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エクスペリエンス、

ピラミッド元氣温泉の帰り道、無事日常に戻ることができたと安堵。でもこの経験をうやむやにせず、でも刻みすぎずに清算する使命的なものがある気がして、記憶を記録することを決意。

そもそもスピリチュアルな物事に関心や知識はあまりないけど、改めて容易に扱ってはいけない事象だと実感。今後人に勧めることはできないのだろうなぁ、と寂しさありつつ自分に向けて早速書いてみよう、。

ひとまず、ピラミッド元氣温泉に行くと決めてから日常に戻ってくるまでの事実と主観を、記憶の隅から隅まで時系列に書き殴る。

念願のピラミッド元氣温泉旅行。B級スポット旅はいつも通りみゆと。みゆが忙しぶるので、私がしぶしぶ電話で予約。電話番号を検索する時「氣」という字を使っているところに、米から八方に放出されるエネルギーのようなものを奇妙に感じつつ、WEBサイト陽気なのビジュアルに励まされ、勢いで電話をかける。

電話をすると、ピラミッド元氣温泉の館長が受け答えしてくれたのだけど、少しでも間が開くと「あの、聞こえないんですけど?」と食い気味に突っ込まれる。いや、喋ってないんだけどな、と思ったが呑み込んでとりあえず謝る。○○様2名でよろしいでしょうか?と確認する際、完全に名字を住所と入れ違っていたが、覇気にビビってしまって大丈夫ですと返事した。最後に宜しくお願いしますと伝えたら、宜しくのあたりでガチャンと切られた。

私的には期待通りで、こんなにも不穏な気持ちにさせてくれるなんて、徹底している、楽しみすぎてどうにかなりそう、完璧な幕開け。という気持ちになっていた。まぁある程度は覚悟はあったのかな。

旅行当日、ピラミッド温泉のある那須塩原へいつも通りのんびり向かう。新宿から電車で3時間経った頃、窓から外を見ると一面田畑しかないことに気づく。しかも前日の台風で草木もなぎ倒されてる。世紀末感。みゆとの旅行はどの景色も野草が茂っているだけ。どうかピラミッド温泉も、台風で荒々しさを増した姿で私たちを迎え入れてほしいと願った。

この時は、まだみゆと会っていない。みゆとは各々したいことをする為の時間を確保し、会話するエネルギーをとっておくためにあえて違う号車で向かう。いつも通り。たまたまみゆがトイレを探しているところでばったり会ったけど、軽く会釈して通り過ぎる。まだ到着まで30分、一緒に座るのは違うよな、という会釈だけ交わして去る。

前日は台風明けで真夏日の様だったのに、一転して今日は極寒。持ってきたペンギンのパペットを片手にはめて暖を取る。車内で成人女性がぺんぎんのパペットを片手にはめてるのが怖かったのか、隣の女の人は席を斜めに移動してた。

一旦宇都宮で下車し待ち合わせる。私たちは美味しいご飯がないとモチベーションを保てないので宇都宮で美味しい餃子を食べる。にも関わらずみゆは直前にサンドイッチ食べてきた。その時も腹一杯で食べれないと駄々をこねるが、結局目の前にすると食べる。いつものことすぎてなにも気に障らない。2人の間でのワガママは、でもその気持ちわかるからいいよ。で全てが片付く。

早速餃子を食べる。みゆが餃子を口の位置から醤油皿に落とす。白いワンピースに醤油をぶちまけ泣きそうになる。トイレから戻ってきた時薄っすら残っていたけど、めっちゃ落ちたね!と無理に励ましておいた。

無事西那須野駅について、電話で送迎車の手配をする。今回は大きな声で話したからことなきを得た。

行きのバスでは、6人のおじさんグループに話しかけられる。話しかけるというか、畳み掛けられるというか。とにかく勢いしかない。聞くとおじさんたちは明治大学時代の友人らしい。知ってるよと言わんばかりに法政の校歌歌い出すわ、俺50万持ってるからハム買ってやるよと大金の存在を振りかざす。気さくでおちゃめなんだけどとにかく話が止まらない。しかもたまに2人同時に話しかけてくるし、聞いてないと肩たたいて呼んでくる。いや無理がある。そういう時、だいたい私はみゆの肋をつつき、みゆは私の太ももをつねり、気持ちを共有している。声でるくらい痛いので加減を知ってほしい。

