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過去作ライナーノーツと、影響について

以前も一度書いたが最近になってようやく一年半前のデビュー作読切を読み返せる勇気が出た。それを皮切りに、学生時代に課題で描いたものやコミティアで頒布していたものなど、データに残っているものを読み漁った。歳末データ大掃除ということもあり。

で、年内はちょっと諸々の事情で無理(というかあと4日しかないじゃん!)なのですが年明けから現在の原稿作業の合間に過去作をインターネットで読める状態にできればな、と思っております。このアカウントと別にもう一つnoteを作って、そっちに漫画だけ上げるようにしようかな。

というわけでこちらでは感傷に浸りつつ、作品紹介と思い出話でもしようかなと思います。順番は特にこだわらず、描いた順で。

1.魔法少女☆マジカルニキビ

2014年ごろに描いた魔法少女モノの漫画。22ページ。自分に自信のないネガティブな中学二年生が、人間の負の感情の塊である怪物「フキデーモン」を「マジカル軟膏バズーカ」で倒して「マジカルニキビ」を集める、というもの。我ながら自分の命名センスのなさには呆れてしまう。〆切前の修羅場の時には「いや、フキデーモンて」と笑いながらペン入れしていた。こわ〜。
振り返って読むとこれはまさに自分のためだけに描いたような作品で、漫画という名のマスターベーションだなぁと恥ずかしくなる。しかしながら四年も前となると、アラァ頑張って描いたわねぇ〜、と親戚のおばちゃんみたいな目で見られるので不思議だ。

このころプリキュアにどハマりしていて、(いや、初代からずっと観続けていたけど改めて良さを確認しまして…)プリキュアについての論文もどきを書いたりなどしていた。子供向けって固定観念の刷り込みがない純粋な子供たちに向けて作られるものだからこそ子供騙しにできなくて、教育的役割を持っていることを自覚して真摯に表現しないといけない。みたいなことを語り始めるときりがなくなるのでこの辺りでやめておくが…

これは同期全体の合同展示に出すために間に合わせた作品で、同期たちが絵画やテキスタイルや立体作品を作る中私は勝手に漫画を描いた。というか、それをしてしまおうと思ってこの漫画を描いた。
それまでは私も、美術作品としてのものを意識してオタク文化的現代美術と銘打ったタブローやら立体やらを作って気取っていたのだが、この展示の1つ前に出したタブロー作品を見たとある教授に「無理してるんじゃない?」と言われたことがきっかけだ。確かに!私は美術が好きだけれど私のやりたいことは美術ではなく漫画だった!そういえば!!と、その教授のおかげで開き直ることができた。あれは人生でのターニングポイントだったと今でも思う。それからは開き直って、漫画でどうにかできる課題は漫画でどうにかしていった。開き直るって大事だな。でも今だに、「私は美術家にはなれなかった」という劣等感がある。私は劣等感の塊のようなものなので多くの劣等ポイントのうち取るに足らないといえば……いや……どうだろうか……。自分は商業作家の道を選んだという意識があるので、現代美術展に行くと「私はこうはなれなかった」と思ってしまう。それはそれで傲慢な考えだとも理解しているが、多分一生思う。

ちなみに原稿が間に合わなくて、全然関係ない軽音サークルの友人たちにベタやトーンを手伝ってもらっていた。本当にありがとう……。
これはペン入れからトーンまでフルアナログで、写植まで行った。一コマ一コマ糊ではっつけていた。ようやったわ。この頃は自分は一生アナログ人間だと思っていたな。いや写植はPCでしろよ、と今となっては思うが……。

このころまだ少年誌志望で、編集部に持っていって「オリジナリティがない」と一蹴された。(ていうか魔法少女モノを少年誌に持っていくな)

2.はじめての受動喫煙

2015年、コミティアで友人たちと企画して立ち上げた合同誌『JUN』に寄稿したもの。8ページ。高校生の男女の話。

上で語りすぎてしまったのでここからは手短に。
合同誌を作る上で、「漫画仲間を集めて、テーマに沿ったものを描いてもらおう」という決め事があった。記念すべき第1号の共通テーマは「はじめて」。ちょうど自分がこの頃煙草を本格的に(?)吸いはじめた頃だったので煙草をテーマにして描いた。
自分で感じるだけかもしれないが、この頃読み漁っていた宮崎夏次系先生の影響が強い…あと浅野いにお先生の「おやすみプンプン」。これはもう、むしろプンプンを横に開きながら描いたので影響どころではない。
それにしても一緒に描いていた仲間たちは今も活動を続けている人が多くて刺激になる。JUNはすごい雑誌になると思う。プレミアつくんじゃないか。

