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顔は履歴書 HSPの辛さ?

昔からよくいわれますよね
年齢を重ねるにつれてどんどん隠せなくなる(笑)
みなさんも実感されていると思いますが、
顔を見ただけで、だいたいどんな人か
あたりがつきますよね
みんな分かってしまう
もちろん例外はあるかもしれないけども
それはあくまで例外

いままで自分のやってきたこと
自分の構築してきた考え方、生き方、ものの見方
全部顔にあらわれてしまう

人相学とはちょっと違うと思います
これはもとからある顔のパーツの配置と
その性格やら指向を分析した
いわば「統計学」のようなものかと。
なので、いわゆる「変えられない部分」に関するデータですよね。

同じ基礎データ=変えられない部分=人相学
でも、何十年も人生を重ねることによって
その人固有の履歴書ができあがってくる
出発点は同じでも履歴書に書いてある内容は
変わってくると思うのです
当然といえば当然でしょうね

面白いのは、
それが文章ではないにも関わらず、
また、目と鼻と口、皮膚の筋肉の変化、
そんなにダイナミックに位置が変わるわけではないのに
けっこう適切に読み取ることができてしまう、
ということです

物理的な仮面でも被らない限り
どうやっても隠せない

コロナ禍で鼻と口は隠れましたが、
やはりとくに「目」
「目は口ほどに物を言う」
とはよくいったものです

どうやって人間が読み取ることができるのか
本当に不思議ですがそういう能力が備わっているんですね

また、ひょっとしたらこんな場合もあるかもしれません
能力が備わっているのに使いたくない人
(→刺激が過剰で読めすぎたりして人との関わり合いを極端に避ける)
能力が間違った方向に備わっている人
(→普通とは逆の意味に変換されたりする)
能力が備わっていない人
(→まったく解釈が伴わない)

生きづらさを感じてしまう場合もあるでしょう
あるいは独自の世界観を昇華させられる場合もあるかもしれません
ひとことに多様性といってもどう混じり合うか難しい問題です

スピリチャル業界でも
エンパスHSP(Highly Sensitive Person)なる語がよく使われるようです。つらさに目を向けるよりは自分の特性をどうやって活かしていけるだろうかということに目を向けられたらいいですね。

HSPのルーツは,アメリカの臨床心理学者エレイン・アーロンが,1996年にThe Highly Sensitive Person: How to Thrive when the World Overwhelms Youという一般書を出版した時まで遡ります。

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Wikipediaは珍しくエンパスもHSPも日本語のものはないようです。
↓ 英語版のもののみ。

多かれ少なかれみな同じ要素をかかえているでしょうから
なにごとも1か0かでは分けられないグレーゾーンが必ず存在する
これも難しさを物語っています
線引なんて本質的にできないということです

顔の履歴書も自分の作品
どうなっても味があればよし?
どう思われたっていいじゃないか?
まずは自身が自分の内側に輝けるものが見つかりますように

<記事備忘録(宇宙にきく)>

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