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誰の人生だ?俺が決めた人生はこれだ。

こんにちは!

中央大学経済学部3年の
大川翔(おおかわかける)です🤗

僕は、12月12日をもって

9月末から始めた就職活動を終了しました。

結果としては、

有難いことに

4社から内定を頂き
そのうちの1社に内定承諾しました。

2021年4月からその会社で

社会人としてのスタートを
切ることになります。

【なぜ僕がこの記事を書くのか】

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僕は、自分のなりたい姿のために

最良の企業を1社見つけることができたため、

就職活動を終了できました。

僕は、この記事を見た人に、

「人生をどうするかはキミシダイ」

ということを伝えたくて書いています。

この記事は、僕のエゴでしかありません。

これを見て、「だから何?」

そう思う人が大半なのは分かっています。

けど、少しでも感銘を受けて

前向きになってくれる人がいるならば、

この記事を書く価値は
あるかなと思っているので

僕の想いをここに綴っていきたいと思います。

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先ほども言いましたが、
僕のこの記事は、

少しでも前向きになれる人を
増やすためのものです。

この記事を読んで

僕のことを知ってほしい。

そして、

自分と向き合い続けてほしい。

その上で、僕に会って話したり、

僕のやりたいことに賛同して

一緒に何かを推し進めてくれる方がいたら

嬉しいなと思っています!!

〜必ず僕と会ってくれたら
価値ある時間にすることをお約束します〜

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僕も今年の3月まで、

将来のこと全く考えていませんでした。

「やりたいことがわからない」

そういって悩んでいました。

けどそれは、

単に僕が本気で見つけようとしてなかった

だけだと気付きました。

僕の過去や今、

そして、将来について知った上で、

少しでも僕に対して興味を持ってくれた方は、
僕と1度話をしませんか?

僕は、今年たくさんの方にお会いして、

予定表を振り返って見たら、

新しく繋がった人は、

今年だけで200人を超えていました笑

社会人の方、大学1年生から大学4年生。

さらには、高校生にも会ってきました。

就活・学生団体・サークル・NPO・事業・起業・インターン・プライベート etc.

僕の知ってることで
話せることは何でも話ます!

【プロフィール】

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中央大学経済学部/3年生/1998.10.25/さそり座/O型/福島県郡山市出身/全国高校サッカー選手権福島県大会準優勝/サッカー歴12年(小2から大1まで)/ONE OK ROCK/勉強は大い嫌い/スポーツは大好き/日本一の大学サッカーサークルでサッカー引退(挫折)/海外ボランティア(ベトナム🇻🇳で家を建てる)/バックパックで東南アジア🇹🇭🇱🇦🇰🇭周遊/NPO法人きたまる立ち上げ・運営(現・学生代表)/個人事業主経験(恋愛カウンセリング)/父親が社長(移動販売事業)/and more・・・

[僕の人生の生きる指標]

<ビジョン>
自他ともに尊重できる世界を創造する

<ミッション>
身近な人を幸せにする

 [僕の今の目標]
30歳 ”かっこいい事業家パパ”

この背景はものすごく長くなるんですが、

僕の過去を簡単に紹介ししますね😌

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<僕の人生は玉の輿>

僕は、めちゃくちゃ馬鹿なんです。
どのくらいバカかって?

わかりやすいので言うとーーー
あ、大学1年生の最初に受けた
TOEICの点数。

誰にも言ってなかったんですけど
260点でした笑笑

まあまあ有名なMARCHとか言われている
中央大学に通っているんですが、
ほんと中大の関係者の方ごめんなさい。
大学の基準下げてしまって😅笑

僕が大学入れたのも
本当にラッキーだったんです☘

<小学生時代>

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小学生時代は、とにかく楽しんでいた。

僕は、
小学2年生からサッカーを始めました。

小学校の友達R君に誘われて始めた
僕は熱中しました。

スクールコースから選手コースに行き、
小4からは、週末土日は
毎回片道2時間近くかけて行く場所で
サッカーをしていました。

小5.6年では、
地区の選抜や福島県選抜にも
選ばれていた。

とにかくこの時は
無我夢中でサッカーをしていて、
楽しかった。

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小学校では、
6年間ずっと1クラスだった。
小学生の頃の僕は、
とにかく目立ちたがりで、
負けず嫌いな性格で、泣き虫だった。

