瞑想をテンプレートとして使用する
若い頃から何度か瞑想にチャレンジしては、習慣化に失敗し続けてきた。
それでも、俗世的な利益は得られるようになってきたので、それを書き留めておこうと思う。
効き目には個人差があります
久しぶりにする瞑想には、大変意味がある。自分の状態を客観視するためだけに10分以上の時間を割くと、気分とも体調とも言えない何かが良くなる。
しかし2日目や、その日の夜の瞑想には、あまり効果を感じない…反復することで、もっと楽になっていくものだと聞いたが、個人差があるのか?
とにかく、このせいで習慣化ができなかった。
習慣化しなくてもよい
瞑想の構成要素について、精神状態を考えないと、以下の通りになる。
姿勢
呼吸
表情
この3つはいくら怒っていても、悲しんでいても、やろうと思えばいつでもできる身体操作である。
そればかりではなく、操作された身体の状況は、つねに精神にフィードバックを与える。つまり、身体操作を経由して精神に働きかけるための、一種のテンプレートとして瞑想の状態を再現することができるのだ。
猿の触手
たまにでいいので瞑想することで、身体のテンプレートを確認する。そして、それを生活の中で何度も呼び出す。
これは何も、感情を鎮めるために使えるだけではない。
自分はデジタル機器を通じて、主な仕事や対人関係を構築しているので、とにかくSNSのタイムラインと通知のチェック、即レスによる対話、オススメの記事やトピックなどに、意識が瞬断され続ける傾向がある。
ナヴァルも言っていたことだけど、頭の中の猿たちが、一斉に腕をあちこち伸ばしている状態に近い。
テンプレートを呼び出して猿の触手を畳み込む
興奮するし、楽しいし、それを使う仕事もあるから、猿の触手が悪いものというわけではない。ただし、場にそぐわないことも大いにある。
その時、瞑想によって用意した精神のテンプレートを、呼吸・姿勢・表情の操作によって呼び出すことができる。
これは、猿の触手をオフにすることを意味する。
精神状態は身体操作を通して制御の余地がある
もちろん万能ではないけれど、これだけでも瞑想の効果があると思える。逆に、やる気を出したい時の身体操作・テンプレートもきっとあるのだろう(ワークアウトがそれか?)
とにかく反射的に環境に適応すると、それが社会的に最適であるとは限らない。このあたりのセンスをもう少し持つことができれば、余計なミスや滞りが減るかもしれないので、引き続きやっていきたい。
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