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ぼくの最悪な浪人時代

はじめまして、oidypsと申します。
ご存知でない方がほとんどとは思いますが、ぼくは2017年3月11日から2018年2月28日にかけて、浪人生として勉学に励んできました。まあ平たくいうと受験に落ちたんで一年間受験勉強してた、ってことです。
というわけで浪人時代ぼくがどのような人生を送っていたか、そしてそれが今の自分にどのように生きているのか赤裸々にお話ししてみようと思います。ぜひお付き合いのほど。

人間時代・1

略歴ってやつですかね。サクッといきます。
中学受験で筑波大学附属駒場中学校に入って、そのまま高校に進学しました。中学1年生の時から(強制的に)鉄緑会という東大受験専門塾に入れさせられていたことや、現役浪人合わせて学年の7割程度が毎年コンスタントに東大に合格する環境などもあり当然のように東大に入ることが目標となっていたような気がします。
とはいえ学業にはあまり力を入れず、代わりに文化祭を筆頭に体育祭や音楽祭などの行事に熱中する祭り男でした。中3から高2まではHR単位で上演する演劇にコミットしており、高3では文化祭の3日間だけ営業するカフェの運営に一年間を捧げました。
まあこんなことやっているとさぞ成績も悪かろう、と思われるでしょうが、案外そうでもなかったのです。これからしばらく現役イキリが続きますが、どうせこの後こいつ落ちるので壮大な前フリだと思って聞いてやってください。
学校の実力試験では常に学年の上位1/4ほどに入っており、夏の東大実戦では成績上位者の氏名が記載された冊子に名前が載り(もちろんその時はA判定)、文化祭後の11月に行われた最後の校内実力試験では国語で学年1位という成績。これはもう、イキって然るべきでしょう。
もちろん今考えると数学や世界史は壊滅的だったし、勉強の習慣はないし、塾の復習はおろそかだったしで完全に受験生失格だったんですが、まあ中途半端に結果が出てしまっていた以上油断が生まれていたのだと思っています。
いわゆる「直前期」である12月から2月くらいまでは具体的に計画も立てず、なんとなく社会の知識を入れてみたり、なんとなく古典の問題を3年くらい解いてみたり、なんとなく友達と卓球してみたり…。なんとなくやばいのはわかっていたけれど、やばいかもしれない自分の現実を直視せずに過去の栄光にすがっていた、そんな直前期でした。

臨死体験

そのときはゆるやかに訪れました。
2017年3月10日。僕はその日のことを一生忘れないでしょう。
東大合格発表が12時に迫る中、僕は呑気にも出身塾の合格体験記を(まだ合格してもいないのに!)書いていました。それまでに受けた私立(早稲田政経・早稲田国際教養)はどちらも合格しており(入学は辞退している)、中学受験も含めて「受験に落ちる」という経験がなかったため「受かっていたらいいな」→「まあ受かるんだろう」→「受かっているに違いない」と自分を騙しに騙し、思い込みに思い込みを重ねていたように思います。

12:00になりました。

僕はスマホから掲示板にアクセスを試みましたが全く読み込まれません。リビングから自室(リビングよりネットワークが繋がりやすい)に移動し、自分のPC(当時はクソザコWindowsマシンでした)で掲示板をみます。僕の番号は【A20155】。結果は…

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はい。

見事なまでの不合格でした。番号がないとわかった瞬間、「自分は死ぬ」と思いました。そのまま自分の番号のない掲示板を呆然と眺めること10分。ゆるやかにその感覚は自らの体を蝕んでいきました。

