チャッターアイランド vol.7

『チャッターアイランド』はDJ/プロデューサーのokadadaとDJ/ライターのshakkeがしゃべったことを記録する、という趣旨のテキスト/音声コンテンツです。毎月1回、月末の配信を予定してます。今回は写真家で嫁入りランドとしても活動するmieuxxxこと寺沢美遊さんをお迎えしてお送りします。

インディー資本主義

mieuxxx 最後に感動したのはなんですか?
okadada Jポップで?
mieuxxx 売れた曲で。
okadada 売れた曲ってどこまで?
shakke ビルボードチャートとか? これは膝を打ったみたいなのでもいいし、“これ、いい曲やねぇ”みたいなのでも。
mieuxxx めっちゃ好きって思ってるし売れてもいる、みたいな。
okadada 売れてるかどうかわからんけど、今年だっけかな、あの曲。
(鼻歌)
okadada あ、“Be Honest”!
shakke あぁ、Ella Maiじゃなくって……
okadada えっと、Jorja Smith。
mieuxxx それは今年だ?
shakke いや、去年だったような気がしたな。もっとポップス寄りなもんでなんかある?
okadada えぇ、たとえばどんなん? シャケちゃんが挙げてみてよ。
shakke 最後に感動したやつ? なんだろうなぁ……乃木坂46とか?
okadada ハハハ。やっぱ思い入れが必要なんかなぁ。
shakke まぁ、思い入れはだいぶあるね。
okadada 乃木坂のどの曲なんですか。
shakke “逃げ水”って曲は変な曲だなぁと思って。途中でさ、クラシック音楽の引用が入るのよ。なんだっけ、ショパンだったかな。サビ前のブレイクにショパンのピアノの引用が入ってサビがはじまんの。
mieuxxx Sweetboxみたいな?
shakke っていうより、いきなり曲の進行が止まって、引用が入って、脈絡なくサビに入っていくっていうのがあって、それは不思議な曲だったなぁと。
okadada 感動か……。好きなポップス、少ないかもなぁ。
shakke あと、自分が『声優レアグルーヴ』ってイベントでDJをしてて。声優の曲をかけるイベントなんだけどさ。今年に出た曲で、降幡愛っていう声優のシングル、なんかすごいなと思って。
okadada なにがよ。
shakke なんかね、いわゆる80’s的な音楽のこれまでいちばん引用しないところを引用してきたっていうか。でも、今年はWeekndの“Blinding Lights”があったから、そういうのが出しやすいっていうのもあったんだろうけど、ダサめの80’s、みたいな。
okadada a-ha的な、シンセ・ポップのいちばんシャバいところというか。
shakke そう。そのポイントを声優のひとがやってて……
okadada でもさ、それって声優のもともとの曲ってそれじゃない?
shakke そうそう。だから先祖返り的なことになっていて。しかも、そういうニッチな方向で先祖返りしてるのはおもしろいなっていう。結局、自分たちがDJでやってることが返ってきちゃって、なんか複雑な気持ちというか。その意味で今年ポップスでいちばん聴いたのは降幡愛のその“CITY”って曲。
okadada 自分はポップスから気持ちが離れて久しいからなぁ。Kポップももう1年半くらいちゃんとは聴いてない。耳に入ってるだけ、みたいな。周期的なもんもあるけど、5年ぐらい前からどんどん訴求力が下がってるかな、オレのなかでは。なんか退却戦みたいな感じするんですよ。それがたぶんうんざりしてるんだろうなぁ。それはインディー・ポップもそうなんすよね。ここ10年ぐらいのインディー・ポップを考えたら……こういう話はこれまでもちょこちょこ言ってたんだけど、最近、自分のなかでキャッチフレーズ化したんっすけど。インディーバンドのひとたちって2010年代以降は、“インディー”とは言いつつも、やりたい音楽のなかに資本的な考えが入り込んじゃってるなっていう。
mieuxxx ハハハ。はいはい。
okadada “わたしはやりたい音楽をやってる”と言いつつ、それ自体に資本的な考えが入ってるっていう状態がずっと続いてる。『BECK』っていうマンガ、読んだことありますか?