いつのまにか最寄りの千本松に着いた。最後にありがとうございました、さようならと伝えると、1人だけ喋っていなかったおじさんが「今までの、全部嘘だから」とだけ呟いていて良かった。バスを降り見え中なるまで手を振った。

バス停には既にピラミッド元氣温泉の館長が送迎に来てくれていた。おじさん達の勢いに、興奮冷めやらぬ私とみゆは、車に乗り込んでからもバスでの出来事をとにかく話す。すると館長がいきなり「ちょっとその話はいいから明日何時のバスに乗るか教えてくれる?」と覇気で会話を切る。みゆもわたしも瞬時にこれは抗ってはいけないいやつだ、と察し静かに帰りのバスを検索。沈黙の中、千本松という名前の様にただただ松林が続く薄暗い道を車線を超えながらかなりのスピードでまっすぐに突き進んでいった。車内ではひたすら息を潜め、お互い顔を見合わせて不安な気持ちを共有する。

荒々しく車を止め着いたよ、と館長。窓から見える大きなスフィンクスとピラミッドにテンションが爆発。さっきの不安も瞬時に吹き飛び車を降りる。その様子に好感を持った館長は突然饒舌になり「そのピラミッドは実寸の1/10スケールで精巧に作られているんだよ、なぜ1/10スケールかと言うとね、一番パワーを放出するからなんだよ。ただ、ピラミッドが好きと言うわけではなくて一番エネルギーが集まるように設計してあるんだ」と語る。特に後半が饒舌すぎてあまり話が入ってこなかったけど「本物だ」とひとことだけ返答した。

旅館の入り口では大きなスフィンクスが出迎えてくれる。館長はきちんとスフィンクスの足の間から入るように指示。なぜならお金持ちでお利口さんになれるからね、3回通れば億万長者だよ、と。館長は果たして何回通ってどれだけのお金を手にしているのだろうか、とか考えることは普通の人すぎるなぁと思いながらとりあえず足の間にから入る。

スフィンクスの後頭部には「知恵とパワーと富をおくります」と書いてあり、それを音読してくれた。うろ覚えっぽい。

きちんと名前で予約できていることを確認し、ホッとしつつ精算を済ませる。ひとり3800円。思えば成人女性2人が泊まる部屋の価格じゃない。部屋に案内してもらい、その光景にたじろぐ。人生においてこんなにも古い部屋に泊まったことがない。狭すぎる和室。簡単に壊れそうなドア。おばあちゃんの家の電話の横に置いてあそうな花の絵と造花、うっすら金色の壁紙、点灯するのに時差がある照明、すでに敷いてある布団、イメージとしては見たことあるけれど実際に泊まるとなると覚悟のいるビジュアルに2人して困惑。そんなみゆをみてどうにか前向きに捉えようと考えたが「やばい、やばい、エクスペリエンス、、、」という言葉しか出てこなかった。

とはいえここで寝る以外の選択肢は無いのでひとまず?布団に入る。いつも通り写真を見返す時間。みゆはひと眠りしているけど、私は早く館内を回りたくてうずうず。というかもう17時。確実に昼集合なのが原因。

みゆを起こして部屋を探検していると、あらゆるパワーを宿したもの達が飾られている。

「スフィンクス王子 レオ」誰?

めちゃリアル、対岸に羽を広げる孔雀

みんなが残していったもの、レオの遺影

豚バラの貴石

800円する4種のパワーカード
などなど、見所だらけの探検時間を過ごす。

素泊まりで予約していたのだけど、あると思っていた館内レストランがどうやらない。ちなみにピラミッド元氣温泉にはとり専という鳥肉しかないレストランがある。なんで鳥肉だけ?という疑問すら許さない雰囲気の店は現在休業しているみたい。

館長に尋ねると、徒歩近辺では夜ご飯食べれる所はないらしい。唖然としていると、館内にある「オアシス」という食堂で食べられる餃子定食が安くて美味しいから食べなさいと提案。もう絶対にそれがいいと、語気強めに語る。本当のところは、昼に餃子食べたしそれ以外のメニューは選ばせてくれないのか?と思ったが、もうそんなこと言ったら明日まで命があるか不安だったので、素直に受け入れることにした。でもこういう、館長と来客の主従関係が逆転する感じがB級スポットならでの暖かさを感じる。