「あー俺落ちたな、死ぬんだな」

そう思いました。

甘えるな

その日の夜、父親が帰宅しました。不合格だったことは事前に伝えていたのですが、「浪人させてほしい」と口にした途端、とにかくひどく怒られました。

「甘えるな」

落ちたから浪人。行く大学がないから浪人。ふざけるなと。自分の努力次第では手が届いたはずの目標に、手が届かなかった/届かせられなかった人間が、生半可な覚悟で浪人するなと。
至極もっともです。泣きました。めっちゃ泣きました。父に一言も労ってもらえなかったこと以上に、「自分は敗者である」ということを明確に実感したからです。
最初に申し上げた通り僕の高校は現役浪人合わせて学年の7割が東大に合格する学校で、学年の7割は現役で進学する、そんな学校でした。
FacebookやTwitterで喜びの声を発信する、同級生たち。つい先日まで学校で一緒に笑いあっていた、話していた、あるいは憎んでいた、そんな同級生たちが一斉に黒々とした太い線を自分の前に引き「ここから先は来ないでくれ」といって隔離されたような気持ちになりました。
こいつらを見返さないと、俺は死ぬ。
こいつらと同じラインに立つことさえできなければ、俺は死ぬ。

その思いを胸に、翌日から「最悪の」浪人人生がスタートしました。

浪人時代1〜はじまり〜

一晩寝て少し気持ちも落ち着いた3/11。ぼくは現役時代の自分の欠点を洗い出すところから、はじめました。
・計画性のなさ
・現実を直視しない弱さ
・勉強を習慣化できていない点
これらを解決するため、毎日勉強計画をスマホで立てて、スクショしてLINEグループに貼る、ということを始めました。(このLINEグループは自分含めて文二に落ちた高校同期の2人の友人との計3人で構成されているもので、ぼくは河合塾本郷校で浪人、一人は駿台御茶ノ水校で浪人、もう一人は慶應大学経済学部に進学しました。)

1年過ごす場所を河合塾本郷校に決めた理由は、
・浪人した高校の先輩の勧め
・東大文系への強み
・東大特化校舎である点
・校舎がとても綺麗
などです。先輩には落ちたその日中に連絡を取り、落ちてから2日後の3/12にはもう河合塾に決めました。
3月中は苦手だった数学と世界史の基礎力をつけるべく毎日河合塾の自習室に通い、友達との遊びも一切断って世俗から身を切り離す生活を営んでいました。気分転換的に二週間くらい、駅から予備校までの道でPokemon Goをやったりはしていましたが笑

4月。予備校のクラスが決まり、授業が始まりました。授業開始当時は多少浮ついていて、席も大教室の真ん中くらい。開成や駒東などの話しやすい友人ができたことや授業を真面目に受けるという習慣がなかったこともあり、90分授業で集中できずに寝てしまう始末。

こ れ は ま ず い

計画こそしっかりと立てて実行できてはいたものの、意識を改めなければずるずるいってしまう。
そこで、大教室の前から3列目に陣取ることにしました。「背もたれに背中をつけない」「寝そうになったらペンで手の甲を刺す」などある種狂気的なまでの方法で正気を保っていました。

また3月から、ラジオを聴くのにハマりはじめました。もともとお笑いが好きだったのもあり芸人さんのラジオを聴いたり、お昼のワイド番組を聴いたり、コメンタリー系の番組を聴いたりと、浪人時代のぼくの生活を彩ってくれたのは間違いなくラジオでした。(ラジオについてはまた後でも触れます)

基本的に毎日朝8時から自習室閉室ので21:30まで河合塾にいたわけですが、週1くらいで軽い息抜きに行っていました。
例えばラジオ好きが高じてTBSラジオの本社付近を散歩したり↓

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例えば塾の近くのつけ麺屋で麺500g食べたり↓

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地理科の地形図実習で茨城県の田舎を散歩したり↓

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こう見ると結構息抜きばかりしているように思えますが、息抜きをするタイミングは「極端に生産性が落ち、物理的に勉強できなくなった時」と決めていました。常に「今勉強をサボるとやばい」「今週やると決めたことをやらないことでまたダメな自分に一歩近づいてしまう」という恐怖感・危機感に苛まれており、精神的に非常に苦しい状態であったのを思い出します。

