青森移住ぼちぼち珍道中〜兵庫県から青森県へ #110 人生いろいろあるんだ。

コロナ感染症が広がりつつある2020年の日本。
青森県に初の感染者が出た。

小児喘息だった長男を東京に行かすべきか。。。
家族会議の結果、出発の2日前に苦渋の決断。
上京は見合わせることに。
長い人生、少し遅れても取り返せる。
しかも18歳。

静かに部屋に入っていった長男。
「わかった、東京へは今は行かない」
スーツケースに詰め込んだ服を、しょんぼりと出し始めた長男。
辛いけど、命より大切なのものないんだ、わかってくれ。

就職先へも伝えたら
「わかりました。青森でバイトとかして経験して東京に来ればいいよ、待ってるから!」と内定を保留してくださった。

青森にいると決めて東京に行くまでボォ〜とするわけには行かない。
バイトだ!
ネットで検索して自転車で通える短期のリンゴ詰めのバイトを見つけ面接に。4月の上旬に、人生初めてのバイトスタート。寒い倉庫の中で黙々とリンゴを詰める仕事、東京に夢を抱き上京するはずだった長男は、バイト先の社長が高級外車を乗り回し、従業員に挨拶もせず素通り。18歳には我慢できなかった。
2ヶ月経った頃、まだコロナ感染が収まりそうになく、この生活はいつまで続くのか。。。暫く上京できないなら、別のバイトを。

自転車も好きだけど車も好きだ、次はガソリンスタンドでバイトしたいと言い出し面接、合格。これが長男の転機だったのかもしれない。

人懐っこい性格の長男は、すぐに店長を始め皆さんに可愛がっていただいた。お客さんにもドンドン話しかけ視野を広げた。

真夏の35℃の灼熱の日も外に立ち、真っ黒に日焼け。真冬の吹雪の中でも外に立ち、霜焼けとの闘い。手袋をしてはいけなかったそうだ。そして早番の時は朝5時半に出勤し一人で準備、遅番の時は23時まで。1年半、過酷な労働状況で頑張った。

お父さんが晩御飯の時に話している経営者像、社員さんを思う気持ち、関わり方と自分の今の勤め先は違うな、とここでも会社の在り方に疑問を持った。悩む19歳。

長男に聞いた「東京にまだ行く気はあるのか?」

長男「ううん、もう行かない。この先収まる気配がないから暫く青森にいる。」

父「そうなんであれば、腰を据えて青森でまずは3年間頑張ってみたらどうだ?3年頑張ったとして、お前の同級生は4年大学を卒業して社会に出る頃。もしその時に東京に行きたければ行けばいいし、22歳まだ若いから。いろいろ経験を積めばいいとお父さんが思う」と。

次への新しい道へ。ガソリンスタンドのバイトを辞めることになった。親ばかではあるけれど、あの過酷なガソリンスタンドをよく1年半も働けたと思う。

長男19歳、人生の決断。



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