スポーツではとにかく誰にも負けたくなくて、
持久走大会では6年間1位だった笑

結構自慢😌

<中学生時代>

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中学生時代は、
今までの人生で1番ハードだった。

小学生時代からやっていたサッカーを
本気でやりたくて、
部活ではなくて
福島県でもトップレベルの
サッカークラブに3期生として入会した。

そこには、
福島県選抜の同期も5人近くいたり、
各地域の選抜の人がほとんど集まるような
有名クラブで、練習がハードだった。

週2回練習をしながら
週末は試合をするという
サイクルを3年間行っていた。

夏休みなどの遠征なども
色んな地方に行き、レベルの高い環境で
サッカーが出来た。

福島県大会では、優勝することもでき、
東北大会でもベスト8という結果を残せた。

中学校では、
はじめはバスケ部に入ったんです!笑

けど、訳あって、
担任の先生に陸上部に入れと言われ、
渋々、陸上部に入りました笑

長距離が得意だったので、
1500mで福島県大会で
入賞したこともあるんです!😏

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さらに、僕の中学校が
特設駅伝部が強くて、
中学2年生の時には、
県大会で準優勝して、
東北大会にも出場しました。

<中学時代ライフサイクル>
6:00起床→7:00駅伝部の朝練(30分間走)→8:00~16:00授業→17:00陸上部の練習(300mインターバル10本)→19:00サッカークラブの練習→22:00帰宅

めちゃくちゃ走ってました笑😬

勉強の面でいうと、
僕、ほんと頭悪すぎて、

受験前の模試の偏差値45だったんです。笑

けど、
サッカーと駅伝で実績があったので、
偏差値60の進学校として知られる
県立高校にスポーツ推薦で合格出来たんです!

中学の英語の先生には、
「本当に大丈夫?」
と真剣に心配されたのを覚えてます。笑

<高校生時代>

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高校生時代は、
サッカーと青春の3年間でした。

勉強の面でいうと、
1番初めのテストは、実は
学校でビリから2番目だったんです。笑

これは誰にも言ってない。😅

けど、負けず嫌いだったので、
定期テストだけは頑張って
クラス5位とかまではいけたんです笑

部活動では、
県大会優勝して全国大会出場を目標に
頑張っていました。

1.2年生は、なかなか上手く行かず、
試合にも出られない時期が続きました。

「なんで出られないんだろう」

そんな不満を持ちながらも
とにかく頑張っていました。

3年生になり、自分達が中心になってから
スタメンで出れるようになりました。

監督には
1.2年生の頃は認められることもなかった
んですが、
3年生になると少し期待してくれるようになり、
すごく楽しくサッカーが出来ていました。

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最後の大会。
チーム全員で戦い抜き、
県大会決勝まで行くことが出来ました。

結果として、
決勝で0対2で負けてしまい、
全国大会出場の夢は叶いませんでした。

しかし、
高校時代に本気で取り組んだ
サッカーで1つやり切れたことは大きかった。

勉強の面では、本当にくそでした笑

進学校ということもあり、
先生方が国公立大学を勧めてくるが、
僕は到底そんな頭はなかった。

そのため、母親には
「大学なんて行かなくてもいいんじゃない?」
そう言われていた。

けど、プライドが高い僕は、
「みんな行くのに行けないの
なんて恥ずかしい」
と思っていたため、
どうにかして大学行く方法を考えました。

すると、指定校推薦というのが
あるというのを知り
それで大学行くことを目指しました。

母親には、
「国公立じゃないと無理だよ」
と言われていたが、

父親が、
「私立大学でもMARCHレベルなら
いいんじゃない?」
と言ったため大学の選択肢がありました。

僕の高校は、
MARCHが指定校で青学・中央・学習院
の3枠しかなく、それを目指して
定期テストだけ頑張っていました。

大学はどこでも正直よかったし、
将来やりたいこともないから
文系の経済学部だったら
なんか就職のときに幅広がるんじゃん?
ってだけでで中央の経済を選んだんです。

もちろん、
センター試験の偏差値は50もないまま
大学に進むことになりました笑

<超絶怒涛の大学生活>

~サークルとバイト~

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僕は入学して、
よくしてくれる先輩がいたからという
安直な理由でサッカーサークルに入りました。