shakke うんうん。
okadada あれって(連載時期が)2000年ぐらいのときじゃないっすか。あれって高校生の普通の男の子が、洋楽好きな女の子が好きだっていう音楽を聴いて、それに衝撃を受けて、当時で言うミクスチャー・ロックのバンドをやって成功していくって話じゃないですか。あれ、いま見たらすごい隔世の念ありますよ。敵がアイドルグループとヴィジュアル系バンドなんよ。
shakke たしかに。
okadada 要は主人公側は正義のメロコア・インディーバンド。音楽を愛してロックをやりたいっていうヤツらと、それを利用して金儲けをしようとする資本側の悪いヤツらとの戦いなんですよ。
mieuxxx ハハハ。そんな話だっけ。
okadada そんな話なんよ。で、これをいま読んだらたぶん意味わかんないと思うんすよ。アイドルグループが悪者にされてる意味が今やとうまく掴めないと思う。“なんでこのひとらが悪者になってんねやろ?”って思うじゃないっすか。
shakke たしかに地図が変わっちゃった感があるよね。
okadada でもオレは読んでた当時……中高生のときはそれが普通に思ってましたもん。Jポップは悪者、バンドはいいもん、みたいな。
mieuxxx あぁ、それで思いだしたんだけどさ、中学で卒業文集って書かされるじゃん。同級生でベーシストになった子がいて。
okadada いまも?
mieuxxx いまもやってると思う。ジャズのベーシストで。ちょこちょこいろんなひとのバックで弾いてるみたいで。その子の卒業文集がすごいおもしろくて。2001年くらい。モーニング娘。とかの批判みたいなので。
okadada ハハハ。
mieuxxx 音楽の話をするひとが少なかったからその子と話すこともけっこうあったんだけど、やっぱりその文集を読んだときに、違うだろって思ったなぁ。わたしもジャズ好きだったけど、アイドルも普通に好きだったし。
shakke その子はさっき言ったような『BECK』的な価値観だったんだね。
okadada でもそれはみんなそうだった気がする。オレだってそうやったし、それは時代的な価値観っすよね。
mieuxxx かもねぇ。
okadada ちょっと話が長くなるけど、2000年代ぐらいにラップとかをあんま聴かなかった時期があったんすけど、2000年代後半ぐらい……それこそツイッターとかでみんなと知り合う前後ぐらいに。2000年代でいうとTHE BLUE HERBがいちばんカッコいいっていう、インディー魂みたいな部分ってあったじゃないですか。
shakke アンダーグラウンド魂というかね。
okadada そうそう。大学の先輩にもろTHE BLUE HERBのシンパみたいなひとがめっちゃいて。そういうのに憧れてDJとかラップやってる先輩。そういうひとたちが大阪でやってるヒップホップイベントにたまに観に行ったりもしてたんですけど。その後、オレが歳をとったんか、ものがわかるようになったんか、たぶん時代だと思うんですけど、2008年ぐらいから“ダサいな”みたいになってったんですよ、それがなんでかっていうと、アンチ・メジャーじゃないっすか。で、2000年ってメジャーの価値がどんどん下がっていった時期で。2000年代後半ぐらいにインターネットの波が来る。オレがMaltine Recordsとかと関わるちょっと前ぐらい。っていうときに、敵がいたからいきがれたヤツがいきがれなくなってる、みたいな。高い山の陰にいて批判してたのが、どんどんメジャーの高い山が下がっていくと、陰がなくなってアラが見えるようになってきちゃった。でもTHE BLUE HERBはとはいえ個人でやってるひとたちじゃないですか。だからどんだけ白日のもとにさらされてもカッコいいままやけど、そのまわりで傘に入ってたヤツらが“あれっ? なんかダサいな”みたいな。結局コイツらも、流行りを批判する流行りに乗ってただけなんやなっていう。そう思った時期があったんすよね。んで2010年代になると、さっき言ったインディーバンドとかのひとが『BECK』的な、“メジャーじゃないんで”って言ってるひとらがやる音楽のなかに“どうやって売るか”っていうのがもう入っていってる感じがするぞと。それは昔だとメジャーにやらされてたはずのことを自分らで自発的にやりだしたと思っていて。