浪人時代2〜極限のストレスと、生活習慣の改変〜

精神的に苦しかったのは危機感からだけではありませんでした。
予定を立てて計画的/コンスタントに勉強していても、自分の学力が伸びている実感が全く持てなかったのです。自分のやり方・自分の学力・自分自身に対して全く自身が持てないまま、非情にも時は流れます。
東京大学を目指す受験生にとっての最初の難関は8月上旬に行われる第一回東大オープン(河合塾等主催)・第一回東大実戦(駿台等主催)の2つの模試です。この2つの模試では実際の東京大学の入試問題の形式に合わせた問題が出題され、A~E(実戦の最低評価はD)までの判定が下されます。
入試本番まであと半年以上あるタイミングでの模試であるため、当然ながら「現役生は不利・浪人生は有利」という構図が展開されるのが当たり前、なんなら浪人生はA判定をとって当たり前、というような空気がありました。
実力が上がっている実感のないまま、実力以上の結果を出さなければならない。
本当にストレスでした。なんども吐きそうになりました。それでも栄養を取らないと頭が回らないので、チョコレートと黒糖飴を死ぬほど食べてました。

東大オープンでA判定を取れなかったら、死のうかな。

本気でそう考えていました。
それぐらい追い詰められていました。
結果から言うと第一回東大オープンでは260over/440の高得点でA判定を獲得し、東大実戦では成績優秀者冊子に自身の名前が掲載されました。
去年なんの努力もせずなんとなく載った名前。それに比べて今年は、努力してやっと載った名前。
こんな努力してこんなもんか。あ、浪人生って普通にしんどいんだなと。

さて、東大模試を終えて、予備校は後期に入りました。
3月から続けてきたことの一つに毎日計画を立てる、ということがありますが、それ以上にぼくは毎日の生活習慣を規定していました。

毎朝6時に起き、7時に家を出て、8時過ぎに予備校に着き、授業が始まるまで自習して、授業を受けて、自習して、21時ごろに自習室を出て、22時ごろに家に着いて、23時頃からYoutubeで乃木坂の動11画を見て、23:30~24時ごろに寝る。

基本的にはこの生活習慣を崩さずにやってきました。しかし、ある日、生活習慣を変える必要性を強く感じる時がやってきました。
10月下旬、東京に台風がやってきました。その日は記述模試当日で、台風により模試は中止に。自習室も閉まっていたため久しぶりに自宅で2日間ゆるーく勉強しながら休養をとることにしました。そして気づきました。
自習室以外の環境では、まったく勉強できなくなっていました。
結局その二日間は何も勉強が手につかず、そんな自分をとにかく責め続け、自分自身を極限まで追い詰めてしまったのです。精神的な健康を保たないともたないなと感じて、戦略的に少し自分を甘やかそうと思いました。
そこで生活習慣を変えました。具体的には、今まで21:00-21:30まで自習室に残って勉強していたのを1時間ほど早め、20時ごろには自習室を出るようにしました。そして10:30には必ず寝て、8時間程度の睡眠を確保することを自分に課しました。
結果から言うとこの生活習慣を保ったまま受験当日まで生活することができました。あえて使える時間を有限にして自分で区切ることで、その時間でのパフォーマンスを最大化する、という方向にフォーカスできたのは、じま考えると良い決断だったなと思います。

また趣味で聴いていたラジオにも、少しずつ進展がありました。
6月のスペシャルウィーク(聴取率調査週間)にネタを採用され、嬉しくなってネタ投稿をするようになりました。
7月には爆笑問題のラジオのプレゼント企画で玉ねぎが20kg自宅に送られてきたり、↓

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10月には同じく爆笑問題のラジオのネタコーナーで最優秀ネタに選ばれ、グリコのカレーをもらったり(左はTBSラジオを特集した雑誌。雑誌なんて買ったことないのにTBSラジオ好きすぎて買った)↓

