たまに

たまに、あの人の変な意思表示を感じます。

はじめに

私には夫がいました。

でも今は独り身です。

お別れしちゃいました。

もとい、別れざるを得なかったのです。


夫は一足先に、空へと旅立ちました。

まあ、要は、死んでしまったんです。


悲しいですし、さびしいです。


やっと2年経つのですが、その間、ひたすら悲しいだけでもなく、さびしいだけでもなく、楽しいこと、面白いこと、嬉しいこともありました。

不思議なことが起こり、不思議と感じることが多くなりました。

そして、時々、たまに、思うんです。


あれ?


なんだか、あの人(夫)の変な意思表示を感じる……!!


あの人の意思表示なんじゃないかと思える、不思議なことや場面に遭遇することがあります。

このnoteは、そんな「あの人の変な意思表示を感じる」ことのあった「わたし」の備忘録です。


「あの人の変な意思表示」についてのQ&A


Q.実話?フィクション?実在するの?

A.フィクションありきで読んでいただけた方が楽しめます。


Q.無料で読めるの?

A.2019年9月現在は無料公開中です。途中から有料にするかもしれません。


Q.なんでこのnoteを書こうと思ったの?

A.私自身、霊感なんてほぼない状態です。宗教とかの信仰心も薄いほうだと思います。目に見えないものを信じていないわけではない、でも妄信的に信じてもいないんですよね。

そんな私が「あれ?あの人の意思表示かな?これ?」ということに気づきはじめてから、ほんの少しずつですが、私自身がしっかり生きようと思えるようになってきました。息をするのが楽になってきました。

悲しい、さびしい、つらいとかはずっとこれからもあるでしょう。でもこうした「あの人の変な意思表示」を感じられたことで、私は少しずつ後ろよりも前を見ていくようになりました。のろい心の歩みですが。

「あの人の変な意思表示」は、もし過去の私と同じように悲しさの中に自分一人でいると思い込んでいる方に「気づいていこう」と声をかけたくなって書きました。

あと単純に、あの人の意思表示が面白かったり不思議だったり変すぎて、お伝えしたくなった!…という理由もあります。

ただ書きたかったからだけですね。


あの人の変な意思表示を感じている一番の長い理由

まずは、このnoteを書くきっかけになったといいますか、noteとして、あなたに伝えてみようかな、なんて思えたことーー月に1度の夫の変な意思表示を感じている出来事と、そこに至るまでの経緯を、紹介しますね。


わたしは夫と結婚して、夫の名字になり、夫の生まれ育った町で夫とともに暮らすことになりました。

夫のふるさとですから、夫の実家もある町です。

夫の実家が手狭であるという理由のおかげもあって、わたしたち夫婦は、夫のふるさとの町でアパートを借りて暮らしていました。

そこでの暮らしは今思い出しても、ゆるやかに幸せな時間が過ぎていたと思います。

夫婦2人の生活だったので、それなりに夫婦げんかもしましたけど、なんだかんだで仲良しだったと思います。子どもに恵まれないからこそ、いい大人で夫婦でありながらも結構子どもじみてはしゃいだやりとりをしていました。

何かパートナーにお願いしたい時ってあるじゃないですか。たとえば今夜、外食でどうしてもコテコテのラーメン食べたい!とか、そういうお願いしたい時。

そんな時はモノマネをして頼み込んだり、家中にあるぬいぐるみをかき集めて並べで土下座ポーズをさせて頼み込むとか。アニメのキャラクターの決めポーズで希望を述べたりとか。

もうね、バカップルって言っていいくらいの夫婦だったんですが、外から見たら一切そんなおふざけなしな、超真面目な夫婦に見えてたと自負できます。外面が夫も私も超真面目さんに映る、普通よりちょい地味タイプのおとなしそうな夫婦。

