1年間休学したわたしの休学記
こんにちは、おかえりです🦕
いま、お休みをもらって、緊急事態宣言の開けた関東と関西にちょっぴり遊びにきています。同期の旅立ちに立ち会いました。
自分は卒業しないのに真ん中に写っちゃうあたり、よくない!
私の地元の桜の満開は4月上旬の入学式シーズンなのに、あったかいこちらはもうちらほら満開のところがあるくらいにきれいな桜が咲いています。お花見のできない2回目の春、縦向きに吊るされた鯉のぼりとたくさんの桜の中でかき氷を食べてた春が待ち遠しいなあと。
さて、本当に私ごとではありますがもうすぐ1年の休学期間を終えて復学するにあたって、この1年間を振り返る時間が最近増えました。
そう思えば休学をした理由も、気仙沼にきた理由も、意外とちゃんと説明した人はそんなに多くなくて、なんだかわからないけど状態の私を、たくさんのみなさんが受け入れてくれた1年間でした。
この1年間でお世話になった人、新しく出会った人、ずっといろんな場所で応援してくれていた人、今浮かぶだけの人全員に会って説明してたらもう1年休学しそうなくらいです。(嬉しいけどだめ)
今日は少し、自分の話をちょっと真面目に長々と書いてみたいと思います。あしからず。
休学を決めたのは2019年の12月25日。
1年3ヶ月前です。当時の私のことを知っている人は、なんとなくわかるかもしれませんが、わかりやすくいうところの『落ちている』状態でした。
東京に憧れて上京して、都心のど真ん中の大学に通い始めて1ヶ月後のGWからだんだんと大学に行く回数が減って、留年が確定したのが3年のちょうどこの頃。「あとn回休んだら単位落とす」を早々に使い切った私はあらゆる手を使って欠席を取り戻そうとするも、悪いことはバレます。
絶対に嘘はついちゃいけない。診断書とかね。
退学にならなくてよかった。
そもそもそこに使うエネルギーを別なことに爆発させて欲しい。
あれ意外と作るのに時間かかるんです。
ちょっと話はそれましたが、大学に行くために朝起きて家を出る準備をしても玄関で靴を履こうと思ったら急に足が止まる。駅までに向かう途中に大学に行かなければいけないのに喫茶店に入ってしまう。大学まで3駅の電車で途中で降りてしまう。どんなに前日早く寝ても朝全く起きれない。そんな状態がずっと続いていました。
『甘えだよ』 『気合が足りない』
ずっとそう思ってて、大学へ行けない自分への自己嫌悪からまた負のサイクルに陥る。
人間って多分悪いことがあるとそこからだんだんいろんなことがちょっとずつ綻んでいくと思っていて、私はその典型的なタイプだったんで、よくいうと完璧主義的な、『みんなが当たり前に言っている大学に行けない自分』が嫌で嫌で、仕方なかったんです。
でも本気出したらいけるし、みたいなしょうもないプライドもずっと付き纏ってました。
私、小学生からずっと勉強は好きで。
だけど、テスト勉強や宿題をさぼった日は学校に行かないような人間でした。
負け試合はしたくない、誰かに怒られることが嫌い。
だからいつだって挫折や失敗が怖くて、そうならないように逆算して上手に生きてきたのかな。
それが大学に入って、できなかったんです。
だからずっと環境のせいにしてました。
『Fラン大学だから』『大学の空気感が嫌い』。
言い訳すれば楽なんですよね、自分は悪くないっていうフィルターに囲まれている間の自分のことは絶対に守れるから。
そんな逃げて言い訳ばっかりしている自分にも『就活』という、大学生ならみんなが直面する問題が例にも漏れずやってきました。
優秀なゼミの同期たちがみんなインターンに行き、選考が始まり、だんだん髪の色が落ち着いていく。ソワソワしながら遠回しに「どの業種見てるの?」「〇〇の選考どうだった?」の会話が自然に飛び交い始めました。
そんな距離感で会話する仲でもなかったのに、就活ってこういう空気感なんだあって思った時に、ふと、思ったんです。
『あれ、私この先の人生どうなっちゃうんだろ?』
留年が確定して、やりたいことだってない、このまま東京にいてすり減らす生活がずっと続くのかな?同期が卒業したら大学に行けるのかな?私、働ける?就活なんかできる?なんでみんなができていることができないの?
