でち日報2024/04/13

昨日は奥さんに無理を言って、午後も事務所で仕事をさせてもらった結果、まあ息継ぎができる程度の進捗が出てきたのでよかった。心の余裕が生まれ、夜には映画まで観れた。

今日はその代わりに事務所(実家)まで、でちおを連れてきた。これでようやく奥さんは一人の時間を過ごせる。お風呂をクエン酸で掃除したりしたいが、買ってくるのを忘れたということで、来週もこういう日が作れればいいなと思う。でちおは下の階でPOCOYOを観たり、家中のものを開け閉めしたりしている。

逆に週1ペースで奥さんの実家にでちおを連れ出してもらっているが、これは仕事を進めるチャンスだとわかっていながらも、いつも寝て過ごしてしまう。

頭が余っているせいか、昨日からずっと「5000人の奇跡」のことを考えている。パン5つと魚3尾で5000人が腹いっぱいになったというアレだ。

ここでいう奇跡というのは、因果関係の不明を指しているんだろうな。という解釈をしている。水の上を歩けるのは物理的な不明であるし、少ない食糧が大勢を満たすことができるのは、社会的経済的な不明である。

それを解き明かそうというでもなく、自分の生活に活かそうというつもりもなく、ただ実感として「そういうことは割とあるよね」と思わせてくれるあたり、さすが聖書といったところ。

余っている資源を、最も効果の高いところへ投下する。という言い方をすると、これはもう経済性の中に組み込まれてしまい、奇跡の起こる余地がない。

効果的でない、トラブルになる。そういう算段を無視する場面というのは確かにある。それだけだと続かないというのもわかる。

こういうことを踏まえると、やはり贈与というものが、結果的に贈与としか呼びようのないものとして表現される。という在り方が本来的なのではないかと思ってしまう。ザ・贈与です!という贈与は、一番重要な部分を損ねている。「お金配り」とかね。

明らかにカフェインでハイになっている。毎日これくらいの感じがいいのだけど、そうもいかないことはわかっている。

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