ある意味、仮面夫婦ですよね、真面目仮面夫婦。

実際には、モノマネとおふざけの応酬をし合っている変な夫婦だったんですが。


前置きが長くなってしまいました。


私がふるさとを離れて、夫のふるさとの町に嫁いで、同じ町にある夫の実家にも行き来しつつ、夫婦仲睦まじく暮らしていました。

そして、夫が先に旅立ちました。

「何で旦那さんは亡くなったのですか?」

ここの理由はあえて伏せています。

震災、事故、病気、事件、自殺、寿命、どの理由であったとしても、ただただ大事な人を失ってしまった悲しみは、あなたも私も誰しもが同じだからです。

震災だったら同情して、寿命だったら同感しない、そんなことはないと思うのです。

自分の大事な人がこの世からいなくなってしまったこと、それはただただ悲しいんです。


そして、わたしはそのただただ悲しい思いを抱いて、夫のふるさと、夫と暮らしていた町とアパート、夫の実家から離れ、わたしは自分のふるさと・地元へと戻りました。

夫の四十九日を終えてすぐにふるさとへ戻りました。理由は2つあります。

1つは生前から互いに万が一に何かあった時にこうしてほしい、というお願いを夫婦で交わしていました。私の場合には「夫の実家のお墓ではなく、私の実家でお世話になっているお寺に納骨してほしい。だってあなたの後妻(仮)がお墓に入りづらくなるから」と夫に伝えていました。

夫の場合には「オレに、もしもの時はすぐにふるさとへ帰れ」と私に伝えていました。

もう1つの理由は、夫にはきょうだいがいるのですが、夫のきょうだいから頭を下げられました。「なるべく早く、この土地を離れてください」と。

夫の両親、夫のきょうだい、そして私、皆が悲しみにくれてました。それぞれ悲しみが大きすぎて、とてもじゃないけれども気持ちが持ちそうにないと。妻であったわたしのことも支えたい気持ちもあるけれども両親を支えることを考えただけで気持ちがつぶれそうになってしまう……ましてや自分もつらい、そういう悲しくてしんどい思いを、夫のきょうだいから正直に打ち明けられました。

わたし自身が夫のふるさとを離れることで、夫の家族が少しでも悲しみから離れられるのであればという気持ちがありました。


そんな思いで、夫が亡くなって2ヵ月もしないうちに、全てをとりまとめて私は夫の元から離れました。


しんどかったですね。


そういうこともあって、わたしは月命日に、夫のふるさとへ、夫のお墓参りをするために通っています。

今でも毎月通っています。夫の誕生日の月だけは、命日ではなく誕生日に行ってるんですけどね。


夫のお墓参りに行く日は、必ず、晴れるんですよ。


前日にとんでもない豪雨があったとしても

明日は雪でしょうって言われても

当日雨が降っていても


わたしが、夫のふるさとに着いて、夫の眠るお寺に着く時には、晴れています。


不思議なくらい。


そういえば夫は晴男だったんですよ。

わたし自身はどちらでもないなあという感じなんですが。


2人が初めて暮らしはじめた日も、結婚式の日も、新婚旅行も普通の旅行も。夫の命日も、通夜も葬儀も、初7日も、四十九日も百か日も、1回忌も全て、晴れた日でした。


さらに、夫のふるさとの町を経由して別の町に用事がある時にも、お墓に手を合わせに行ったりしているのですが、そういう日も必ず晴れている……!


このあいだもたまたま、夫のふるさとの町で仕事仲間が集うことがあって、ながらでお墓参りに行ったのですが、それでもやっぱり、わたしが行くときは晴れているんですよね。


いや……さすがに今月は雨だろうなあ…と天気予報や前日・当日の空模様を見ていても、雨は確実だろうなあと思っていても、晴れてました。

白い雲の影も見える、ポリバケツみたいな水色をした空でした。


今月も晴れたか……

今回も晴れている……

うん、まだまだ夫に愛されているなあ。


そう感じずにはいられません。

夫の大好きなペットボトルのお茶を捧げて、その場で代わりに味わいながら

「このあとわたし、仕事仲間とランチしてきますから。男性もいますからヤキモチ焼いて出てくるの大歓迎だけど、忙しかったら無理しなくても大丈夫。お互いそれぞれ行きましょう!じゃ、またね!」

と語りかけて、用事である仕事仲間のランチへと向かいました。

そのランチの席で仕事仲間が

「きょう晴れて良かったですよね!」「私、実は雨女なんですよ…だから晴れて本当に良かったです」「僕は晴男なんですよ!」「じゃあ晴男が勝ったんですね」

という会話で盛り上がってたんですね。

「うん、それはもう、きょうは晴れるよ。うちの夫も晴男だから」

……とは口にせず、わたしは心の中でだけつぶやいて、ニコニコです。


気持ち良いくらいの、晴れの日。


そう、このことがあって、私は「あの人の変な意思表示でもある、晴れの日の話」を誰かに言いたくなって、話したくなって、このnoteをしたためる原動力になりました。



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