普通に美味しいけど昼に専門店の餃子を食べてしまったから比較してしまうなぁと、思いながら食べてるとみゆの顔がこわばっていることに改めて気づく。だんだん外は暗くなり、館内の雰囲気は益々らしさを取り戻し、建物、館長、周りのお客さんすら、不思議と恐ろしく感じる。抗えない恐怖とか。来てはならない場所だったのではという不安と後悔と、やっと一線超えたなという実感。そんな神妙な顔をしているみゆを見て私まで喉が詰まる。どうなってしまうのかという不安と同時に来たからにはやりきらないと帰れないなという覚悟も生まれた。でもまぁ、今は餃子を食べるしかない。

食事のお礼とメイン?となる瞑想ルームに行きたいと館長に尋ねる。650円。高いと思ったがやらずには帰れない。瞑想ルームは40〜50分かかるから風呂前に行くといいと館長が提案。あらゆる設備が21:00に閉まるのでなかなかタイトなスケジュール。

650円を支払い、いざ瞑想ルームへ。瞑想ルームへの階段は鎖で閉ざされており、奥は薄暗くてよく見えない。どうなってしまうのだろうという恐怖と、未知なる興味と希望と覚悟があった。館長は鎖を解き階段を上りながら饒舌に瞑想ルームの説明をする。階段の壁には孔雀の剥製のようなものや、エジプトの絵画やオブジェが並んでいたが、館長の話に神経を集中していたからか、視覚情報がシャットアウトされあまり気にならなかった。館長は「たしかピラミッドパワーというのは、君達の親が若い頃にブームになってね、」と話してくれた。あ、ブームという認識は許されるんだとか、垣間見える客観的な発言に安心感を抱きつつ自我を取り戻す。

そして瞑想ルームへ。暗闇の中に薄っすら光る金色のオブジェをみつけ直感でやばい、と思った。天井にある、星座の位置に配置されたライトで部屋が照らされると、金色のオブジェの全体像がやっと確認できた。聞いてもいないのに館長はものすごい勢いと熱量でそのオブジェについて説明してくれた。どうやらこれは樹齢何百年もの木の根に金粉を3度と塗りたくり、一千体の曼荼羅が彫られた、宇宙エネルギーが溜まる場所らしい。何億もかけて作ったのだから、これが650円で味わえるのは破格だと豪語。その周りは水晶で囲まれてていて、方位磁針と凸レンズが雑多に置かれている。もう、パワーの暴力といった感じ。

館長はとにかく饒舌でベラベラ喋り続ける。瞑想ルームは、正確に北向きに作られていて、北から光がさすようにライトを設置しているらしい。この光を氣のエネルギーを集める凸レンズに透かすと、金の樹根に光がさす。すると宇宙エネルギーが溜まり、しばらくすると掌がピリピリするらしい。これは簡単に理解した気になってはならないし、そもそも理解するものではないのでとりあえず、明るい調子でへぇー!と返してみた。へぇ、は便利。

宇宙エネルギーについて説明し終え、続けて瞑想方法を伝授してくれた。本当に良かったと思うのは、館長が思想を強要する人ではない、比較的寛容なおじさんだったという事。館長曰く、よくいう瞑想は無になろうとするが、ここでは無になる必要はないらしい。なぜならここは宗教でも哲学でもないから、強制することは一切しないらしい。また、哲学や宗教でない為宇宙との対話を仲介するものもいない。ただただ自然と一体になり、宇宙と直接会話できる場所であるらしい。仲介者がいないというのは、例えば農家である生産者が消費者に野菜を売る様に直接繋がることと同じと丁寧に説明してくれた。つまりここは、宇宙とダイレクトにつながっている。だから物理エネルギーに身を委ね、任せることでどんなに考え事をしていても、物理エネルギーの波長と相殺されて、自然と無になってしまうらしい。その状態になるとはじめてインスピレーション(霊感・閃き)が湧いて出る、らしい。

全体的になぜならの意味が理解できなかったがとりあえず得意のへぇ!で飲み込む。聞いてて思ったが、館長はたとえ話がうまい、けど長い。仲介者がいないことを農家の話で例えたり、相殺というのはプラスとマイナスがぶつかり合って0になる、相手の相に、殺すという字でね、と説明してくれたりしたがさすがに仲介と相殺の意味くらいわかる。でもやたら丁寧に説明してくれるところは可愛らしくも感じる。