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10月から聴き始めた「菊地成孔の粋な夜電波」の影響でジャズが好きになったり(ちなみに夜電波は年内で8年の歴史に幕を閉じます。無念。)
ほかにもお昼のラジオ番組をリアルタイムで聴いたり、タイムシフトで日中深夜ラジオを聴きながら勉強したりと僕の浪人人生にとってラジオは欠かせない存在だったと断言できます。週に15番組以上は聴いていたんじゃないかな。本当に感謝しています。

また、圧倒的に趣味が増えました。
ラジオから広がった趣味としてジャズやヒップホップを聴くようになったり、浪人生の仕事道具とも言える文房具収集にはまったり、オーディオ機器に詳しくなったり、革製品にはまったりしました。
勉強以外の時間は、そんなことをしていました。

浪人時代3〜謎の号泣と直前期〜

11月に、第二回東大オープンと第二回東大実戦が行われました。
この時期なんとなく自身の成績が向上している実感こそ持てつつあったものの、それはまったく確信には至っていませんでした。そんな中での模試でした。

11月中旬ごろ、乃木坂46の19枚目シングル「いつかできるから今日できる」のMVが公開されました。
浪人の7月に乃木坂46と出会い、いつしか彼女たちの人間性と美しさに惹き込まれていました。家に帰ってからの娯楽といえば、寝るまでの30分ほどで乃木坂の動画を見ること。まさに生きがいの一つだったわけです。
そんな彼女たちの新曲のMVを自宅で見た時、僕はなぜだか号泣していました。
画面の中の彼女たちはあまりに美しすぎて、それに比べて今の自分は何者でもなくて、
そのギャップに自分は耐えられなかったのかもしれません。溜め込んでいた色々な思いが湧き出てしまったのかもしれません。とにかく僕はひどく泣いていました。

12月前半、東大模試の結果が返ってきました。
東大オープンはA判定を取れたのですが、東大実戦ではA判定を取ることができませんでした。(B判定)
しかも双方の模試ともに国語の成績が悪く、「この模試に合わなかった」などの言い訳もできない状況でした。国語には特に苦手意識もなかったのに…。
本気で心配になり、チューターに相談すると
「おいだくんは僕らから見ても間違いなくよく頑張ってる。」
「例年これくらい頑張ってやってる受験生はちゃんと受かっていくから、自信を持って。」
「ペースだけは乱さないようにね」
といったお言葉をいただきました。正直当時は「頑張ってても結果出なきゃ意味ないでしょ」と思って素直に受け取れなかったのですが、今思うと客観的な視点を自分に与えてくれたことにとても感謝しています。模試の結果に一喜一憂して勉強の方針をコロコロ変えるより、自分が今まで続けてきたやり方を突き通すことの方が良いかもしれないな、と思ったのでそこはチューターのいうことに素直に従うようにしました。

直前期はゆるやかに、かつ着実にやってきます。

あくまで東大合格が目標である以上、センター試験対策はサブであり、1月に入ってから全振りすればいい。12月中までは東大受験のための基礎力を固めることに全力を注ごう。
この考えで迎えたセンター試験本番。これまでのマーク模試で800点を超えたことがなかったのが不安材料でしたが、なんとか自己採点で832点(実際は828点でした)を確認し、少し落ち着くことができました。
ただ去年の反省として、センター試験を終えて気が抜けてしまい、二次試験にフォーカスできなかったことがありました。そこで今年は特に意識しようと思ったのですが…。

別に意識する必要もありませんでした。

なぜなら自分には計画を立てて勉強する習慣がついており、何をどれくらいやればいいかわかっていたからです。それを淡々と、毎日こなしていくだけで良かったのです。
また12月まで本格的な問題演習を全くやらず、基礎力向上に時間を費やしてきた成果がここで現われました。
問題演習とその復習にかける時間が短くてすむのです。
そのため1月・2月は死ぬほど問題演習をこなすことができました。2月の第二週には東大世界史30年分の過去問を全てさらいながら常に他教科の演習を行うというなかなかなことをできるまでになっていました。

