毎日修正パッチ

今日は高校の友人と遊んで浮かれていたのか、この時間まで完全にnoteのことを忘れていた。
どうもアイツらと遊ぶとなると感覚が完全に高校の頃に戻ってしまうらしい。反省反省。

今日遊んだ友人は大学+海外留学を経てめっちゃいいとこのラグジュアリーホテルに就職していたらしい。すごい。一瞬己の現状を省みて闇堕ちしかけたが、お互いノリが高校の頃と全然変わらないお陰でその場では秒で吹っ飛んでいった。
悪友とは偉大なものだ。

しかし高校の頃に戻ってしまう、なんて書いたが自分はあの時より何か変われているのだろうか。
当時もう既に「大人」というものに対して夢を見るようなこともなかったが、少し成長するくらいは期待していたはずだ。
高校生の自分よ、どうだい?少しは期待に応えられてるかな。
ま、高校生の頃なんて大抵ヒネたガキなので「カス」と一蹴してくるだろうが。クソガキがよ。
しかし寂しいことにそんなクソガキの返答すら聞くことはできない。時間というのは点の連続であり、不可逆なものである。
自分にできるのは、昨日から今日、今日から明日と少しずつ自分を更新していくことだけだ。

定型文ではあるが、「変わらないね」と「変わったね」はどちらの方が残酷な言葉なのだろう。まあぶっちゃけ言い方と受け取り手次第なのだが、そんな思考は自問自答だからできること。
大抵友人と会う時口をついて出るのは、喜びを伴う「変わんねーな〜!」だ。これでもし傷付いていた友人がいたのならこの場を借りてお詫びしたい。ごめんな。自分は性格の割に、変化に臆病な方なのだと思う。
逆にどこまで変わってたら挨拶が「変わったな」になるんだろう。髪が七色に染まり、袖口から紋々が見え隠れしたりしてたら流石に言うかも。どんな仕事してんのかも気になる。

けど、そいつ自身であることに変わりはないわけだしやっぱり反射的に「変わんねーな〜!」って言っちゃうかもしれない。
先に「時間は不可逆」と書いたが、それ故にそいつと自分が友人である、ということは決して消せないことだし。
それに自分はスパダリではないので、髪の長さをミリ単位で把握したり、「今日のネイルのベースカラーは#FF84B7じゃなくて#FF96C0なんだね」とかも言ってあげられない。それはそれでちょっとキショいか。

しかし何年か振りに会ったのに本当に何も変わっていない、ということもないだろう。
結局のところ、「自分のダチの誰々」という認識に対して「変わんねーな〜!」と言っているだけなのかもしれない。そして、「そっちこそ」を期待している自分もいる。
その時だけでも、ただただ当時のままの「誰々のダチの自分」でいることを許されたくて。懐古厨なのかなあ……。

むしろ自分はどうなったら「変わったね」と言われるのだろう。10年振りくらいに会った小学校の友人にも「マジで変わんないな」と言われる。それもそれでどうなんだという感じではあるが、事実性根は全く変わっていないので否定する理由もない。いや、光の陽キャ小学生時代に比べたら悪い意味で大人になってはいるだろうけど。

自分は気付かれないよう、「誰かにとっての自分」を見失わないよう、こっそりこっそりと自分に修正パッチを当て続けるだろう。明日も、明後日も、明明後日も。それの是非についても、それがクソ修正かどうかも、誰かに問うことはしない。できない。自分と相談して決めるしかないのだ。
けどまあ、たまには今回の記事みたいに甘えて過去の自分に「お前はどう思う」と、問うてみる日もあるかもしれない。自分は基本的に自分のことが嫌いだが、過去の自分からしたらアップデートを積み重ねた後の自分ってのを少しは気に入るかもしれない、なーんて。

いつか自分の好みと現在の自分が一致して、自分を好きになれる日が来ますように。

拜拜。

追記:公開設定に飛んだらこれでワロタ

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