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形見の時計、腕にはめると父の過去に少し近づけるような気がして

亡くなった母が保管していた父の形見の腕時計ふたつ、持ち帰って試しに竜頭を巻いてみると、なんと動くじゃないですか。40年くらい前のモデル、手巻きと自動巻き機械式の精巧さと耐久性には驚きました。

ともにスイスの高級メーカー品です。父がその時計を大事そうにはめているのを見た記憶がある。でもねえ、そんな高級時計には興味がないし、散歩や仕事のときはスマホがあるので不要。それにこれは旅行や山登りには向かないなあと逡巡してました。

形見だし、動くし、せっかくだから身に着けてみようかと2,3日会社にお供させてみた。自動巻きは問題なく動く、ただちょっと重い。もうひとつのは手巻きで、気がつくと止まっていた。毎日ネジ巻きが必要です。自動巻きも同じ、放っておけば動いてくれません。もちろんクォーツじゃないから日々の時刻合わせも必要でしょう。

毎日世話がかかります。

父が亡くなった年齢をひとつ越えました。田舎の家を処分するのを機に、父のことを少し調べてみようと思った。戦争で中国に従軍していた当時の古い写真が2枚、なぜか気になっています。

この時計が語ってくれるには時代がちがうけれど、身に着けることで少しでも近づければとの思いがしました。そう、その時計、ベルトの長さがわたしにぴったりだった。