見出し画像

ヨソはヨソココはココ〜学童保育と放課後の生活〜#6(保活編)

*よろしければ#5からお読みください♡

娘の小規模園生活はあっという間に過ぎていった。
2人目という事で、自分の余裕もあった。
ずっと息子の園にきょうだい枠転園申請をしていたが、叶わなう事はなかった。
息子を迎えにいった時、「2歳児空き出来たけど、違う子来たから、どっか決まったの?」と言われる事が数回。
前回でも書いたが、きょうだい枠なんて本当に形だけだ。
きょうだい枠で転園できなければ、3歳児で別途入園申請しなければいけなかったし、最後の最後まで諦めたくはなかった。

結局は転園は叶わず。
息子はその歳卒園。
でも、新規申請は息子と同じ園を第一希望にしていた。
4月入園の保育園は無事決まったが、第3希望の園だった。
息子と同じ園に行く事は叶わなかった。
息子の園は本当に素敵な園だった。
最近よくある色々な教育を取り入れる園ではなかったけど、その分季節の行事や子どもが経験して為になる事を沢山経験させてくれた。
その園に行けなかったのは、私が少し悲しかった。

娘が通う事になった園は、息子の園とさして変わらない距離で、住宅街にありながらそこだけ森ができたような自然に恵まれた園だった。
その園も系列園があったが、本園よりこじんまりしており園庭もあった。
私も初めこそ乗り気ではなかったが、通い始めたら良い面がたくさん見えてきた。
その頃、息子の通っていた園は園長も変わりのびのびした面が減り、通っているお母さん方に羨ましがられたりもした。
ちょうどコロナが流行り始めた頃だっだったか。
我が家は本当に、周囲に恵まれていたなと今になって思う。
3年間同じ先生が担任をしてくれて、小学生のお子さんがいる先生だった。
ママ友のように親しく話せる先生で、娘にも第二のお母さんのような存在だったらしい。
怒ると怖いけど〜とよく言っていたが、その後に続く言葉は「ママみたいに怒るよ」だったから。

そんな園で、楽しく過ごし成長し、アッという間に卒園だった。

保活でシンドイ思いをしたので、「小1の壁」も覚悟していたが…。

まず、息子の代は放課後児童クラブ、いわゆる学童しか選択肢はなかったから。
娘の頃は少し様子が変わったが、息子が通っている事もあり、同じ学童に行く選択肢一つだった。

保活編はここまで。
ヨソココ#1から読んでくださってる方は、#7へ。
保活編からの方はぜひ、#1から読んで欲しいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?