見出し画像

「何もしなくても大丈夫」を知る

昨今
「何かできなくても大丈夫」
「そのままのあなたで大丈夫」
そんなフレーズが世に溢れている。


実際私も人には心底言えるのだ。
「あなたはすでにもう十分に頑張っているし
すでにいろんなことができている。
そこを見れば大丈夫だよ」と。


しかし、
私は私に対してはそんなことは言えなかった。

私はずっと足し算の人生を歩んできたような気がする。
自分の中の凹みや欠けを見つけては、
そこを埋め、
なんならそこを山のように盛ることを求めていく。

結婚をして子どもを授かり、
ほどなく私は働き始める。
無収入という凹みを埋めるため。



子どものご飯には気を使った。
ちゃんとできないお母さん、
という欠けを感じていたからだ。



転職をした。
収入の低い自分の欠けを埋め、盛り、
最終的にはパート勤務時代から比べて
年収を4倍にした。


私には片付けられないという欠けがある。
片づけの資格をとった。
資格を取れば、
資格を活かして仕事をする人が見えてくる。
私にはない。そうして私はセミナー講師という副業を始める。

そんな私がこの数ヶ月、
何もしなかった。

しなかったと言っても、
毎日そこそこは家事をこなし、
週2日のパート勤務はしていたし、
セミナー講師の仕事も続けている。
その間に転職活動もした。


でも私の中で「足す」ことをしなかった。


ブログの更新もほとんどせず、
新規の講座の募集もせず、
家事も手を抜く。


だけど大丈夫だった。

生きている。

ずっと足し算の生活を続けてきた私は、
この生活はとても居心地が悪かった。


だけどそのうち慣れてくる。
そうするとやっと見えてきたのだ。


私はどれだけ必死に足し算をしてきたのだろうと。


そして足し算をしなくても
私にはいろんなモノ・コトを手にしている。
たくさんの人との繋がりを
持たせていただいている。
そんなことが見えてきた。


家族。
いつの間にか子たちは大きくなっている。
あれだけ子たちに手と時間がかかっていたことが
嘘のよう。
先輩方が口を揃えて
「子育てなんてあっという間よ」
と言っていたのは真実だった。
私が足し算をしようとしまいと関係なく
家族との時間が存在する。


友人たち、仲間。
私がブログを書こうと書くまいと
なんら関係なくお付き合いは続く。


セミナー講師として。
新規の募集をしないにもかかわらず、
継続して講座を受講してくださる方々がいる。


仕事。
この間に私は転職をした。
自分では大したことはないと思っていた
医療事務の経歴。
それがけっこう大したことがあった。


「何もしなくても大丈夫」
本当の意味で何もしなかったわけではないが、
少なくとも足し算をしなかった。
それは私にとって恐ろしいことだった。

自分には欠けや凹みがありすぎて、
それを埋めないといけない、
そうでないと認めてもらえない。
そう思って足し算を続けてきたのだから。

だけど欠けていてもいい。
凹んでてもいい。

そして凹みや欠けがあるということは、
他の部分が飛び出しているから
欠けに見えるのだ。
欠け以外の部分は凸なんだ。
そう思うと飛び出し満ちているところは
どれほど多いのだろう。


でも私はそろそろ足し算をしようかと思う。
それは凹みや欠けを埋めるためではなく、
理由や根拠がない気持ち。

なんかやりたい気がする。
なんかやれそうな気がする。

もうひたすらがんばる足し算は
もういらないかな。

まずはその一歩として
今日この文章を書いてみたところだ。















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?