3年後の未来を思い浮かべる。
思わず車のエアコンをつけずにはいられない陽気だった金曜日。
つい先日新年度を迎えたはずなのに、もうゴールデンウイークがすぐそこまで迫っているのを知った。
私が愛媛から広島に戻って3週間があっという間に過ぎた。
愛媛で活動しようとしていた児童養護への取組みが、転勤により白紙になり「どうしたものか…」と思っていたのを思い出す。
バカなりに行動して、ダメならダメな時に考えればいい!と言う能天気さだけを武器に3週間活動してきて、振り返れば何となく「やるべき事」が今は見え始めている。
私は、よく「3年後の自分」を想像する。
3年後どうなっているか。
以前は「たぶん今と大きく変わらない生活だろうな」と感じていた。そのことに対する情けなさも多分にあった。
変わりたい、変えたい、でもきっと変わらないよな…
何処かで努力しない理由を探して、その自分を許す方法をいつも探していたように思う。
大きなきっかけ
①畑山VS坂本 戦(WBA世界ライト級タイトルマッチ)
ヒールに徹した畑山選手と、養護施設出身の坂本選手の試合。スポーツの試合を見て初めて涙が出た。坂本選手の「児童養護施設の子供達に夢を見せたい」という鬼の執念と、敢えて憎まれ役になることを受け入れ、坂本選手のために引退を撤回し戦った畑山選手。
この時に私は「いつか自分も子供達に夢を見せてあげたい」と強く思った。
②親友の死
私の1番の親友は1998年に亡くなった。病名は白血病。
互いに全く違う性格で、最初の印象は最悪だったのにいつの間にかかけがえのない親友になっていた。
不真面目で完全な落ちこぼれの私と、野球部のキャプテンで学業優勝な彼。
いつ捕まってもおかしくない私と、将来を嘱望されだ彼が何故かウマが合い人生の時間の多くと共に過ごしたのだが、私は彼を助けてやれなかった。
彼が最期にくれた言葉は「友達であったことを誇りに思う」だった。
坂本選手の試合で生まれた気持ちを抱えたまま、自分は本当に亡くなった親友が誇れる人間なのか?という思いがずっと頭の中にあった。
③敬愛する人の姿
私の中でとても大きな存在である人。同じ学舎で学び同じ時間を過ごした。
その人が活躍する事を願っていたし、実際に本当にすごい活躍をしていた。再び、道を同じくすることは無いと思っていたが昨年またその人と話す機会があった。
その時に、坂本選手の試合のことや親友の言葉がまた私の中で膨らんだ。
そして3年後の自分を想像した時に「変えなければ」と本気で感じた。
かつて生まれた、何年も芽を出さなかった種に水をかけてもらったような気がした。
人生は待っていてもチャンスも幸運も降りてこない。当たり前の毎日を送って、いつか幸運が偶然目の前に落ちてくる日を待っていても出会う前に人生は終わる。
行動したって成功する可能性は1%かそこらだ。まず失敗する。しかし、行動しなければ可能性はゼロだ。
変わりたいと思いながら、年老いてオムツを履いてから後悔しても手遅れだと本気で思った。
その日から狂ったようにあらゆる本を読み、まず自分がやりたいことが何なのか必死で調べた。
日本ではそれをやっている人が居なかった。前例が無いなら、作るしか無いと思った。
幸いにして自分には一つだけ強みがあった。
「親友が生きられなかった未来を生きている」という事。
それを思うと行動することに何の恐怖も躊躇いも無くなった。彼が私にくれた勇気そのものだ。
亡くなってもなお、こうして私に力をくれている。
今のまま生きていても、人は必ず土に還る日が来る。政治に愚痴り、社会に愚痴り、SNSで心をモヤモヤさせても人生は1ミリも変わらない。
昨日やらなかったことを今日やる。ただそれだけが人生を変える方法だ。そして始めたら続けること。
3年後の自分を想像してみて欲しい。
今の私には以前とは違う景色がぼんやり見えている。やることは山積みだし不安だが、不安よりも遥かに大きな期待感がある。
3年後の自分を想像して、もしそれがあなたの望む未来じゃないなら明日一歩前に出てみて欲しい。景色は一歩分、変わるはずだ。
「生まれた時、きみは泣き、世界が笑った。
だから死ぬときは、きみは笑い、
世界が泣く人生を生きなさい。」
ネイティブ・アメリカン チェロキー族の言葉
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