「セクシー田中さん」の件

漫画「セクシー田中さん」の作者・芦原妃名子先生の訃報からずっと心が苦しくて沈んでいる。
私は漫画好きというわけでもなく、ドラマをよく見るタイプでもない。芦原先生の昔からのファンというわけでもない。業界に携わっている人間でもない。
でも、なんとも言えない苦しさともどかしさでぼんやりしてしまうような時間が続いている。
私でさえこんなに苦しいのだから、ご家族や身近な方々の気持ちを思うと本当にやりきれない。

私が「セクシー田中さん」という作品を知ったのは、皮肉にも新番組のドラマを紹介する番組だった。
私は婚活を始めたもののうまくいかず、自分が「普通」に結婚ができない人であることを思い知らされてから、どんな困難があっても結局パズルのピースがはまるように誰かと誰かが結ばれていくドラマや映画や漫画にハマることができなくなってしまっていた。「セクシー田中さん」も地味なヒロインが美しいベリーダンサーに変身して誰かと結ばれる、そういう話だと思いこんで番組を観ていた。

でも、なんだかなにかが違うような気がして、珍しく漫画を読んでみたくてたまらなくなった。
すると、「田中さん」も「朱里」も私の心を想像以上にギュッと掴んで離さず、まさに一気読みで7巻まで読破した。

キャラクター一人一人の綿密なバックグラウンドと繊細な表現。さらっと盛り込まれた社会問題や生きづらさが心に刺さりまくる。女性の生きづらさだけではなく男性の生きづらさも描いているのも印象的で、とにかくずっと心がギュッとなる。

仕事を頑張っても成果を出しても、なぜ結婚してないのか、良い人はいないのかそればかり聞かれる。自分の人生それなりに頑張って生きていたはずなのに、人と比べて敗北感に苛まれる。休日返上で婚活を頑張っていても前に進まないまま時間だけが過ぎていく。自分に合う相手を見極めるために、比較対象を増やそうとしても思うように経験も積めない。時にはちょっとバカなふりをしても、バカになって楽しめるほどもう無邪気ではない。
とにかく毎日が生きづらく、日々自己肯定感が削り取られていく。自分が何者なのか、何をしたいのか、何が好きなのかわからなくなっていた。

でも、自分に取っての正解を自分の手で手に入れることは諦めたくなかった。

「セクシー田中さん」のキャラクターたちは生きづらさを抱えながらも寄り添い合いながら前に進む、自分にとって大切なものを少しずつ少しずつ見つけていく・・・。

それは、私の心に光をさしてくれる物語だった。
私は私のままでいい。枠をはみ出しても良い。自分を信じて胸を張り、曲がった背筋を何度でも伸ばして歩いていこうと強く優しく背中を押してくれた。

努力しなくても正解を掴み取れる人もいるけど、私は掴み取れない。だったら、何倍も努力するしかない。

田中さんがこれからどんな選択をしていくのかとても興味深く、その選択がまた私の背中を押してくれるだろうととても楽しみにしていた。

だから、こんな事になってしまってとても悲しい。
背筋を伸ばさなきゃと思っても、心の内側からうつむいてしまってうまく伸ばせない。

でも、自分の足をしっかり地につけて進まなきゃですよね。進むしかないんですよね。

芦原先生にはもう伝えることができないけれど、「セクシー田中さん」という作品に支えられた人間がいたことを言葉に残したくてnoteに記しました。
芦原先生の御冥福を心よりお祈りいたします。
あたたかいところで心も体もゆっくりされていますように。

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