そのサークルは
めちゃくちゃ強くて、
日本一になっているサークルでした。

先輩や同期にも
高校サッカーで全国大会出場している人は
多数いて、
「あ、俺違うかも」
「俺なんかサッカー大したことないわ」

そのように感じました。

練習や大会に
あまり行かなくなり、
サッカーをするのが
あまり好きではなくなりました。

居酒屋とパチンコのバイトをしながら
ひたすら社畜になっていました。笑

~ボランティア活動~

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2年生からは、
「新しいことをしたい!」
そんなことを周りには言ってはいますが、

サッカーから逃げるために、
海外ボランティアのサークルに入りました。

夏には、
ベトナムに3週間ほど行き、
現地の大工さんと一緒に
レンガ積みやセメント作りなどをして
家を建てるボランティアをしました。

実質初めての海外で
めちゃくちゃ楽しかったです。

ボランティアをして
僕の中で、残ったことは、
楽しかった思い出と経験です。

~NPO法人の立ち上げ~

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また、先輩の誘いをきっかけに、
地方創生のNPO団体の立ち上げを行いました。

地元と関わりをも持つことが
東京に上京してから
ほとんどなかったため、
いい機会を作れたらということで始めました。

上京してきている地方出身の学生や
首都圏の学生に
“東北の魅力を知ってもらいたい”
という思いで、
NPO法人きたまるを立ち上げました。

現地の自治体と協力して
農作業体験やイベント・お祭り運営を行う
「スタディーツアー」を主に行っています。

東北地方をPRする活動ということで
中学大学の学園祭で
福島県のソウルフードのパン
「クリームボックス」
を販売したりもしました。

~幻のゼミ長~

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海外いけるっていうのだけで
ゼミを入り、就活で話すネタに出来れば
と思ってゼミ長を立候補しました。

テーマは、
「グローバリゼーションと経済格差・地域経済」
的なやつです。笑

ゆるーくゼミを進めていて、

海外研修があり、
韓国研修で韓国の大学生と交流して
楽しかったですね笑

ほんとクズですよね笑

僕はちゃんとやってた
つもりだったんですけど、

まさかのゼミ長を交代する形になり、
僕は1年でゼミ長を退きました笑

~プライベート~

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ここまで固いことしか
書いてないですが、
もちろんめっちゃ遊んでました。

友達の影響で
TWICEにハマって
ライブには3回行きました。
(ちなみに・チェヨンペンです笑)

その他も、ワンオク、backnumber、Taylor Swift、Katy Perry、エド・シーランのライブに行きましたね笑

韓国旅行したりもしたし、
3週間バックパックで
タイ・ラオス・カンボジアを
周遊したりもしました!!

多分、遊びにバイト代全て使ってましたね笑

(この辺めっちゃ簡単に書いてるので
会った時に詳しく話します笑)

【ターニングポイント】

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僕は、大学3年生になる時、
将来のことを少し考えるようになりました。

というのも
小学生の時サッカーを一緒にやっていた
旧友と7年振りぐらいに再会した時に
僕は、焦りを感じたからです。

なぜかと言うと、
彼は、
圧倒的に僕の周りの同学年の知り合いとは
違っていたからです。

もちろん7年振りに再会したので、
外見などはもちろん変わっていましたが、

彼は、将来どうなりたいかを
真剣に考えてそれに対して
今やるべきことを行動していました。

僕は話をしてて
「すげー」しか言えてませんでした。笑

僕は、悔しかったんです。

そこから僕は変わりました。

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本気で自分の人生を
どうしたいのか考えました。

なんも阻害要因などを考えずに
何したいのか。どうなっていたいのか。
自問自答した時に、出てきたのが、

“福島に暮らしたい”
ということが出てきたんです。

けど仕事どうしようかな。
と考えた時に、
僕は普通が嫌だったんです。

普通は、
大学卒業してUターンして
福島で就職することだと思います。

けど、僕はそれだと
なんも変わらないなと思ったんです。

~僕の父親の存在~

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僕の父親は小さな会社の社長です。

僕はよく父親の
仕事の手伝いをしに行っているんですが、
その父親の働く姿が
“カッコイイな”と思ったんです。

何がかっこいいと思ったのか
それは、
やりたいことを仕事にしている
からです。

僕の父親は、
大手の会社でサラリーマンを
16年間していました。

しかし、そのバックグラウンドを捨てて
自分で0から事業を始めたんです。

39歳の時にそれを始めた父親が
何よりかっこいいなと思いました。

僕はそんな父親に憧れました。

自分でやりたいことを仕事にできる

そうなろうと決めました。

そこから僕が身につけようと思ったことは、

①商売=ビジネスをできる力(0→1)
②チームをまとめられる力
③人を巻き込む力

これらの3つでした。

そのために、僕は
今年の4月から今まで動いてきました。

~恋愛カウンセリング事業~

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4月からWebマーケティングを学び、
オンライン上で
恋愛カウンセリングの事業を作りました。

