チャッターアイランド vol.12

『チャッターアイランド』はDJ/プロデューサーのokadadaとDJ/ライターのshakkeがしゃべったことを記録する、という趣旨のテキスト/音声コンテンツです。毎月1回、月末の配信を予定してます。

シャケちゃんの昔話

okadada 前回、オレの昔話をして、そういやシャケちゃんの昔話を意外と訊いたことないって話をしたやん。学生時代の話とか、新宿OTOで働いてたとか、ライターはじめたときの話とか、断片的に知ってはいるけど、そういう話をちょっと今日は訊こうかなと思ってた。
shakke なるほど。たしかに。なんかあるかなぁ。
okadada 来歴的にやっぱOTOの話? いまは移転して渋谷にあるけど、移転前、新宿でやってたときのスタッフじゃないですか。
shakke うん、そうね。でも新宿OTOの前に、恵比寿のリキッドルームで働いてた、ってのがあって。新宿から恵比寿に移ったタイミングで入って、そこでオープンから1年くらいいたんだよね。
okadada そうなんや。それはいくつのとき?
shakke それは20歳のときかな。そうだね。その話って意外とあんまり話してないかも。で、1年くらいでリキッドを辞めて。そこから知り合いに誘われて新宿OTOに入るんだけど、それまでOTOは行ったことなくて。で、そこでバイトしだして。で、いまライターとかやってるじゃないっすか。ライターをはじめるきっかけもOTOでDJやってたひとに誘われてという感じで。その当時、『FLOOR』ってクラブミュージック雑誌で編集長をやってたひとがOTOでDJをやってて。で、そのひとに弟子入りするって形でライターをはじめるんだけど。
okadada 師匠がいるんや。ちなみにお名前は?
shakke 楠元伸哉さんっていう。レアグルーヴのDJもやってて、それこそ小林経さんの『Rouitin Jazz』ってパーティーでずっとDJやってたひと。
okadada へええ!
shakke でも、その前も新宿リキッドルームのマンスリースケジュールが載ってるフリーペーパーがあって、そこに原稿を書いたりとかもしてて。
okadada そうなんや。それは19歳くらい?
shakke そうね。19歳。
okadada それはなんで?
shakke これ、話すと長いんだけど、いちばん最初は高校の先輩が……
okadada それそれ! そういうの!
shakke フフフ。高校のひとつ上の先輩がラップやってて、DJもやってたんだけど、高校卒業後に新宿リキッドルームにアルバイトで入って。で、その先輩がリキッドのスタッフたちがやってるイベントでDJをやるようになるんですよ。そこにずっと行ってて。渋谷のオルガンバーでやってた『LUCID DREAM』ってパーティー。リキッドルームのスタッフが中心のパーティーでハウスのパーティーで。そこにいるひとたちとなかよくなって、その流れで恵比寿リキッドルームにも入るし、その前から“文章書くの好きだったらちょっとやってみない?”って言われて、はじめて新宿リキッドルームのフリーペーパーでインタビュー原稿を書かせてもらったっていう。
okadada じゃあ高校時代から文章を書くのが好きってのはあったんすね。
shakke そうねぇ。高校時代はバンドやってたけど、バンドをずっと続けていくわけにはいかんっていうか、その才能はないなと思ってて。でも音楽は好きだから、まつわることをやりたいなと思ったときに文章書くとかかなぁ、みたいな。
okadada そのころはウェブとかでも書いてたんですか? ブログとか?
shakke いや、高校の友達が作ってたZINE的なやつとか。
okadada へえ、最初っからそうなんすね。ライター人生のほうがなんなら早いという。
shakke そうね。最初はちゃんとした商業ライターみたいなことではないけどね。新宿リキッドルームのマンスリーでPolarisのインタビューをしたのが最初にお金をもらった原稿。でもド緊張して。
okadada そりゃそうでしょうねぇ。
shakke ずっとインタビュイーに“大丈夫?”って言われてたからね。
okadada ほんで、OTOは何年くらい働いてたん?
shakke OTOは21歳くらいで入って、ライターをやりながら28歳くらいまでやったかな。7年くらいはやったはず。いちばんハードなときはOTOで週5働いて、『FLOOR』で使いっぱしりのライターの仕事して、師匠がフリーのライターでもあったから小学館の『sabra』って男性誌に出入りしてて、そこの編集部のバイトもしてたね。その時期がいちばんハードだった。
okadada へえ、すごいっすね。これ、シャケちゃんのこと知ってるひとでもあんまり知らないんじゃないっすか。
shakke たしかに『sabra』の話はあんましてない。
okadada それが20代中盤くらい?
shakke そう。23歳とか24歳。
okadada 青春っぽい。
shakke 青春っていうか下積み? 『sabra』、やってましたねぇ。
okadada AD的なこと?
shakke いや、ADって感じでもないかなぁ。編集部にずっといる感じで。
okadada じゃあ日中は編集部に常駐して、夜はOTOで働いて、さらにライティングをやって。
shakke そうそう。大変だったって記憶はありますな。
okadada やっぱり訊いてみるもんですねぇ。
shakke ひとに歴史あり、というかねぇ。
okadada もちろんね、みんなそうなんですけど。ほんで、だんだんライターとしても仕事が来るようになって。
shakke そうね。基本的にFLOORでずっと書いてて、26歳ぐらいから師匠が『FLOOR』を離れるってなって。そこから自分がそれまでより書くことが多くなって。で、そこにプラスして外からの仕事とかが増えてきて。って言っても若いライターなんて使いやすいから、そこそこ話が来るわけですよ。そっから28歳とかくらいはOTOは週に2回くらいで、片手間という感じになったので辞めたって感じかな。だからオカダさんと会ったときはもうオレはOTO辞めてたもんね?
okadada そのはずですよ。
shakke そうそう。そんな感じでしたねぇ。……なんか自分で自分のことを思い出すのが懐かしいな。あんまり思い出したりしないもんね。
okadada オレもそんなにしょっちゅう反芻しないっすからね。
shakke あ、でもオカダさんとはじめて会ったのもたぶんOTOだよね。
okadada なんのイベントでしたっけねぇ?
shakke たぶんヨシ(当時のOTOの店長、伊藤慶彦)のイベントだね。
okadada 新宿OTOはね、何度かDJで出してもらいましたね。だって『Triforce』も最初期は新宿OTOでやったはずっすもん。
shakke あ、そっか!
okadada 渋谷に移転する前の年ぐらいにオレとGonbutoと石黒(DJ 1-DRINK)さんの3人でやったイベントっすね。
shakke オレはたぶん普通に遊びに行ってたな。

