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いつから天之御中主神?

創造神として万物の根源である最も重要な神と考えられ、日本神話の天地開闢で登場する天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)。最近は少し時間も出来たので実際に、天之御中主神を祀っている神社でも回ってみようかと思った所、意外にもその数は少ない。『延喜式神名帳』にはそもそもない?とも。神社の主祭神として加えられてきたのは割と最近のことだと知った。

大阪では有名なサムハラ神社がある(奥之宮は岡山県)。小さな神社だがグッズなどで大変人気のパワースポットらしい(特に指輪が有名なようです)。著名人も頼りにするとか。一方、神社神職が祈祷中にわいせつ行為をする事件もあり(下記参照:文春砲)、色んな意味で話題には事欠かないようだ。

行こうと思ってセクハラ情報が入ってくるのもなんだかなあと思って、他の神社で探していたら大阪は交野市に星田妙見宮(小松神社)という所がある。木内鶴彦さんが見た「隕石が落ちた場所」という話でも有名。こちらも天之御中主神が主祭神になったのは江戸後期か明治時代からのようだが、空海の頃から磐座信仰の霊場としてあり、かなり歴史がある。平成28年(2016年)に鎮座1200年奉祝大祭が行われた。

スピリチュアルでも創造神として天之御中主神が取り上げられるようになったのはやっと最近のことなのだろうか。理屈で考えたら、全ての大根源をなぜこれまでずっとメインで祀ってこなかったのが不思議だ。どう解釈するのがよいのだろう。『日本書紀』にも正伝にはなく異伝で出てくるのみのよう。ひょっとして名前自体に重要性はないのかもしれない。はるか古代、自然信仰、磐座信仰のときには名前はなかったのだろうか。文字ではなく形のようなものであらわしていたのか、あるいはそれもなく、思念・テレパシーのみの世界だったのか、敢えて形に表さないのが暗黙の了解だったのか、いろいろ想像が膨らむ。

地球人としては実際の生活においては太陽の恵みの方が分かりやすいからだろうか。その太陽を創造したのさえ天之御中主神のはずだが、かつてはそうではなかったのかもしれない。上位概念ではなく北極星と太陽、並列で考えるものなのだろうか。または、時系列的にそうしなければ不都合なことがあったか。中国では東方世界の主宰神として天皇大帝があり、天の中心で不動の北極星を神格化した神で、何かそういう背景と関連しているのか。『古事記』以外で天之御中主神の名前あるいはそれに相当する存在は登場するのだろうか?

名前の定義も時代とともに変わっていくものなら、何について話しているのかもどんどん変わっていく。それはそれでいいのかもしれないが、大事なキーワードは語る前に定義をしてから進めるのが大事かなと思った。名前をつけるとどうしても世界の一部を切り取るような感じがある。なにか偉大なもの、名前のつけようがない、というのが実際かも(偶像崇拝の禁止の別の意味?)。そう考えるとやっぱり太陽って分かりやすいですな。それだけのことかもしれない。ちなみに口伝がメインとされている『正統竹内文書』には天之御中主神よりさらに前にも名前をつけているようだ。

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