『私、生きていける?』
先の見えない不安にずっと心が潰されそうでした。明日死んじゃったら、何も考えなくて良くなるのになあって本気で思ってた。
こうするともう、人間って本当に何もかも嫌で逃げ出したくなることがあるみたいで。家族のことも大学のことも全部全部1人で決断して全部やめようとと思って、地球上で唯一頼れる存在だった架け橋オーナーのももさんのところに行きました。気仙沼に行きました。
ももさんは、全部を受け入れてくれました。多分ここまで読んで、この人の人生甘すぎやろとか、できない自分への言い訳ばっかして、って10人いたら10人思うと思うの。でも、ももさんは、この状態の私を肯定してくれた。
同じタイミングで初めて、淳さんにも会った。初めて会ったわたしの話を、ちゃんと目を見て聞いてくれて、その時に言われた言葉があって。
『俺もね、いまの愛理くらいの時にそう思ってたことがあったけどね、今、その時死なないでよかったって思うから。だから生きてるだけでいいよ。』
この、多分何気ない一言にどうしようもなく救われてしまったの。
この人たちに委ねて、甘えて、そばにいたい。
今はそれでいいんだ。
そう思って、大学を退学じゃなくって休学にして、家族にはどこにいくかも伝えずに、キャリーケースを2つ抱えて気仙沼に来たのが、ちょうど1年前。
それから世の中の目まぐるしさとともに、一生懸命生きたなあと。
架け橋で働きながら、dacchaでバイトして、気仙沼独創倶楽部のモデルをしたり、いろんなところでいろんな人に受け入れてもらって、気仙沼でわたしが1年間いて学んだこと。
それは、『自分を大事にする、誰かのことを想う』ということ。
あまりにも広義すぎて、あまりにもありふれているけれど、自信を持ってこれだと言える。
「人を大切にする」ことは、思ったよりも簡単だった。大好きな人といる、大好きな誰かを想って生きる、そのために自分を大切にする。人間の生活の基礎みたいなところなんです。朝起きて、今日も大切な誰かに会えること、季節ごとに違う花が咲くこと、太陽の光をキラキラ反射する海がそこにあること、誰かと一緒においしいご飯を食べれること、そういうことが幸せであるということ。
でもそういうことって、例えば自分がどうしようもなくイライラしていたり、家に1人で引きこもってたらできなくなっちゃうんです。気づけなくなっちゃう。わたしは、気づけなくなっていたんだ。
大事なことがなんなのかということに。
人と自分を大切にすると見えてくるいろんなことがあるということに。
就活することが大事なんじゃなくて、どう生きたいかが大切で、就活はそのためのプロセスであるということ。
誰かと自分を比べてしまうのではなく、自分が心地いいと思える自分を探すこと。
そんなこと?
そんなこと!
でもわたしは紛れもなく自信を持って
『1年間休学して気仙沼にいてよかった』
って言えます。
あと5日くらいしたら大学に復学します。
1年前の3月31日。日記に書いた、「この休学が正解かどうかわからない」はちゃんと正解だったし、多分わたしは自分と周りにいてくれたみんなのおかげで『わたしなりの正解』にすることができたんだと思います。
改めて今日も、感謝を伝えたいたくさんの人の顔が浮かんで幸せです。
あ、大学はまたまたオンラインなのでもう少し気仙沼にいます!
さてさて、PCR検査受けて気仙沼に帰りますか〜!
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