館長は座禅を組んでしばらく経ったら寝転んでごらん、40分たったら下に降りておいでと言う。去り際に星座のライトをつけてくれたのだけど、これはコンピュータで制御してるから星座がゆっくり変化していくよと説明してくれる。BGMは懐かしいラジカセで。あ、寝転んでもいいんだとか、システムの話するんだとか、ラジカセのスイッチを押すみたいな、手作り感のある要素が安心感を与えてくれたのが救い。

館長がいなくなり、みゆとわたしは瞑想を始める。館長の言い伝えを無視してわたしはすぐに寝ころんだ。というか、あまりにもみゆの背筋がピンと伸び、顔も体も強張っていたから、その緊張をほぐしたかったのもある。

館長へのツッコミはとまらないけど、とりあえず受け入れてみたいね、ということで2人して真剣になってみる。しばらくすると本当に掌がピリピリするように感じる。過敏になっているだけなのだろうけど。そこからもっと受け入れてみたいという気持ちになる。みゆと会話しながら横になると、体から頭までじわじわと脱力し、話そうという意思に反して話題が浮かばなくなる。2人して沈黙。沈黙してしまうね、という会話だけする。光と音と脱力に集中すると、明るさとか床の硬さとか空間がぜんぶ居心地よくなる。恐怖と不安に鈍感になり必然的に安心する。その時なにを話していたかほぼ覚えてないのだけど、お互い穏やかな空気感で会話していたのはなんとなくわかる。気づいたらあっという間に50分経過。館長が見かねて迎えに来ると、みゆが飛び起きて館長に駆け寄り「めちゃくちゃ良かったです!やって良かった、すごく心地よかった!」と話しかける。あ、元気になれたならよかった、と一瞬思ったがみゆの変化ぶりに恐怖を覚えた。恐怖と不安が無くなった途端、こんなにも目の光が変わってしまうのかと危うさを感じた。それを聞いて館長もご機嫌。瞑想ルームを出た後の館内は、来た時に感じていた空間への違和感が無くなり全てが居心地よく感じるてしまうね、と2人で温泉に入りながら語る。今思えばこの違和感を感じなくなってしまったことが1番怖いことなのかもしれない。

温泉は瞑想ルーム下の階にあり、ちょうど樹根の真下に当たるところに氣柱とかかれた柱がある。館長曰く、ここにパワーが溜まっており、水分子をクラスタ状に分解する為肌がツルツルになるらしい。そこでも「クラスタ」の説明を丁寧にしてくれたが、意味はわかるし、例えがベトナム戦争の核爆弾の話だったので他にいい例えはなかったのか、と心の中でツッコむ。

その日の夜、みゆと私は館長が饒舌に語っていた「宇宙との対話」を実感してしまった。

みゆと部屋に戻り布団に入る。まだ22時。明日は早起きして、朝日に照らされるピラミッドを拝みたいねということで早起きを決意。まだ時間もあったのでその時は23時くらいに寝たいねと話す。お互いネットサーフィンしながらごろごろ。

みゆとわたしは毎日ラインも、電話もよくするし、なんだかんだ週に1回程度会っている。故にいつも会う時にそんなに話すことがない、というのがお決まりになっている。その時もいつものように話すことないなぁと話していた。そんなこともあり、私は22時にも関わらず早々に寝よう呼吸を深くした。

いつものペースで、わたしが眠そうにすると、みゆのスイッチが急に入る。「え、もう寝るの?もう少し話そうよ」と言い始める。話すことはなかったはずだったのに、気づいたら深夜3時になっていたのだ。

振り返ると、私が寝そうな空気を出した瞬間からだ。何かに迫られてるように話題を絶え間なく振り続けてきた。「そういえば、最近こんなことがあって、どうすればいいかな?」という主に対人関係に対する相談を異常な速さで、間が空くことなく、質のある話題を問いかけてくる。最初は「ああだねぇ、こうだねぇ」と返事をしていたが、1時間もすると私はだんだん睡魔で体力が限界に近づく。0時になったあたりでもみゆは止まらず「そういえばさぁ」を永遠に繰り返す。投げかける速さ・量・質がいつものみゆと格段に違う。