なにそれ……魔法やん

okadada どんな感じだったんですか、当時の自分を思い返して。まぁ思い出でもなんでもいいですけど。
shakke OTOってさ、いわゆるレアグルーヴの箱って感じなんだけど。働いてたときは火曜日がだいたいテクノのパーティーで。それ以外はヒップホップ、ジャズ、クロスオーバー、レアグルーヴって感じで。
okadada レコードのDJが生音をメインでやってく感じ。
shakke そう。あとCAPSULEの中田ヤスタカ氏のイベントもあったな。それまでもずっとやってたんだけど、たぶん2010年ごろとかかな、めちゃくちゃひとが入ってて。
okadada そのころのCAPSULEなんて超人気あったでしょ?
shakke そうそう。めちゃくちゃ入ってた。だいたいオカダさんは新宿OTOの規模感とかわかるでしょ?
okadada はいはい。わかりますよ。
shakke まぁ100人とか入ったらもうけっこうパンパンの箱。そこに260人とか入れてたから、ピークは。パンパンすぎて、全然お酒とか売れず。っていう時代でしたね。小西康陽さんとかクボタタケシさんとかが毎週末やってて、そういうのが見れたっていうのはめっちゃよかった。
okadada OTOは名門クラブっていうイメージはありましたからね。オルガンバーとかOTOとか大御所のひとがプレイしてる小箱、みたいな。
shakke そうね。だから自分でDJやるうえでたくさんいろんなDJを見れたのはよかった。
okadada じゃあけっこう影響があった?
shakke あったあった。なかなかさ、ああいうとこで働かんと、どういう流れでイベントが成り立っているかわからんからね。
okadada そうなんすよね。クラブで働かないとわからないでしょって思う。とはいってもオレも働いたことないからわからないんすよ。だからDJのときもできるだけオープンから行くようにはする。それでも準備段階までは見れないんやけど。
shakke そうそう。自分としてはとにかくいろんなタイプのDJ……よくないDJもいいDJも含め、見れたのは大きいかな。あと、ずっとおなじ場所にいるとさ、音響の良し悪しが比べやすいっていうのもあって。
okadada はいはい。基準があるから違いがわかるってことっすよね。
shakke それがわかってよかったね。すごいDJは鳴り方がすごい、みたいな。おなじ曲かけても雰囲気が全然違ったり。MOODMAN氏がやってるときもめちゃくちゃ音がよくて。OTOの構造って、ダンスフロアがあって、そこから一段上がったところの奥にバーカウンターがあって、って感じじゃん。
okadada ちょっと変則的なね。
shakke 普通に鳴らすとバーのほうまで普通に音が届くんだけど、MOODMAN氏とCo-FusionのDJ WADAさんがDJやったときはマジでバーのほうに全然音が届かないの。“音、小っちゃ”ってなって、“まだ音量上げれますよ”って言いにフロアまで行くと、フロアではめちゃくちゃ鳴ってるっていう。
okadada なにそれ……魔法やん。
shakke たぶんフロアのサイズ感の許容範囲内、空間の上限以上の音は出さないってことなんだけど。フロアにいるとすごい空間的に聴けて、“こんな空間になるんだ”って驚いたね。実際、そのほうが疲れずずっと踊り続けられるなと思うし。
okadada へえ、それはおもしろいなぁ。
shakke それ以来“いい音”の自分の線引きって、その空間のなかでいちばん鳴って、かつ疲れないってことだなって。
okadada ハウスとかは特にそうですよね。別のジャンルではまた別の基準があるだろうけど、ダンスミュージックのDJにおいてはひとつの到達点というか。
shakke そうそう。これって言葉では言えるけど、実際に体験するとより実感するというね。


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