「日本橋通一丁目略図」−伝統が通る街で踊って食べて−『名所江戸百景』
乾燥するー泣
乾燥することを実感することが最近少なくなってきたなあと感じていたのに、今日は保湿してもしても顔がパキパキします。
なので半年以上使っていないフェイスパックを購入しておきました、、。
寝てても口開けて寝てたので喉が痛いのなんの。
乾燥だけは気をつけないと今風邪ひくと厄介ですからねってこの前も言ったな。
そんな感想が酷い今日も広重。
今回は『名所江戸百景』の「日本橋通一丁目略図」です。
今回は人間が大きくモチーフになっている絵ですね。
でも誰一人として顔を見ることはできません。
空が若干暗くなっているので雨でも降っているのでしょうか。
この絵の登場人物全員が傘を差したり被ったりしています。
まず目に付くのが真ん中にある大きな水色の傘。傘の真ん中に紙の飾りが付いていますね。
これを御幣といいます。
この形状で飾ることが神に捧げる意味を持つ飾り方で、その捧げるものとして弊挿木という形態になったのでしょう。
それを、弊挿木の皮の木綿を使うことでより神聖な捧げ物になるのですね。
そんな飾りをつけた傘を差すこの女性たちの群は住吉踊りという連中であるらしい。
だから絵の女性たちも傘を被っているのですね。それで拍子を取って歌って踊りながら練り歩くのでしょうね。
後ろに藍色の着物を着た傘を被った女性である女太夫が三味線を持っているのでそれで音楽を奏でているのですね。
傘を差している住吉踊りの群の横に何かを食べている男性がいますね。
この男性が食べているのは真桑瓜だと言います。
真桑瓜なんて今聞きませんので調べてみます。
縄文時代にはすでに食べられていて、メロンの変種だと言われているそうです。
美濃国の真桑村という現在の岐阜県の本巣市でよく作られていたためにこのような名前になったそう。
こんな食べ物。
美味しそう。当時これが露店で売っていたのはなんか羨ましいですね。
この絵の解説を読んだ時に一番気になったのが”東橋庵”と”白木屋”というワード。
今にも伝わる老舗の店店のことなのかということ。
調べたところ出てきたのが東橋庵のこと。
白木屋は17世紀にすでに食事処系の経営というよりは呉服店として経営を始めていたのですね。
東橋庵は当時から絵にも描かれるほどの高級蕎麦屋であるらしい。
現在の絵の場所はCOREDO日本橋が建っているので面影の影もないそうですが、当時は木綿問屋、呉服問屋が立ち並んでいたということで今回の話題が詰まった通りだったのですね。
当時の話を見てみても、今の日本橋とイメージは変わらないというのが本音です。
この広重のエリアごとの解読が終わったら現地に赴いて、描かれた方向から写真撮って再現してみたいなあ笑。
今日はここまで!
さ、千と千尋見よ!
#歌川広重 #名所江戸百景 #日本橋通一丁目略図 #住吉踊り #御幣 #真桑瓜 #白木屋 #東橋庵
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