限界が近づいた瞬間から、わたしにもスイッチが入る。眠さとだるさで目が開けるのが難しく、体は寝返りを打つような動きをする。にも関わらずみゆの言葉が一語一句とてつもない音量で脳に直接語りかけてくる。メガホンで脳がかきならされるように鮮明に。目は開かないし、呼吸も深く体は完全に寝ているのに、問いに対して瞬時に答えが浮かぶし、勝手に口から出てくる。しかも疲弊しきった体とは思えない物凄く溌剌とした昼間の様な声が出る。いつもなら、みゆがこの返答をしたらどう思うかなどを考えた上で言葉を選んでいるけど、その時は考える前に言葉が溢れ、気づいたら声に出ていた。それはまるで脳と口が直接つながっている感覚だった。脳の一部と口の感度が200%に高まり、それ以外が完全に機能停止している感覚。いわゆるゾーンに入る体験。わたしは、みゆの問いに、正しくて的確な答えを、考える前に、でもわたしの言葉で叩き出すことできていた。みゆは、とてつもない閃きで問いかけを絶やさない。そのサイクルを高速回転させ続け、気づいたら3時になっていた。私の体は寝たくて悲鳴をあげてるのに脳が寝ることを許さない。時々嬉しそうに苦しいと発言していた気がする。みゆはみゆで、会話がなくなる恐怖から逃れように、私の意識をつなぎとめるのに必死だった。振り返るとなにを話したのか、結局解決したのかはわからないのだけど、ひたすらに問いと答えのサイクルを高速で回してたという事実だけを覚えてる。

このままでは朝になると、無理やり会話を終わらせる。みゆは惜しそうにしていたが私は限界だったので1分の沈黙ですぐ寝れた。みゆは脳が活性化しすぎてかしばらくねれなかったらしい。

今思うと、その時私たちは宇宙との対話を体感していたかもしれない。本能に争わず身を委ね、無・空になることで問いと答えが閃き(=インスピレーション)、湧き出て止まらなくなり脳同士が直接語り合って(=宇宙との直接的な対話)いたのだと勝手に腑に落ちた。あの覚醒状態の感覚が今もずっと忘れられない。

次の日の朝、身支度をし終えると旅行の2日目とは思えないくらい2人とも溌剌としていた。帰りのバスでも言葉が溢れて止まらず、体も驚くほど軽かった。

バスで今までの出来事を振り返る。那須塩原駅の広くて近代的な建物を目にして「戻ってこれたね」とほっとする。

その瞬間から急に言葉が詰まるようになる。お昼を食べながら、2人してなんだか体が重くかんじ始める。旅行2日目らしい相応な疲労感。逆に戻ってこれたのだと益々実感。

疲労もあり帰りの電車は爆睡。寝ぼけながら歩いた新宿駅は、いつもだったら煩く感じる人混みも、情報量の多いネオンの看板も、飲食店の排気口から出る空気ですら、落ち着きを与えてくれる。

その日の夜は、大好きなmujicafeでいつもの自分を胃から取り戻す。なんかもうずっと昔のこと様で、あったことを信じたくない気持ちもあった。

こうしてやっと、日常に戻れた気がした。この経験は、うやむやに忘れず、でも刻みすぎず、きちんと清算しようと決意。

この旅は、恐れ慎しむ気持ちに一度鈍感になってしまうと、その世界に陶酔してしまう。酔いしれ気持ちよくなると段々覚醒し、神経が研ぎ澄まされる。いつかは引き戻されるけど、ずっとずっと忘れられない。人間の危うさを感じさせられたし、恐怖に自覚的になることの大切を感じさせるそんな体験だったきがする。

今回はみゆと同じ覚悟、温度感でいれたから自我を保てたのだと思うと、他に誰なら一緒に来れたのだろうと思うし、多分行かなかったんだろうなぁと思う。

とりあえず感じたことを思い出せる範囲で全て書いてみたけど、結局思い込みの世界でしかないんだろうな、でもだからこそこの興奮がずっとあり続けるんだなぁとしみじみ。

この場と体験を人に勧めることはできないし、するべきではないなぁと身が引き締まる。

だからインスタのキャプションをなんと書くかすごく悩ましい。エクスペリエンス、、とだけ書いて投稿しようかな。

#記憶と記録

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