でち日報2024/04/10

重い腰を上げて何かを開始すること、そしてその作業を止めようか迷って、もう少し続けること。

それ自体を求めているのではないか?と仮定すると、色々と辻褄が合う。仕事をしたくないことも、好きで始めたはずのことも、それをしたい気持ちにならないのは、「したい気持ちではないことをする・続ける」ことをこそ、目的にしているからだ。たぶん。

ビデオゲームへの没頭もそうだ。したい気持ちではないことを開始して、続けること自体の快楽を供給している。一日の中で十分に獲得できなかったそれを、埋め合わせているのだ。たぶん。


twitterから離れてみて、今度はnoteからも離れてみたくなった。通知は従来通り利用して、内容を外部リンクにするか、ワンタップの手間がかかるから同内容を転記するだけでもよい。

ちょうどDockerの参考書の内容で、WordPress構築を実践するという工程が残っていた。サーバーもドメインもあるし、あるいはドメインは新たに取得してもいいし、広告やらPVやらを意識するつもりもないので、やってみるのもいいかもしれない。


一時的に利用していたものが、いま妥当でないと判断するならば惰性を切る。その跳躍もまた、したい気持ちではないことをすることの、一例になるのかもしれない。自分の意思があることの不快は、自主性の発揮が不十分であることのくすぶりから来ていたのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?