってみて!!

大会に出てみたら、思った以上に楽しかったり、タイムが出たりして、
第2の大谷遼太郎みたいになれるチャンスがあるかもしれない!(いや、僕みたいな大した事の無い選手ではなくもっと羽ばたいてほしい)

コロナウイルスの影響で、
もしかしたら体育祭や文化祭、他の部活動の大会も休止になっていたり、なっているかもしれない。

このバーチャレはそんな人達に向けて、受け皿になれるはず。

いや、受け皿じゃなくて、もっとかけがえのないものになることを信じてる。

陸上部の人も、陸上部じゃない人も、ボランティアの人も、当日来れない人も。

みんなで一緒に大会を作り上げていきませんか?

良い意味で一生忘れられない夏にしようよ。

力を僕に貸して下さい。

大谷遼太郎

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