深読み_スプートニクの恋人_第3話1

『深読み 村上春樹 スプートニクの恋人』第3話「ミュウとDB」


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スナックふかよみ にて


『海獣の子供』や『COMIN THRO' THE RYE』を思い出すといい…

「23」にまつわる物語があったはず…

染色体!?


カランカラン♫
(ドアの開く音)


ちーっす。

あ…

イソグロ…

カヅオさん!

いきなりで何だけど1曲歌わせてもらうよ。

堺正章の『二十三夜』、聴いてね。

・・・・・

カヅオさん、なぜギター持ちながら入って来たの?

まるで流しの人みたい。

おやおや。俺が元ミュージシャンだってこと忘れたのかい?

あ、そっか。昔はロン毛でバンドマンみたいな恰好してたのよね。

ロン毛のバンドマンではない。人を高円寺みたいに言うな。

ロンドン界隈ではちょっとは名の知れたロックスターの卵だったんだぞ。

でもネーサンに「そんなんで食ってけるわけないでしょ!」って言われて諦めた。

俺はネーサンの言うことには逆らえないからな…

ロスチャイルド卿でしたね、

おお、岡江君。久しぶり。

何年振りだろう。あの節はお世話になりました。

いえいえ。こちらこそ。

そして春木君。先週以来のこんばんは。

また面倒なのが増えたな。

じゃあ皆さん、御挨拶代わりに飴ちゃんどうぞ。

大阪のおばちゃんみたい。いつも持ち歩いてるんですか?

たまたまです。

あ!のど黒飴じゃん!あたし大好きなの!

のどくろ~あめ~♪

チッ…

じゃあ不機嫌な春木君からちょっと離れたこのへんに座ろうかな。

ヨッコラショット…

カヅオさん、何にします?

いつものやつでお願いします。

深代ママのワカメ酒。

は?

JORDANですよJORDAN。

いつものキンキンに冷えたマティーニを。ステアせずシェイクして。

チッ。キザなイギリス野郎め…

何か言いました?

だいたいだな、貴様らイギリス人が中東で三枚舌を使って無責任なことをし尽くした結果、あの壁が生まれ…

はいはいはい。

もうあなたたち二人は顔を合わせれば壁の話なんだから…

楽しいお酒の席でそういう面倒な話はやめてちょうだい。

じゃあカヅオさんも来たことだし、改めてチンチンしましょ。

チンチーン!

チンチン!

チンチン!

・・・・・

はいカヅオさん、これ今日のお通し。

サザエの壺焼きよ。

いやこれ缶詰のやつでしょ? 壺焼き風味の謎の貝。

バレたか(笑)

箸は?

あ、メンゴメンゴ。忘れてた。はい、どうぞ…

おお!

今度は何?

この箸見て!箸見て王国!なんちゃって。

は?

しつこい野郎だ。しばくぞ。

ところで、壁に何を映してるんです?

なんだか見覚えのある文章ですけど…

今ね、村上春樹の『スプートニクの恋人』の深読みしてるところなの。

岡江クンがね「スプートニクの恋人はライ麦畑の恋人だ」って言い出して(笑)

ライ麦畑…?

サリンジャーの『THE CATCHER IN THE RYE』…日本では『ライ麦畑でつかまえて』と『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の二通りで呼ばれる、あのややこしい小説のことか?

そう。

そいつは面白そうだ。

よかったらカヅオ君もぜひお付き合いください。

もちろん。乗り掛かったフネですから。

さっきカヅオさんがいきなり『二十三夜』を歌い出して、あたしビックリしちゃった。

ちょうど「23番目の染色体」の話になったところだったのよ。

23番目の染色体? 男女の性を決めるXとYの?

『スプートニクの恋人』のヒロインすみれは「22歳の春」まで心身ともに中性的で、性欲を知らなかったんです。

そして年上の女性ミュウと出会って大混乱に陥り、ギリシャで行方不明になって、「23歳」の誕生日を過ぎた時、語り手である「ぼく」のところに帰って来るんですよね。

「あなたが必要だとわかった」と言って。

そんな話だったな、確か。

実はこの「すみれの年齢」は「染色体の喩え」になっているんです。

すみれにはまだ23番目の染色体がなかったから、性が決定していなかったというわけなんですよ。

なんか1番目の染色体ってアルファベットの「K」に見えない?

気のせいでしょう。人は見たいものを見てしまう。

ではチャプター1冒頭の段落の続きを見ていきましょう。

すみれの心に現れた「平原の竜巻」は、海を渡って西へ西へと進む…

そして勢いをひとつまみもゆるめることなく大洋を吹きわたり、アンコールワットを無慈悲に崩し、インドの森を気の毒な一群の虎ごと熱で焼きつくし、ペルシャの砂漠の砂嵐となってどこかのエキゾチックな城塞都市をまるごとひとつ砂に埋もれさせてしまった。

カンボジアからインドへ行って、イランからさらに西のどこかにあるエキゾチックな城塞都市まで行ったわけか。

でもさ、なんで最後は「どこかの」って濁したのかしらね?