shakke 時代的にも自発的にできちゃうっていうね。
okadada 最初、トーフ(tofubeats)とかSeihoとかもそうだけど、(アーティストが)自分でどうやって売るか考えて、かつ個人でやるみたいなアーティストが新しいってなってたけど、それってやりたいことをやったり作ったりした後に売ることだったり、どうやってわかってもらえるかを考えるわけで。作る段階からすでにそういう商業的な意識が入ってるっていうのが、けっこう進んでるなって思ったんですよね。それが“インディー資本主義”っていう言葉に最近なったっすね、自分のなかで。で、ローファイ・ヒップホップがそうなんすよ。あれはなんか偶発的に若者の共感覚で起こったものやけどヴィレッジ・ヴァンガード的、みたいな。本来“サブカル商売みたいな感じで売ったろ”みたいなものが、若者のカルチャーとして偶発的に出てくるっていうこと自体が……
shakke マインドの時点で資本主義がもう内包されちゃってるっていう。
okadada うん。そういうことがよく見えるようになったっていう感じのことは思いましたね。


現代の芸術は“炭鉱のカナリア”たり得るか

mieuxxx マンガね。
okadada オレ、もともと日本画とか浮世絵とかも好きで。輪郭線が好きなんですよね。西洋画って輪郭線じゃないじゃないですか。でも日本的なマンガって、輪郭線がすべてじゃないですか。顔の輪郭に線を描くじゃないですか。あれが好きなんですよ。シルエットが好きなんです。
shakke なるほど。
okadada 色彩とかより。輪郭の綺麗さみたいなのが好きで。印象派の風景画とか見るより、水墨画の線が連なってる山みたいなの見るほうが気持ちいい。サンプリング・ヒップホップ好きだったとき、めっちゃそれやなって思いましたよ。輪郭やなと思ってました。質感。表面が和紙かどうかとか。一方、エレクトロニカとか電子音響になると立体じゃないっすか、音の置き方が。Seihoがよく言ってたけど、“(自分の作る音楽は)写真や”って言ってて。音を作るときに、なにかものを1個置いて、そこに照明を当てて、伸びた影がリバーブ、みたいな。で、奥行きを抑えて作っていくっていう。音響作品ってそうじゃないすか。インスタレーションっぽいっていうか。ヒップホップとかサンプリングとかってマンガっぽいなって思うんですよね。
shakke 2Dっぽいというかね。
mieuxxx ペタッとしてるよね。
okadada どっちも好きやけど、どっちがオレの肌に合うかっていうと、2Dっぽいほうがやっぱ好きなんかなってよく思う。まぁ、どっちも好きやけど。ないですか、そういうの。
shakke たしかにその音の感じの2D感、3D感みたいな話だと、自分も2D感のほうに惹かれるのかなとは思いますねぇ。
okadada みゆととさんは写真家じゃないですか。3D感覚に関してはどうですか?
mieuxxx いやぁ、3D感覚かぁ。あるかなぁ。たぶんないほうだと思うな。
okadada 写真の話とかさ、改めてしょっちゅうはせんけどさ、昔“撮ってるときがいちばん”って言ってたのをすごく覚えてる。
mieuxxx わたし、そうですね。
okadada 現像とかより撮ってるときのほうがいい?
mieuxxx 撮ってるとき以外、あんまり興味がないですねぇ、これが。そのときその場にいた、みたいな部分だけが生きてる瞬間、みたいな。
okadada やっぱ映像じゃなくて写真なんや?
mieuxxx 写真が好きだねぇ。なんでなんだろう? 映像って動くじゃん?
shakke やっぱりリミテッドがあったほうがいいんだ?
mieuxxx でもやっぱさ、時間が止まってる状態だからさ。その前後とかを考えるのが好きなのかもね、写真は。関係値だったり。おもしろいですよ、写真は。
shakke でしょうねぇ。好きな写真家とかって?
mieuxxx ひとりだけ挙げるならWolfgang Tillmansってひとなんですけど。むしろそのひと以外そんなに興味ないかもしれない。
shakke どんなところが好きなの?
