「信じる」にも程度はある

皆さんは「過去に自分が思い描いていた未来や、これは素晴らしいと思ってきたものが、実は大したことがなかった」ということってあります...?

僕は時々あって、その度に、「自分は本当に何も知らないな。何も知らないせいで、こんなものを信仰してしまうような、程度の低い人間だったのだな」と、自分に失望するわけです。

で、ここで気づくのが、自分は「素晴らしいと思ったものを信仰しようとするくせがある」ということです。

心からある対象物に一生を捧げようとか、死ぬまでこうしよう、みたいなものが出来上がっているならそれもいいでしょうけど、僕はそんな気はまったくないわけです。

これは少し恐いことだと思っていて。

なぜかというと、もしも対象物あるいは対象の人間が、こちらを利用しようとしたり、欺こうとした場合に、全く抵抗ができないというか、「そんなはずはない」と思ってしまうからでして。

でも、そのような気持ちの働きに支えられている人たちもいるし、一概によくないともいえないのかもしれません。その恩恵を受けているのが「人前に出る人」という部分もあるのだろうし。あ、卑屈な意味ではないですよ。

僕も、他の人と同じように、僕のつくるものや僕自身を、できればみんなに好きになってほしいし、信仰できるならしてほしいです。笑

そういえばそんな歌も書いてましたね。最近やってないな、「なりたい」...結構いい曲だと思うんだけどな。笑

でもまぁ、そうしてもらうからには、できるかぎりきちんとしていきたいなぁと思いますけども...

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