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江戸時代の代参犬「おかげ犬」シロを訪ねて。

 実は、Rayさん作の「おかげくま」ぬいぐるみが代理参拝するこの「おかげくま参拝」にはモデルがあります。

それは、

歌川広重『伊勢神宮・宮川の渡し』より

なんと今から約220年以上も前の、江戸時代の寛政年間に、
福島県の須賀川(当時は白河藩)から
主人の代わりにお伊勢参りに行って
2ヶ月かけて戻ってきた
代参犬「シロ」です。

  記録によれば、シロくんのご主人、市原家8代当主、市原貞右衛門綱稠(つなしげ)氏は、毎年お伊勢さんの春の大祭に、欠かさずお参りしてきた信仰心厚い人物だったそうです。

 市原綱稠の義犬「白」の墓〔福島県須賀川市池上町・十念寺,1789〜1800年 ( 寛政年間), 犬種 : 日本犬 , 分布地図の4 〕

  須賀川市十念寺の墓地には「犬塚」と刻まれた台座の上に背中にお札(ふだ)を背負った旧い犬の石像が置かれている 。 この台座には,昭和44年に市原家十四代の市原秀夫が台座をつくって,古くから墓地にあった「 白 」の石像を安置したことが記されている( 写真2 )。

 また,この碑文には寛政の昔に市原貞右衛門綱稠(つなしげ)の飼犬「白」が主人の命で伊勢参りを代参し,道中で多くの人々に守られながらお札を持って帰宅したことが記載されている。

 市原家は須賀川宿の旧家で代々庄屋を務めていたが,八代綱稠は寛政9(1797)年に白河藩士に取り立てられた。26)

  綱稠は伊勢の皇大神宮( 内 宮 )に毎年参宮していたが病気で行けなかったため,買物や親類に手紙を届けるお使い犬であった愛犬「白 」に代参させた 。「白」は 2カ月後にお札を持って無事帰って来たので家族一同は無事を大いに喜び,白は「参宮犬」として町中の大評判になったが,3年後に病気で死んだため綱稠は白の石像をつくって十念寺の墓地に葬った。27) 

 江戸時代には全国各地から伊勢神宮への参拝が盛んで年間数百万人にも及ぶこともあったという。28) 

 前述した平戸藩九代藩主松浦静山が書いた『甲子夜話 巻之七十八』には,寛政1(1799)年に日光東照宮を参拝して江戸への帰路に奥州白河から伊勢に行く「 赭毛 ( 赤 毛: あかげ )」の参宮犬が静山の輿に付いてきてしばらく同行したことが記されている。29) 

  このことから、江戸時代には白のような参宮犬が少なからずいたことが分かる。
26)須賀川市教育委員会編集兼発行 : 須賀川市史・近世( 1 9 8 0 )、 27)須賀川市教育委員会編集兼発行:郷土須賀川・須賀川市史別巻(1981) 、28)鎌田道隆:お伊勢参り,中央公論新社(2013) 、29)松浦静山著 中村幸彦・中野三敏校訂:甲子夜話5,平凡社(1978) 、 
http://jsvh.umin.jp/archives/pdf/54/054001024.pdf  より


 上記に紹介されているように、江戸時代には全国からお伊勢参りや日光東照宮参りに主人に代わり参拝したシロに限らず、代参犬が少なからず何頭も居たというのです。この事実を知ったことから、 #おかげくま参り は生まれたのです。

 そこで、私ども、 #おかげくま参拝 としては、機会をみつけて、東北からお伊勢参りを見事に成し遂げた、代参犬シロくんに会いたいな!と願っていました。

そして、ついに、その願いが叶いました。

おかげくま、ついにシロくんに会う

やってきました、こちらはシロくんの犬塚があるという須賀川市の十念寺さん。

福島県須賀川市 十念寺

シロのご主人、市原家の菩提寺です。

「犬塚はどちらですか?」とお寺にお尋ねすると、ご住職様の奥様?がご案内くださいました。

あった!ありました。
こちらがシロくんの犬塚です。

おかげくまのみんな達と一緒に記念写真。

生花がいけてありました。
シロくんは今でも愛されています。


背中にお札がおいてあったそうです
昭和44年に市原家14代目のご当主がこの犬塚の由来を記されたとのことです。
「寛政の昔 市原貞右衛門綱稠の飼犬が主人の命を受け道中多くの人々の善意に守られながら伊勢参りをなしお札を背負って無事帰宅す綱稠大いにこれを労い 死後その姿を石に刻みここ十念寺に葬る 本年 台座を設け犬塚として多くの犬の霊と共にこれを弔う 鳴 愛犬白の霊等やすらかなれ」


このあと、ご案内いただき、ご当主のお墓にもご挨拶させていただきました。

ありがとうございます。

 今ほど交通の便も街道も発達していない中、見事に全旅程を徒歩で走破したシロくんのお伊勢参り往復の旅に思いを馳せると、自然とその感動の念が湧いてきます。

奥州街道から江戸へ。東海道で四日市へ。四日市から伊勢街道で。
 「シロ」は奥州街道(現在の国道4号線)を下って江戸に入り、東海道~四日市経由で伊勢神宮に向かい、2ヶ月後の夕方、無事に帰って来ました。
頭陀袋の中には、皇太神宮(内宮)のお札と奉納金の受領や食べ物の代金を記した帳面と路銀の残りが入っていました。

「シロ」は主人に代わってお伊勢参りをした忠犬と町中の評判になり、皆から可愛がられますが、3年後に死んでしまいました。文化・文政年間(1804年~1831年)頃の出来事です。

 須賀川~日本橋/37宿、日本橋~四日市/43宿、四日市~山田/8宿。「シロ」は、一日3宿のペースで往復したこととなります。

 当時、街道沿いの人たちも主人に代わって代参する犬たちを気遣い、水を与えて軒先で休ませてあげたり、路銀の小銭が多くなっていたら両替して袋を軽くしてあげたり、次の宿場宛に申し送り状をつけた奉行もいたという微笑ましいエピエードが残されています。
https://www.travel.co.jp/guide/article/13182/

 当時は大きな河川には渡し船、山中には盗賊が暮らし、国ごとに関所があり、お伊勢参りは命がけの旅と言われていました。

渡れなかった大きな河川には橋がかかり、街道が整備され安心して移動できる現在とは異なる中、見事にお伊勢参りを成し遂げた「シロ」。

もちろん、当時、街道沿いで「シロ」のお伊勢参りを支援した数多くの優しい人々がいたからできたことです。

当主の想い、シロのお伊勢参りを支えた人々の優しさ、そして、「シロ」の忠義心。
日本は今も昔も本当に素晴らしい国だなぁ。

おかげくまを抱えて、そんなことを思いました。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。

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