税のベスト・ミックスの最適解はないのです

 実売部数から言えば全く採算の取れない高価な電車の中吊り広告を、野党批判オンパレードの右派雑誌が大量に出しています。同時に、特定枠に2名の障害者を立候補させ、数百万の票を集めるとも予想されている反緊縮を訴える小集団は、テレビ局によってほぼ無視されています。不思議なことが連日続く参議院選挙たけなわです。

<「消費税=悪」なのか?>

 ネットの世界で多くの人たちから喝采を浴びている反緊縮派の「消費税廃止!」は、日々の暮らしに不安を持つ若年層や年金暮らしの高齢者の心には、深く浸透するものであると思います。退路を絶って、仲間を増やそうと連日各地で人々に語りかけるリーダーの演説力は、これをなお促します。

 ここで今回の参議院選挙の中心的テーマ(「公約」とは言いません。公約と綱領の区別がされていないのが日本の政治だからです)である「ゼニカネ」の話に水を差すつもりはありませんが、やはり少し付言したいのは、「税のベスト・ミックスは、国ごと時代ごと経済の流れごとに異なるから最適解はありません」ということです。

 「消費税は廃止しかないじゃないですか!」という言葉を連日聴き続けると自ずと「消費税=悪」とすり込まれてしまいますが、ここはちょっとだけ立ち止まる必要があります。なぜならば、消費税をめぐる政策判断とは「そのものが本質的に善か悪か?」で決めるものではないからです。

 政策への評価とは、「この時期に」「そういう政策を打ち出すと」「こういう影響が出て」「それは将来に悪しき影響を与える」からとか、「そもそも税の直間比率の在り方に学問的決着はついてないのだが」という留保をつけたり、つまり「定冠詞」(この、その、今の、この時期の、こういう流れで考えた時の、みんなの状況がこうなっている時の等)が付いているものなのです。「このやり方で当分行けるのか?」と「そもそも税制とは?」は、異なる議論だからです。

<本来「税=社会の貯蓄」である>

 税は、消費税であろうと、所得税であろうと、法人税であろうと、国庫に入った途端それは「社会の貯蓄」です。これを「人々の不可欠な基本ニーズに応える」ことを最優先にして、残りを順位をつけて適切に使うわけです。これは政府の仕事であって、市場だけでは調達できないものです(「基本ニーズ」とは、人が尊厳を持って暮らしていけるために必要な最低条件という意味です)。

 私たちは、前世紀に政府のやった無謀な戦争で国が焦土と化し、310万人を死なせてしまったという後悔、そしてそれをきちんと反省しなかったという歴史の宿題があるため、「税は社会の貯蓄なのだ」と冷静に考えるための「政府に対する基本的信頼」というものを育みにくい経緯で、今日を迎えています。ですから、どうしても税のあり方を「取る・取られる」「収奪する・逃れる」という考える心の習慣が変わりません。

 しかし、私たちは「税金とはすべて悪」とする、税を善悪や正邪で考える心の習慣から早く健全に脱却しないと、今回の選挙で叫ばれている「消費税は悪だ!」という政治的メッセージを、そのまま「そもそも消費税というものが極悪非道なものなのだ」と脳内転換してしまいます。

 その結果、場合によっては、「消費税がなくなり、法人税は巨大企業の税回避によって集まらず、不況とデフレのため下がる賃金ゆえ所得税も目減り」して、結局のところ格差がなおも広がり、基本ニーズを満たせない大量の人たちを地獄に突き落とすことだって起こりかねません。

<「今、消費税は下げねばならない」というスクラム>

 つまり、反緊縮的「消費税廃止!」、「消費税値上げ凍結せよ!」という主張は、「消費税というものが本質的な悪だから」叫ばれているのではありません。「今、そこをちゃんと調整しないと、実際に暮らしが立ち行かなくなって死ぬ人が出てくることになるから」という判断です。

