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音韻に宿る。

人には誰でも秘密がある。

その人のすべてを記録することはできないので。

人には謎があり、その謎が人を人たらしめる。

私にだって秘密がある。

だから、人の秘密を暴くことに興味はないし、全てを明かしあってこそ親密になれるとも思っていない。

私は人と人は分かり合えないと感じている。

話す言葉はどれも、想いの取捨選択をしているし、話せば話すだけ過去になるので、とてもむなしい。


では、なぜわたしたちは話し合うのだろう?

わたしたちは何を手掛かりに、目の前にいる人を理解するのだろう?


話は変わるけど、わたしは物心ついた時から抱える言いようのない悲しみがありました。原因もわからず、家族は皆明るい方なのに、わたしだけいつもなぜか心の底で悲しかったです。

自分だけ違う性質だからかな?内心引きこもりだからかな?

家族は根が明るいけど、私だけ根が暗い方なのかな。

そう思いつつ成長し、出産した私に、母はとある秘密を打ち明けました。

それは、数十年たってなお、娘である私にしか明かせない、という類の秘密です。

けれども、それを聞いてわたしは、自分が抱えてきた悲しみの原因がどこにあるかわかった気がしました。

氷解したのです。

あくまで原因の一端であって、すべてではないけれども、母の感情、顔にも言葉にも出さずに抱えてきた母の感情を、子どもの頃から受け取っていたのです。無意識に。

それはどこから?

シュタイナーは音韻に神が宿ると言ったという話を、言語造形家の諏訪さんから聴きました。その意味はすぐにはわからなかったけど、えんげきの自主練習をした後、話し合ってから、だんだんと腑に落ちてきました。

私は母の声からその感情を受け取っていたんだと。

その人の声、音韻に、その人の生きた時間、感情、精神、すべてがこめられているんだとわかったんです。


言われてみたらその通り、話し始める前のたった一言で、子供たちは私の今の感情や精神状態を悟ります。

音韻に宿る神とは、わたしたちの魂なのだと感じました。

シュタイナーさんがそんなつもりで語ったのかどうか定かではないのですが。

ただ、言葉ではなくて、いつも声を聴いて相手の心情を理解していていたんだと。目に見えないその響きを全身で受け取ること、それが人と人とのやり取りであり、関係の構築なのだ、声を聴く、声を発するその一瞬一瞬がとても大事なのだと気づいたのです。

私がよく人と話していて、聞きやすい人の話と、全く何言ってるかわからない人の話があることの理由もわかりました。思うことと話すことが違う人の話はさっぱり理解できないのです。音と言葉に隔たりがあるので、言葉で理解しようとしていたから、何が何だかわからなくなっていたのです。

正直に生きるということは、音と言葉を一致させることです。

わたしにとっては、正直に生きることは何よりも大切なことです。

音韻に耳を傾ける。

そうすれば、言葉を話せない赤子の欲求も、周囲にいる人は感じ取ることができます。


日本語は母音で語ります。自然音は全て母音からできています。

自然は神なのです。

人と自然は同じなのです。

だから今は、人と人は分かり合えない、けれどもつながっている、と感じています。

垣根なく、無限に広がり、つながっているのです。

音韻によって。


もしかしたら、さびしいとき、心細くなったときは、ただ母音を発するだけでもよいかもしれません。


台風19号で亡くなられた方々に哀悼の意を表すとともに、被害にあわれた方々の生活に一日も早い安寧が訪れることを願っています。

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