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神様からのデコピン お前は真剣に生きてるのかい?

 「あ、封筒入ってる」


こういう時、自分が医療従事者で裏事情がわかってしまうことが嫌になってしまう。ポストをあけると病院からの大きな封筒。がん検診を受けた病院からだ。

「あら、結果が返ってくるの早かったのね」

そう思いながら封筒を取り出すと重い。明らかに結果のお知らせにしては重いのだ。そして封筒を持った感触。大きな封筒の中に小さな封筒が入っているのがわかる


「ああ、だから結果が返ってくるのが早かったわけだ」


封筒をひらけるまでもなく、私は自身が受けたがん検診の結果を確信した。


要精密検査だ。

私は10年間に初めて自治体の乳がん検診を受けた。その時は検診会場で要精密検査を告げられた。精密検査の結果は異常なし。乳腺症の診断。


私は乳腺が発達しているらしく、健診のマンモグラフィー(乳房のレントゲン撮影)では乳がんに間違われやすいらしい。検診から数年は医師の指示のもと診察で経過観察。5年ほど経った頃「診察はもういらないから2年に1回の乳がん検診を受けてくださいね」と言われた。


しかし、喉元過ぎれば熱さ忘れる。熱さをすっかり忘れた私は、この1年検診をサボった。


「さすがにもう行かないと永久に行かないな」
そう思った私は乳がん検診の予約を入れた。もともと通っていた病院に予約を入れる。理由は過去の画像と比較ができること。そして他の病院だと100%の確率でがんを疑われるので、できるだけ病院を変えないように言われていたからだ。



そして検診当日。またあの痛みがやってくる。あの忘れががたい胸の痛み。その胸の痛みは「心」の痛みではなく、単純に「乳」の痛みだ。


今、ご自身の体、できれば筋肉のやや固い部分をつまんでみて、想像していただきたい。そのつまんだ部分を限界まで引っ張り、その状態で両側からガラスの板で圧をかけて挟むのだ。これを乳房で再現し、レントゲン撮影が行われる。少しはこの痛さが伝わるだろうか?


このマンモグラフィーと呼ばれる撮影は、強烈に痛む人と全く痛みがない人に分かれるらしい。私は前者で、激痛チームだ。私のように乳腺が発達しているタイプの人は、激痛チーム入り確定らしい。ちなみに乳腺の発達と胸のサイズは無関係らしい。残念。



レントゲン技師のお姉さんは、私の小ぶりサイズの乳房をまさに「寄せて上げて」上手にガラスの板に挟んでいく。ちょっとずつ圧をかけていって限界値で撮影。これが痛いのだ。深呼吸をしながら力を抜くと、多少はマシに感じる。ああ腹式呼吸習っておいてよかった。



ああ今日も痛かったなとのん気に帰路についた1週間後、冒頭に戻る。
たしか結果は3週間ほどかかると言われていたのに、1週間で返ってきた。もちろんたまたま早かったのかもしれない。でも今回はおそらく要精密検査のレベルが高かったために、早く結果が返ってきたと推測された。



正直ショックだった。10年前の記憶が蘇る。
「ああ、1年検診サボっちゃったしな」
「何かあったらどうしよう」
暗いことばかり考える。考えると息が浅くなる。10年前、精密検査の結果が出るまでの1週間、動悸と眩暈がおさまらなかったあの感覚が戻ってくる。体は正直だ。


でもふと思ったのだ。
「現実は変わらない」


もし私の胸にがんがあるのなら「がんはある」
だけど今は「がん」という診断は受けていないから、がん患者ではない。
だから例えこの胸にがんがあっても、気づかなければがんがないのと同じことなのだ。
なんだかおもしろいと感じてしまった。
まるで「シュレーディンガーの猫」みたい。

https://www.kodomonokagaku.com/read/hatena/5162/

なんだかそう思うと心が落ち着いた。どちらにしても精密検査を受けなければ、白か黒かはわからない。じゃあそこまでの時間「黒かも…」と思い悩む時間がもったいなく感じた。

とはいえ全く不安がなくなったわけでもない。でも私はがん検診に引っかかりやすい胸の持ち主だし、まあ大丈夫かなとも思ったりもした。

とりあえずさっさと精密検査を受けてしまおうと、すぐに乳腺外科の予約を入れた。



乳腺外科診察当日。
「精密検査依頼書」と書かれた紹介状を手に病院へ向かう。家の近くの比較的大きな総合病院だ。


受付を済ませ(受付に30分かかった!)診察受付へ。
そこでタブレットを渡されて問診を記入する。こんな時にも自分の医療事務魂が顔を出し「へえー!AI問診って便利だ!」なんて考えている。
その後看護師さんからの問診に答える。そしてその後聞きたくない言葉を聞く。