18歳から24歳の若い女性に対して
男目線でアドバイスする
カウンセリング事業で、
総勢500人以上の
カウンセリングを1人で行いました。

そして、
6月に初収益15万円を上げることができ、
0→1をすることができました。

この事業やってる中で、
1人で事業を0から作る大変さを知りました。

そして、
ビジネスは感謝を貰うことなのだ。
ということを感じました。

さらに、独自のWebサイトも開設しています。

※現在は、一旦運営はストップしています。

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さらに、

事業をする中で
たくさんの社会人の方との
繋がりができました。

僕の事業は、
ブログ集客が主だったため
宣伝会議賞で
金銀銅賞を何度も受賞されている
“伝説のコピーライター”竹島靖さんに
キャッチコピーを考えて頂き
ブログのコピーライティングの指導を
貰うこともできました。

~出会った仲間~

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NPOの活動、事業活動など
様々な活動する中で、
たくさんの人と出会いました。

大学では、到底出会えないような
人達と一緒に語り合い、
かけがえのない仲間ができました。

1年生から4年生関係なしに
僕の活動の繋がりからたくさんの仲間が
出来たことがものすごく嬉しいです。

<これからの僕って・・・>

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そして、
ここからが大事です!!

僕はこれから就職するまでの間に

たくさんのことに挑戦していきます!!

それは、また今度記事にしますが、

全ては、

”かっこいい事業家パパ”

になるためです。

僕の定義する

かっこいい・・・背中で引っ張れる人間

理想像 ONEOKROCK ボーカル taka

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僕は、takaのようになりたい。

自分の決めたことに対して真っ直ぐで、

努力を惜しまない。

そして、
信念を貫き、常に先を示し続ける男。

それを見た多くの人が

「お前みたいになりたい」

「お前のおかげで頑張れる」

「ありがとう」

そう言いたくなる。

僕は、そんな人がかっこいいと思っています。

事業家・・・好きなことを形作れる人間

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僕は、最終的にやりたいことは
特にありません。

何十年後の世界なんてわからないし、

そんなの決められない。

だって時代は変化するし、僕も変化する。

だからこそ、

「これをやりたい!!!」

そう思った時に、
それを0から創り出せる人間。

そんなクリエイティブな
事業家になっていきたい。

パパ・・・家族を笑顔にさせる尊敬させるパパ

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僕は、28歳までには結婚したい。

子供も欲しい。

若くてかっこいいパパって良くないですか?

そして、僕は、

身近な人(家族)を大切に。

笑顔にさせ続けられるパパでいたい。

僕の父親は、仕事人間です。

もちろん仕事に一生懸命なことは
大事なことです。

しかし、仕事が何のためなのか。

その目的の1つに必ず、

家族のためであることを忘れてはいけない。

僕の父親は、
家族のために働いているかもしれないが、

表現の仕方が所得でしかない。

僕は、尊敬されるパパとして

表面的に表現していきたい。


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僕が今こうした活動をしてるのも
僕の経験や出会った人に影響されています。

繋がった人から
また新しい出会いが出来て、
成功してきたこと上手くいったことも
たくさんあります。

だから、

このブログを見て少しでも

前向きになれた人がいたら
いいなと思っています。

別に、
これから何したいとかどうなりたいとか
なくてもいいです。

自分の人生は、自分が決めればいい。

”キミシダイ”

他人と比べる必要もない。
あくまであなたがどうしたいのか。
どう生きていきたいのか。
それを表現するだけ。

だから、
僕に少し興味持ってくれて
もっと知りたい。
価値観を共有したい。

そう思ってくれたなら
是非会いましょう!!

サークルの話でも、
プライベートの話でも、
就活の話でも
恋愛のことでも、
本当になんでも大丈夫です!!

どんな人生にしたいのか聞かせてください。

あなたの人生に幸あれ!!!!

僕もこれから走り続けます🔥

#就活 #大学生 #NPO #なんでもOK





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