「頑張れ」という言葉の重み

「頑張ってください!!」と相手に伝える機会は、何度もあるだろう。

そして、そう言われることのたくさんあるだろう。

しかし、「頑張れ!」という言葉にどのくらい重みがあるだろうか?

例えば推している人、尊敬する人、憧れている人から「頑張ってください」と言われると、「自分も頑張ろう」と努力するパワーを貰える気がする。

一方で、相手によっては「こいつに言われてもな…」と思ってしまうこともあるだろう。

もちろん、推しから応援されたというだけでモチベーションは上がるものではあるが、それだけではない。

どうしてこうなるのか。考えたときに1つの言葉が思い浮かんだ。

「応援する人間は、応援される人よりも何倍も何倍も努力して初めて人を応援することができる」

これは高校の應援團が言っていた言葉だ。
当時はなんとなく聞き過ごしていたが、今思えばかなり深い言葉だと思う。

そういった人から「頑張ってください!!」と言われたとき、どうしてその応援の言葉に重みを感じ、エールを貰えるのか。それは相手が自分の何倍も何倍も努力しているから、鍛錬してきているからだと思う。

裏を返せば、人よりも努力できない人間は、人を応援するなどできない、する資格が無いのだ。自分で自分のことを奮い立たせてることができない人が、どうして他人を奮い立たせようとすることができるだろうか?

我々は日頃から「頑張ってください」と簡単に言ってしまうが、その言葉の裏には、果たして自分の努力があるのだろうか?簡単に出てしまうその言葉の重みを、口にする前に考えなければならないと思う。

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