「今日も先にマンモグラフィーとりますね」


完全に油断していた。乳腺エコーだけだと思っていた。(エコーは体に超音波を当てて画像撮影する痛みのない検査)
「またあの痛いやつ?」と一瞬で私の顔が引きつったことに気づいた看護師さんが
「痛いけどがんばってくださいね」
にっこり笑って言う。そして再び、私の胸がガラス板に挟まれた。



しかも今回の撮影は連続撮影らしく、撮影1回に10秒かかるらしい。つまり胸に圧をかけて挟まれたままの10秒。それが片側につき2回、合計4回。
泣いた。


診察に呼ばれて経過を話す。以前見てもらっていた先生だ。そして乳腺エコー。左胸からプローブを当てて乳腺エコー撮影。

「あれ?そこですか?」
と心の中で呟く。


私が10年前がんと疑われたのは右胸の上部。だけど左胸の下部を丁寧に診ている。
「ああ、ひっかかったのはここだな」
とわかってしまう。


一度そう考えてしまうと、時間の経過スピードが一気に遅くなる。
「一体どんだけそこを丁寧に見てるんだ!」
「そんなにその部分が怪しいのか…」と不安になる。
不安になりながらも
「不安な時は何でもかんでも不安材料にするもんだなー」
なんて自分を観察している自分もいる。


どうも私はこんな時も、慌てふためく自分を見ているやや落ち着いた自分がいる。こういう「嫌な時間」というのは進みが遅い。先生がいつまでもいつまでも同じ部分を見ている気がする。ああ、カップヌードルの3分がやたらに長く感じるのと同じだな。やっぱり時間の速度は一定じゃなないよな。なんて哲学的なことを、落ち着いている方の自分が考えたりもした。


逆にこんなどうでもいいことを考えないと、その時間を過ごせなかったのかもしれない。


それから右胸のエコーも終えて、一番聞きたかった言葉を聞く。


「大丈夫、異常ありませんよ」

マンモグラフィーやエコーの画像を見ながら検査結果を説明してくださる。


「ここの白いところがひっかけたところですね。左胸の下の部分」


と言われても、他の白い部分と何が違うのか私にはさっぱりわからない。5mm程度のしこりに見えるものがあるらしい。
とりあえずわかることは、異常はないこと。今後のフォローも不要で、また2年後の検診を受けること。それだけわかれば十分だ。


タイトルにある「神様からのデコピン」
今回のことは神様に

「お前は真剣に生きてるのか?」

と、デコピンをされた気がするのだ。


10年間にがん検診を受けた時はその場で手術もほのめかされ、かなり落ち込んだ。そして異常がないとわかった時思ったのだ。
「好きなことしないと死んじゃう」
当時かなり自分を抑えて生きていた私。さっさと自分の行きたい道をいかなければ、あっという間に寿命がきてしまう。そんなふうに思ったのだ。


思ったはずなのだ。でもまた喉元すぎて熱さを忘れた私。


日々の慌ただしさに流され、文章を書くこと、発信をすること、人と関わること、自己表現をしていくことをおざなりにしている。


当たり前だが人には寿命があり、それはいつやってくるかはわからない。だからこそ大切にしたいことを先に伸ばしてしまう。だがら神様は時々こうやって「真剣に生きてるのか?大切にしていることを先延ばしにしていないか?」と優しくデコピンしてくださる気がする。

10年前よりかはこの「要精密検査」という言葉にたいしての動揺は小さかったと思う。それは今をどう捉えるか?ということをひたすら考え、ある意味訓練してきた賜物と言える。


だけどその動揺の小ささに甘えてはいけないのだ。
このまま、また大切にしたいことを先延ばしにすれば
「ほおーこれでは気づかんのかのう?じゃあ、もう少しきつめのデコピンにするかの。ほほっ。」なんて神様は笑って行動に移すに違いない。


「いま大切にしたいことを大切にしているのか。
大切にしたいことを大切にして生きているのか。
またしっかり考えて行動するがよい。」
今回のことはそんなメッセージが内在していると感じている。



来週はちょうど誕生日。
このデコピンは神様からの優しく痛い誕生日プレゼントだ。
私はこの心と胸の痛みの熱さをきっとまた忘れるだろう。
でも来年の誕生日には神様に教えてもらわずとも、思い出したいと思う。

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