mieuxxx あのひとから学んだところだと、視点の感じとか。自分が見たもの全部が写真になるっていうところですよね。なんでも撮るし、なんでも印刷するから。たとえば、もう10年くらい前かな、大阪で大きい展示があったときに見に行って。当時はデモを盛んにやってたときで、そのときのYahooニュースのネット記事をプリントアウトしたものを展示してて。でも、このひとのなかでは、それを見たっていうことは写真なんだなっていう。っていうのもあれば、天体とか星の写真も撮るんだけど、そういう写真とかも展示してあり。だからなにやってもいいんだなって。
shakke 天体写真で思いだしたけど、Thomas Ruffの星を撮ってる写真集買ったわ。けっこうシンプルに天体を撮ってる写真集。
mieuxxx そういうのにだんだん興味が向かうのもわかるっすねぇ。風景写真とかさ、おじさんとかがバキバキになって撮るような写真がちょっとおもしろく感じるようになってきたっていうか。
okadada それ、この何年かはそんな感じよね、みたいな話をしたっすね。4年ぐらい前に大阪でMetomeとSeihoとファミレス行って10時間くらいしゃべったときがあったんやけど、そのときの現代美術の動きとかで、そういう風景画みたいなのが流れとして来てる、みたいな話をしてて。Metomeが“雑草っていいっすよね”って言いだして。鳥の群れとか、ひとつにフォーカスしたもんじゃなくて、無記名性のある群れ的なものがモチーフになってる、みたいな。で、そのときの現代美術とかに興味がある音響アーティストとかが、めっちゃ風景画っぽい曲を作りがちになってるっていう話があって。それもその流れにあるよね、みたいな話だったんだけど。歳をとったからそうなったんか、いまが時代的にそういう流れなのかはわからんけど、先端表現系の一部でそういうのがホットな感じというのはもう4~5年前くらいからはじまってて。オレはそこまで親和性あるわけじゃないけど“そうなんやぁ”っていう。最近もそういう話をしたし、風景画、印象画っぽい音楽、すごくあるっすよね。
mieuxxx 無記名性ね。
shakke あとはそこに神話が宿っているっていう可能性を信じたい、っていうのはちょっとわかるかも。具象化したものとかに対してもう語り尽くされてるっていう意識もあるから。そのなかで偶発性とか超自然性とかっていうもんがやっぱそこに生まれる、って信じたいのは情報過多なこういう時代だからこそわかるかもなぁって。
okadada 自分もそこまでは理論的にはわかんないですけど、わからなくもない流れやなと思いますねぇ。
mieuxxx リバイバルみたいなのも繰り返しだからさ、それは写真も音楽も。
okadada 音楽なんか特にそうやな。
mieuxxx そのサイクルがさ、どんどん短くなってる気もするし。
okadada すごいですよ。バターになりますよ。
shakke 回りすぎてね。結局、そのサイクルから抜け出そうとしている意志がある音楽だったりとか芸術のほうにやっぱり興味がありますね。もちろん抜け出せはしないんだけど、トライしてるっていうか。
okadada そこなんですよね。抜け出した“気”になれんのを待ってるというかね。それは自分がシニカルすぎるのかなって思うけど。パーティーもそうだし、“気になる”しかないというか。ほんまの意味で、システムからは逃れられないでしょう。
shakke それはそうっすよね。
okadada 逃れたとこにはまた別のシステムがあるし、システムがなくなったら自己生成を自分で勝手にしちゃうやろうし。権威とかもそうやけど、権威は個人で生成するもんやから。それでいったら“薄める”っていう感覚しか自分にはない。反権威みたいなのも理解できるけど、反権威が権威になる瞬間もあるわけやし。みたいに言うと、自分がちょっとシニカルすぎるって言われるのもわかるんすけど。それもここまでくると限界よねみたいなのがね、最近のギスギス感とつながるっていう。だからSNSだけの問題じゃないんじゃないかっていうね。もともとわかってたけどやっぱり限界だな、っていうのが可視化されてる感じはしますよ、あらゆるところで。“炭鉱のカナリア”みたいな言い方があるじゃないですか。カナリアは空気を察知するから、炭鉱夫はカナリアを連れて行って、それが逃げようとしたら、“ここはヤバい”っていうふうにわかるっていう、危機を察知するものの比喩なんやけど。で、映画とか音楽は社会における“炭鉱のカナリア”やっていう話があるんですよ。表現がこうなるってことは、今後こういう危機があるんじゃないかっていう。たとえば『パラサイト』とかさ。あと『US』とか日本でいったら『万引き家族』とか、同時代的にああいう貧困の問題を先鋭的な監督が同時に発表するっていうのが“炭鉱のカナリア”っぽいねっていう。ただ、現状でそれははたして“炭鉱のカナリア”たり得ているのかみたいなことを最近思うところで。
shakke そもそも現実に追いつかれちゃってんじゃない? っていうね。社会のサイクルが速すぎて。
okadada あまりにも速くなりすぎて、社会を予言するような表現たり得ているのかっつうと、もはやおなじぐらいのスピードになってる気もする。
shakke フィクションとかさ、音楽とかのファンタジーの有効性みたいなものは崩れてきてるよね。
okadada Kポップとかポップスの話とかもそやけど、“フィクション、いいよね”って意識はもちろん持ってはいるけど、いまはそれに対して疑う方向に針が振れている感じがする。フィクションの素晴らしさ、アイドルの素晴らしさ、“ポップ・ミュージックの力を信じよう”みたいなのって、2010年前後がいちばん無邪気に思えてて、5年ぐらい前からそれが逆の方向に……もちろんいまもポップ・ミュージックがきらいになったわけじゃないけど、でもそれって逆に言うと逃避やし。そういうふうに自分がなってる感じはすごいする。

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