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本みたいなものを作りたい

揮発してしまうものを捉えたい。

つなぎとめておきたい

 どうも俺はコーヒーが効きすぎる体質で、久々に飲んだりすると本当にハイになって「宇宙が半分わかった!」みたいなことを言い出してしまうんだけど、こういう精神状態で書きなぐった断片を、一時的な気分のムラとしてではなく、後から取り出せる何事かとして、こちら側の世界につなぎとめておけないか?ということを考えている。

 自分の他愛のないアイデアや、それ単体では非力な言葉を、何らかのテーマに基づいて引用可能なひとまとまりにしたい。

 そうしないと、せっかく(何がどうせっかくなのかわからんが)思いついたことが消えてしまうし、同じことを何度も閃いてグルグルしてしまう。

そう簡単なことではないし

 実は前職で本の執筆の現場に携わったことがあり、一冊の本が世に出るまでには、ものすごい労力が必要とされるのも知っている。だから、そのフォーマットに対しては限界まで省力化するとして、問題は内容だ。

 個人的に取り組みたいテーマはすでにある、しかしそれを、まともな…というか、責任のある文章にするための術を知らない。その責任というものが、どれくらいの範囲に及ぶのかすらわからない。

未来の自分のために

 思えば、これまで描いてきた文章には総じて「自分のために書いている」という開き直りがあった。そこでいう「自分」とは、書いている自分であって、未来において読み返す自分は他人である。だから読み返すことも、ほぼない。

 これを、少なくとも未来の自分という他人に向かってまとめることをしたい。あるいはできるようになりたい。できることなら、なにか楽しいことの副産物として、自然とできるようになっていたい。

いったん目的を忘れる

 こうした調子のいい欲望をどう満たすか?を考える。しかし例にもれず、この文章を書いている時まさに、カフェインによってハイになっている。だから経験上、ここに書いていることは極めて当てにならない。悲しい。

 なので、この「本を作りたい」という欲望を、いったんなかったことにして、自然とそのようになる、自然と本のようなものが生成されるようになる道程というものを考える。

 それはテーマ性をもった小テキスト群をまず作ることだと仮定する。それなら、気が向いた時(おそらくほとんどがコーヒーを飲んだあと)に、その場で完結するサイズの文章を書いていくことの延長によって実現するのではないか、と仮定する。

正解を選ばない

 本当は、その道の人(?)にもっとも効率的で効果的なアプローチを示唆していただいて、それに従って最短距離でやりたいことを実現したい。しかしそのような態度が、俺の人生に何をもたらしてきたかを、まったく振り返りたくない程度には、そのような態度を選びたくない。

 なので無駄で非効率で、ある意味でもっとも雑なやり方でやっていく。そこに無理のない工夫を加えていく。たとえば後から分類できるようにタグをつける(当たり前のことかもしれない)とか。

情熱なき捏造をしたい

 ここからは恥ずかしげもなく書いて、恥ずかしげもなく、しばらく書かなかったりする。あるいは、書くこと全部が、直接あるいはうっすらと、本(のようなもの)に向かっているということになる。

 書かずにはいられないものがあるわけではないので、結局書けなくても良い。結局できなかったまま死ぬと決まったことが多すぎて、今やそういう何かに、こだわるだけの気持ちもない。

 だから世間に言われるような情熱、ある種の「力み」に頼らずに、だらしなく、根も葉もないくだらないことを書く。そしてそれを、これまでとは違って、何か読むことのできるものに仕立て上げる。つまり捏(で)ち上げることをしたい。と思ってしまった。困った。

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