 ということは、自公政権は「このまま秋に消費税を10%にしても、人々は耐えてくれるはずだ」という判断をしたということです。政権内部には「2%アップとは、事実上25%の値上げとなって消費が徹底的に冷え込む」と反対している人もいるようです。しかし、本当に反対するなら党を割って出るべきですが、それもしません。

 だから野党各党は、自公政権とは異なる「立ち行かなくなるだろう」という大枠でまとまれば、選択肢はシンプルになったのですが、その調整は成功しませんでした。本当は、こういう判断の根拠を考慮しながら、微妙にニュアンスの違う各党派の考えをまとめて、シンプルかつ力強い選択肢を示す司令塔をするのが野党第一党の責任なのです(「リベラル勢力は、ゼニカネに本気にならず、大人の連帯ができない」と近著で私は訴えました。『なぜリベラルは敗け続けるのか』、集英社インターナショナル)。

 もちろん税に対する「政府への不信感」がベースにある日本社会ですから、野党側もあまり迂闊なメッセージは出せません。だからどうしても心を合わせて「10%にはしない。廃止という議論もあり凍結という主張もある。だから野党共闘として、我々は緊急避難的に5%まで減税する」という着地点になります(増税は旧民主党も言ってではないか、という批判を前に萎縮したりもします)。それは強い反緊縮グループからすれば「腰抜け」と映り、なかなか一本化できないのです。

<政策議論と政治判断を切り分けねばならない>

 私は、大企業の法人税の下げすぎは問題だけれど、彼らの税逃れの抜け穴を埋めるような法改正がわずかな時間でできるとは思えず(アンタッチャブルな「聖域」ですから、手をつけたら文字通り血みどろの戦いとなります)、所得税アップはデフレ低賃金の現状では中間層の痛税感をあまりに強くさせてしまい、政治的に困難だということなどを考慮すれば、消費税を無くしてしまうことはできないと考えます。1%で2.8兆円の財源です。

 しかし、働く人たちの半分が年収300万以下で非正規被雇用者で、ロスジェネ世代の経済基盤が脆弱な時に、これを値上げすることは「今」を生きている人たちを追い詰めるだろうと考えます。コンビニ弁当の万引きをする人の中には、たくさんの老人が含まれているそうです。

 だから「消費税というものは本来的な悪なのである」とは決して考えず、それでいて「今、それは棚上げにしないといけない」という「政治判断」を採用しています。目の前で溺れている人を見て「最良の救命方法とは何か?」などという議論をしている暇はありません。まずは「浮き輪を投げよ!」です。

 過日、自民党の中で「反安倍」派として気を吐いている石破茂議員と対談をさせていただきました(『週刊金曜日』7/12号に掲載)。ネオ・リベ的な国家観(市場競争プラス強い国防)を持っていると予想していた石破議員は、「リーマンショック以降の悲惨な状況を前にして、”市場に任せよ”などと言うのは政治家ではない」と主張していました。追い詰められている人たちを「今」どう救うかを訴えていました。

 つまり彼は「今」、反緊縮的指向性を持っています。そして、「もともと税のベスト・ミックスとはどう考えて決めるべきなのか?」という議論をすることは、「この秋の消費税値上げをどう評価するか?」とは別なのだと考えているはずです。

 なぜならば、その区別こそが「政治」の仕事だからです。選挙が終わった後に、石破議員が党内でどう発言するかに注目しています。

 私自身も、反緊縮派の熱い訴えを聞き、ハートに力をもらった多くの人たちに共感するところはたくさんあります。しかし、定冠詞のついた「消費税」と、「そもそも税とは?」という議論の違いを考えないと、また日本の政治は、ドタバタ騒ぎとその帰結としての「言論と政策論争の焦土」となり、その記憶が薄れたところで、「またまたゼロベースで同じ議論」を繰り返すことになります。成長がないという意味です。

 私は、世界の反緊縮を掲げる国家が消費税を税体系の中心にしていることを見ても、消費税を「ちゃんと活用すれば人々を幸福にできる税」だと思っています。しかし、「今、この状況で消費税を上げること」には、反対しています。

 消費税には反対しません。しかし、この消費税上げには反対します。

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