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旅をした時の話


今年の年明け
ちょっとコロナが落ち着ている時に
東北を一周した。


わたしは東北の南で生まれて
ずっと太平洋を見て育ってきた。

だから海はどこまでも青くて
穏やかなものだとおもっていた。



雪は膝までしか積もらないと思っていた。

人間が自然と一緒に生きる、と言うのは
海と共に生きることだと思っていた。


海のある地域ではどこでも
美味しくて大きな魚が
毎日水揚げされて、それを求める人で
街は賑わうのだと思っていた。

けれど海と人間は白い壁によって
隔たれなくてはならないとも思っていた。

日本昔ばなしみたいな世界は
とっくに消えてなくなったと思っていた。


わたしの知っている全てが
東北の全てかとも思っていた。



けれどちゃんと自分で全部見た東北は
全然違っていた。


海は時に白波を立てて
海岸に激しく打ち付けるものだった。


雪は時に家を覆うほど積もる。


そしてその雪によって
人々の生活が止まる。


だけどそこに住む人は
雪によって止められた生活の中を
生き抜いている。


印象的な出来事があって

山形の肘折温泉に向かう途中の山道の国道。

幾つも国道が封鎖される中で、
生き残った山道の国道を通り目的地に向かう。

除雪車が入っていない。
轍と微かなヘッドライトを頼りに進む。

どれくらい進んだのか、本当にわからない。

雪のせいで終わりが見えない国道を
どんどん進んでいく。

途中車がすれ違うことはなかった。


ふと、小さな集落の中
車を走らせていることに気がついた。

ここに住む人たちは街へ行くのに
どのくらい車を走らせるのだろう。

この集落に住む人はいるのだろうか。

買い物は?病院は?
バス停は見当たらない。


大きくて古い立派な家が立ち並ぶ。


しばらく進むと沿道に人がいた。

お婆ちゃんが手動で雪かきをしている。

ちゃんちゃんこに手ぬぐいを頭に被り
猛吹雪の中、雪かきをしている。

1人だけじゃない。

何人もいた。

県外ナンバーの車内からその様子を
じっと見ていると
お婆ちゃんもこちらを
じっと見ていた。

強くて美しい目でじっとこっちを見ていた。

雪国で生活する人の美しさを見た。


雪国では冬に備えて
秋の頃からいろんな準備をするそうで。

長くて寒い雪の期間は
春が来るのをじっと待つ。

1月の日本海側で、生活をする以外の人の
移動をあまり感じなかったのは
恐らくそのせいなんだと思う。

この人たちは、雪という
どう足掻いても逆らうことのできない自然と
一緒に生きているのだ。

何気ないことかもしれないけれど
強烈にインパクトを残してくれた。

日本昔ばなしみたいな世界観が
まだ残っている場所がある。
なんて尊い場所なのだろうか。


もうひとつ、海のこと。


わたしが知っている
原風景として頭にこびりついている海は
海と人間の生活の間に仕切りがなかった。

狭い道路を渡ればすぐに海で
小さな商店でイカぽっぽを買って海に走った。

わたしは海と人間の生活の距離感が
とっても好きだった。


ある日、海が人間の生活に介入しすぎた。

それまで仲良く隣同士だった海は
いつしか恐怖の対象と言われるようになった。

海と人間の間には
大きくて無機質な白い壁が
これでもかというくらい造られた。


でもまだ、海と人間の距離が
保たれていたのが日本海だった。


海があり漁港があり船があり
すぐそこに民家があった。

はるかわずか10年前に見た景色を
そこで見ることができた。


わたしが初めて見た東北の全ては
思ったよりも美しかったし
思ったよりも果てしなく尊いものだった。

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