これは線画までアナログでトーン処理はphotoshopで行った。私は筆圧が強いので消しゴムをかけても鉛筆の跡が残り、印刷所から指摘が入って入稿作業が遅れてしまったのを覚えている。申し訳ない。

こちらにまとめています。

3.二見さんはいつもと違う

2016年。これもコミティアでJUNに寄稿したもの。16ページ。中学三年生の女の子二人の話。

この回のテーマは「いつも」だったのだが、中々思いつかなくて全く時間がなかった。ネームも含めて1週間くらいで描いた覚えがある。ゆえに読み返すと「背景を描く余裕なんざねえ!イマジネーション!!」という強い意志を感じて…うん…でも今見るとそれがまたいい味出してんじゃない?という気もする。どうなんだ。知人にかなり絶賛された覚えがある。有り難い。はじめてフルデジタル(photoshop)で描いて、むずかしーーー!と思った。

こちらにまとめています。

4.卒業制作で描いた作品

詳細を書くと多分大学や諸々がバレてしまうので伏せますが、宇宙と人間と多と個について描いた作品。さっき、本当に、卒業振りに読んだ。科学的なツッコミはさておき、結構ええやんけ…と思えた。今気づいたが私は過去の自分に甘い。

卒業制作の時期は本当に辛かった。私は舞台設定を決めてから描き始めるタイプなので自分でもどう落とし所をつければいいのか全くわからない。物語の落とし所はこれでいいのか!?という思いと、面白いのか!?という思いと、四年間の集大成と言えるのか!?四年間何をしていたのか自分は!?人間ってなんなんだ!?社会ってなんなんだ!?と、そういうことばかり考えていた。全然終わらなかったし。絵も荒いし。
でもずっと抱えていた思いを形に(物理的にも表現的にも)できたことは自分にとって試練であり、未だに乗り越えられていない部分でもある。ずっとこの不完全燃焼感を抱いて生きていきたい。

この話の中に出てくる、自律思考型助手ロボットB-13号通称ビビというキャラクターには描いている最中にも精神的にすごく支えられていた。察しのいい方は、きっとお気付きのことだろう……。
ビビのLINEスタンプを作ろうとずっと模索してるのだが中々アイデアが貯まらない。難しい。

おわりに

我ながら良くも悪くも多種多様というか、色んな印象のものを描いているな。新人賞を頂いた漫画はSFだし、その次に載った読切はファンタジーでコメディ(?)だし。でもSF的なものを描きたい気持ちはずっとあるな。だって、現実世界からの逃避で漫画を描いているところがあるから…………。

最近Twitterで「人の影響を受けたくないから人の作品を読まないことはウンヌン」という話題が流れてくる。その流れで言うと私は周りの影響を受けまくるタイプだ。面白い漫画や映画を見ると「すげ〜!私もこんなの作りてえ〜!」と思ってしまう。あんまり好き嫌いがないことも影響してるかも。
そのせいか、「〇〇に似てるね」と言われても気にしない(嫌がる作家さんも多いみたい)というか、むしろ参考にできて嬉しい。どんどん言って欲しい。
作風、絵柄含めて似ている/影響が見えると今までに言われたことがある中で覚えているのは、浅野いにお先生、浦沢直樹先生、ゆうきまさみ先生、石黒正数先生、などビッグビッグネーームな上尊敬している方々ばかりだ。恐縮である。嬉しい〜。(これは私がどうこうという話ではなく、先生方が『〇〇っぽさ』をそれぞれ作り上げてきたからということは重々承知であります。)

全然話がまとまらなくなっちゃった。

過去作を読み返していたのはデータの掃除をしていたこともあるけど、ちょっと元気がなかったからで、結果見事に元気とやる気が出た。過去の自分の作品に励まされるとは自己完結的で寂しく情けない人間な気もするが…。

これからもっとどんどんバンバンガンガン描いていきたい。頑張るぞ。

終わりです。

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