ただ、成長の実感を得られてきた一方で精神的に不安定になるようなこともありました。それは早稲田政経センター利用枠での不合格です。
正直自己採点で832/900, 800点満点でも92%以上確保していたためほぼ確実に合格できているだろうと確信していました。
2018年2月10日。
午前10時から、結果の問い合わせがはじまりました。
僕は自習室でスマホにイヤホンをつなぎ、震える手で言われるまま番号をプッシュしていきました。イヤホンから聞こえてきた結果は

残念ながら、不合格です。残念ながら、不合格です。(不通音)」

絶望しました。
まず不合格のトラウマが蘇ってきました。
次に自分がマークミスをしてしまったのではないかという恐れ。東大を受けられないのではないかという恐怖。
しかし一度冷静になると、2月7日の東大一次選抜(センター試験の結果を受けて二次試験の受験者が発表される)では自分の名前が書かれていたー。
自分は大きなビハインドを抱えてしまったかもしれない、そう考えてチューターのもとに相談に行くとチューターは意外にも優しい表情で
「マークミスってそう起きないから、単純にちょっと届かなかっただけじゃないの?心配しなくていいよ」
と言ってくれました。

確かに。今自分がすべきなのは落ち込むことではなく、来る二次試験でどれだけのパフォーマンスを上げられるか、その一点にかけて努力することに尽きるのです。落ち込んでも成績は上がらない。確かに。

切り換えなきゃ。

そこからは二度の私大受験(早稲田政経経済学科・慶應経済B方式)を経て、毎日欠かさず自習室に通い、毎日自分で決めた勉強をして、毎日10:30に寝るといった生活を続けました。

2月24日の前日だって、僕は自習室にいました。食事スペースに人が増える20分前ごろを狙って食事し、さっと退散するのが僕のいつものやり方でしたが、その日僕が食事スペースにいると、クラスメイトがいました。

長かったな。
いよいよ明日だな。
楽しみだな。

こんな言葉が自分から出たことに少し驚きました。だって振り返ってみれば確実に「最悪の浪人時代」だったはずなんだから。
僕が世界史の授業を受けている間に高校同期は飲み会に行っているだろうし、学生団体で生き生きとプロジェクトに携わっているだろうし。この生活はストレスだらけだし。
なんだったら、また不合格かもしれないんだし。

それでも「長かったな」といえたのは、この一年間頑張り抜くことが出来た、という実感を持てていたからに他ならないと思います。とりあえずベストは尽くせた。あとはそれを答案にぶつけてくるだけだ、と。


2月25日。東大入試1日目。
去年と同じで、寒い日でした。
去年と同じ、教室でした。
受験番号は5つ後ろの【A20160】でした。

試験を受けている最中は、辛くなってパニックに陥らないよう作り笑いをするようにしていました。周りにいた人たちからは奇特な目で見られていたことと思います。

数学の試験が終わり、帰途につきました。
特に思い出はないです。灰色の、乾いた記憶です。

2月26日。東大入試2日目。
去年は社会の時間に尿意をもよおして集中できなかったため、その点にとにかく気をつけていました。他は、特になし。


英語が終わりました。
終了。
退出までの時間、僕は慶應経済の結果を気にしていました。
2月24日に発表されていた慶應経済の結果を僕はまだ見ていませんでした。

帰りの電車で。母親からこんなLINEが来ました。

「お疲れ様。まだ結果は見てないけど、書類が届いていないのでたぶん合格ではないです。」

ハッ、またこれかよ。
また、不合格か。

もうどうにでもなれと思い、1日目の解答速報を見ました。
完答できたと思っていた設問の答えが、違っていました。
本当に絶望しました。
悲しかった。

ただ、慶應経済は補欠Aランクという結果でした。例年補欠Aランクは100%合格が出ており、少しだけ安心材料ではありました。

2月28日。
早稲田政経一般入試の合格発表でした。
午前10時に、電話で合格発表を聞きました。そう、ちょうどセンター枠入試で不合格を伝えてきたあの音声が、まさにあの音声が、

