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【寝ながら学べる構造主義】を読んで

哲学書を読むと「人」を知ることができる。しかも、知で卓抜した先人達が考えた「人」について、である。これ程、おいしいことはない。
本書は、思想家の内田先生が、入門者向けに現代思想の構造主義について執筆された本である。内田先生はまえがきで入門書の面白さを以下のように解説している。

入門書は専門書よりも「根源的な問い」に出会う確率が高い。これは私が経験から得た原則です。「入門書がおもしろい」のは、そのような「誰も答えを知らない問い」をめぐって思考し、その問いの下に繰り返し繰り返しアンダーラインを引いてくれるからです。そして、知性がみずからに課すいちばん大切な仕事は、実は、「答えを出すこと」ではなく、「重要な問いの下にアンダーラインを引くこと」なのです。

寝ながら学べる構造主義 まえがき

まさに本書は内田先生が示されている通りの入門書であった。何度、アンダーラインを引かされたことか。この「アンダーライン」は自分の抱えている課題と、意識的、無意識的にリンクしているだろう。それだけ、学びが多かった。さらに、面白さも格別であった。まるで少年漫画の続きを早く読みたいと思うあの高揚感である。そして、読了後には良い旅を終えた後に似た、日常を観る、考える枠組みが変わる経験を味わえた。

さて、ここからは学びを記していこう。

「正義の反対は、別の正義」の普遍性

ロシアとウクライナの戦争が始まってから一年が経とうとしている。ロシアによる侵攻当初、一部のメディアでは、東欧の歴史的な変遷を踏まえた、戦争に至る経緯が報じられていた。ロシアの武力行使は不当であるが、ロシア側にも事情(正義)がある、といった論は今現在もある。

ことの真偽は別として、現代の人達にとって、それぞれの立場から物事を見て、考えること自体に違和感はないはずだ。しかし、この思考様式は、歴史的には日が浅く、1960年頃から認知され始めた。

思考様式に変遷があるとは思いも寄らず、低レベルであるが、己の未熟さを思い知らされた。さらに、構造主義は、自分の思考は、そんなに自由ではないと畳み掛けてくる。

構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。 私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。 私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。

寝ながら学べる構造主義 第一章

己の考え方の未熟さに反省するも、その思考は、色々なものに囚われていて、自由ではないときた。はて、なにに囚われていているのか?本書は、それを丁寧に説明してくれる。

まだ一章の触りであるが、今日はここまで。随時更新していく。

■寝ながら学べる構造主義


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