「浅草金龍山」−江戸の人々に大事なランドマーク、何度消えても!−『名所江戸百景』
最近顔が浮腫んでいてパッとしません。
顔のツボをいくら押しても変わらなくていよいよ小顔矯正に言ってみようかと考えています。
そういった美容施術は初めてなので予約から緊張しますが行ったら行ったで良くてハマっちゃうんだろうなあと思います。
パッとしないのをお金で解決するのもストレスの根源を断つ手段としてありですよね。
そんなパッとしないままの今日も広重。
今回は『名所江戸百景』の「浅草金龍山」です。
昨日金龍山という名前の由来もやったので知っている通り、浅草寺の別称です。
つまりこの絵が表しているのは雷門ということです。
仲見世通りはどちら側なのでしょうか、というか当時は仲見世通りがあったのかな?
雪が降ってもなお人が集まる場所だったのですね。
雷門の左右には風神雷神が祀られていますね。
風雷を司る紙を祀ることで天災を除けて、五穀豊穣を祈ったということです。
残念ながらこのサイトには赤大提灯の文字のことなどに関しては記載がありませんでしたが、この提灯は何度も架け替えられていました。
今は雷門ですが、それもできるまでは95年間も提灯のない状態だったそうです。
現パナソニックの創始者である松下幸之助氏によって寄贈されたものが今のものです。
なので今書いてある「雷門」は当時には描かれていなかった可能性は高いですね。
ということで絵の雷門には「雷門」ではなく「しん橋」と書かれているそう。
しん橋とはこの大提灯の普請に携わった人が新橋の職人だったことから、彼が奉納した大提灯に「しん橋」と書かれたそう。
んーーー、橋はわかるけど「ん」がそんなにも湾曲するのかと思うほどの文字面ですね。
ピンとこないけどこれを見ればわかりました。
広重の「浮絵浅草寺雷門之図」です。
こちらの左にある大きな提灯が雷門のあれです。
そこに「志ん橋」と書かれているのです。
くずし字だったかそんな表記になっているのですね。
遠が「を」になるみたいな表記!なんだったっけ!
絵の門をくぐって仲見世通りをまっすぐ行ったところにある赤い建物が宝蔵門です。これは別名仁王門。
雷門に頭が入っててなかなか知られていないですよね。
https://www.senso-ji.jp/guide/guide03.html
仁王像が安置されていたために当時は仁王門と呼ばれていました。
それが戦後に消失してしまった門に寄進した方がいて、その方々のおかげで再建されました。その時に経蔵としての役目を兼ねて経典や寺宝を収蔵したことから宝蔵門と名を改めたそうです。
その右に見える五重塔がありますが、今では本来宝蔵門の左に見えるはずのものです。
https://www.senso-ji.jp/guide/guide06.html
引用の4行目にある通り、本堂の東側に五重塔がありました。
それが消失した後も左側に再建されました。
五重塔自体は今はないけれどその礎石は残っているようです。
どの部分に関しても無くなっては再建され、また消えてというのを繰り返していたようですね。
何回消えても立てたいのが浅草寺一帯。
江戸の人々にとって、大事なランドマークだったのですね。
今日はここまで!
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