おめでとうございます、合格です。おめでとうございます、合格です。(不通音)」

と伝えてきました。

ここに、僕の長い長い浪人人生は終わりを告げました。

半人間時代〜東大に受かるまで〜

とりあえずは大学生になれる。少し精神的な余裕が出た僕は予備校同期や旧友とご飯に行き、語り合う時間を得ました。やっと少しだけ人間に近づきました。
嬉しいニュースもありました。3月5日は早稲田政経の入学金の納入期限日だったのですが、その日に慶應経済の繰り上げ合格が発表されました。とりあえず慶應生になれることが確定しました。

それでも僕は、東大に行きたかったのです。
1年前の3月10日、涙を流して悔しがったあの不合格から1年間。東大文二しか眼中にありませんでした。そのために全てを捧げてきました。遊びたかった。パソコン触りたかった。でも東大に受からないことにはしょうがない。東大に受からないと、俺は死ぬ。
とにかく、東大合格しかなかったのです。

合格発表前日、僕は自室で極限のストレスと戦っていました。その日の僕の様子をのちに母親に聞くと、
「永遠にキャンディクラッシュをやりながら『許してくれ〜』と呻いていた」
そうです。
正気じゃない。本当に。

合格発表の、その日。
2018年3月10日。
昨年の涙から、1年。
合格発表の12時まで寝て過ごそうと思っていましたが、今までの生活習慣のせいもあり6時に起きてしまいました。
受かっていない自分を想像したくありませんでした。
極限のストレスの中、発表まで30分を切りました。その時僕が無心になるため書いていたのがこちら↓

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狂気しか感じません、本当に。

11時50分。
僕はなんの気なしに、待機していた掲示板のリンクを再読み込みしてみました。
ん?
番号リストが表示されてるぞ?
僕の番号は【A20160】。恐る恐るみていくと…

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ありました。
合格してました。
なんか突然のことで、拍子抜けしてしまいました。

ようやく終わった、人間になれた、と思って、安心しました。
こうして僕は、東大生になることが決まりました。

浪人時代を振り返って

自分は浪人しておいて本当に良かったと思います。
高校時代の僕は、やりたいことに関するパフォーマンスは高かったもののやらなければならないことへのパフォーマンスは著しく低かった。計画性もなく、真面目さもなく、勤勉ではありませんでした。趣味も少なく、人間的な深みもあまりなかったように思います。

浪人時代は確かに死ぬほど大変でした。ストレスやプレッシャー、時に自分自身に殺されそうでした。でもなんとか一年間走り切りました。それは確実に今の自分にとっての自信になっています。
少しは自分で自分を管理することができるようになりました。
1年本気でやれば成績も上がるものです。
下の写真は2017年、つまり現役時の僕の二次試験での開示得点です。

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そして下の写真が2018年、つまり浪人時の僕の得点です。

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バランスよく勉強すれば、バランスよく成績が上がるものです。

また、いい意味で内省的になりました。趣味が増えたこともそうですし、ラジオに触れ続けたことで人間として深みが少しだけ増しました。

浪人していなかったら、自分はただのよくいるイキった現役生のままだっただろうと思います。
自分と徹底的に向き合った浪人時代は確かに最悪だったけれど、それでも多くのことを得ることができた1年でした。

今のぼく

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そもそもなぜこの記事を書いているかというと、ぼくが所属しているサークル"designing plus nine"のAdvent Calendar企画に参加しているからです。
今のぼくについてもっと知りたければ、ぜひこちらのポートフォリオをご覧ください。

最後になりますがこのような駄文を書いたのは多くの現役合格生に浪人のリアルを知ってもらうため、さらに多くの浪人生に浪人時代のことを思い出してエモくなってもらうため、ひいては今ちょうど辛い時期であろう浪人生に希望を持ってもらうためです。

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