そこまでは地名が出て来るのに…

実は答えは書かれているんだ。

え?

「アンコールワット」だよ。

それは最初の場所でしょ?

でも不自然だと思わない?

他は「インドの森」とか「ペルシャの砂漠」って漠然とした地域名なのに、最初だけ「アンコールワット」って具体名が出てて。

何か意図があるとしか思えない。

言われてみれば確かにそうだけど…

ペルシャの西にアンコールワットはないでしょ?

「アンコール・ワット」とは「王都の寺院」という意味…

ペルシャの砂漠の西、中東の地には、砂に埋もれた「王都の寺院」がある…

世界的にはカンボジアの「アンコールワット」よりも、もっと有名な「アンコールワット」だ…

そしてそれは「城塞都市」だった…

そんなの中東にあったかしら?

エルサレムの旧市街地と「神殿の丘」だよ。

日本語では「神殿」と呼ぶけど、英語では「TEMPLE(寺院)」だ。

村上春樹は「アンコールワット(王都の寺院)」という言葉を使うことで「ヘロデ大王のTEMPLE」を暗示させたわけだね。

『Reconstruction of Jerusalem and the Temple of Herod』
ジェームズ・ティソ

え? この城塞、今もあるでしょ?

トランプさんもお祈りしてたわ。砂で埋もれてないじゃん。


現在見えてるのは後世に新しく作ったものなんだ。

エルサレム城塞都市は、まずダビデやソロモン王の時代に建設され、バビロン捕囚の時に破壊されて廃墟となった。

その後、砂と瓦礫の上に新たに再建され、ヘロデ大王の時代には神殿も大きくなり最盛期を迎えた。

そしてイエスの死後にローマ帝国によって破壊され、再び砂と瓦礫の下に埋もれてしまったんだ。

現在「嘆きの壁」と呼ばれている壁を残してね。

その「嘆きの壁」は、現在そびえ立っている28段の石壁のうち、下7段だけがヘロデ大王の時代に作られたもの。8段目から上は後世に付け足されたものなんだ。

だけどかつての城塞都市は、完全に消えてなくなってしまったわけではない。

地面の下に一部が奇跡的に保存されていて、現在では発掘作業が行われている…

そうなんだ… 知らなかった…

何度もスクラップ&ビルドを繰り返したのね…

だから村上春樹は「アンコールワットを無慈悲に崩し」なんて書いたのか。

ローマ人に破壊されたエルサレムの城塞都市のことだったんだわ。

でもなぜエルサレムをこんな遠回しに出す必要があったの?

『スプートニクの恋人』は『THE CATCHER IN THE RYE』を下敷きにして書かれているから、サリンジャーが比喩やダブルミーニングを駆使して書き込んだ「聖書ネタ」もそっくりそのまま踏襲されているんだよ。

だから村上春樹は、注意深く読めば「エルサレム」の存在に気付けるような言葉を冒頭に散りばめていたというわけ。

ちなみに「城塞都市を砂でまるごと消した」というのは、『THE CATCHER IN THE RYE』の冒頭に出て来る「デヴィッド・カッパーフィールド」の同姓同名ギャグでもある。

映画冒頭で巨大ジンベエザメが消えた『海獣の子供』と同じ手法だ。

・・・・・

ちなみにカズオ・イシグロも『日の名残り』で「嘆きの壁」をネタに使っていたっけ…

ナチスシンパの主人のもとで執事長を務める主人公スティーブンスは「キリスト教に改宗したユダヤ人」という出自を隠していた。

そして彼の父が痴呆症になり館に引き取るんだけど、この父は石畳を見ると「嘆きの壁」だと勘違いしてユダヤ式の礼拝を突然始めてしまうもんだから、スティーブンスは窓から眺めながら冷や冷やしていたんだよね。

だけどスティーブンスの語りでは全て「別の話」にすり替えられていた。

石に「つまずいて転んだ」ことになっていたんだ…

あっ!思い出した!

「信頼できない語り手」って『日の名残り』の主人公スティーブンスのことじゃん!

あれも語り手の嘘と妄想の物語だった!


そんなことはいいから『スプートニクの恋人』の話をしようぜ。

「インドの森を気の毒な一群の虎ごと熱で焼きつくし」ってとこも、めっちゃ臭うだろ?

そうね。なんで「インドの森の気の毒な一群の虎」なのかしら?

これも『THE CATCHER IN THE RYE』の冒頭シーンを踏襲したものだ。

物語の語り手である「僕」ことホールデンは、元小説家で今はハリウッド映画の脚本家をしている兄DBのことを話す。

物価が今の数十分の一だった当時のお金で4000ドルもする高級車ジャガーを乗り回している兄DBのことをね。

それが「インドの森の気の毒な一群の虎」になったんだ。

ちょっと待って。意味わかんない。ジャガーと虎くらいしか似てないじゃん。

しかも持ってたジャガーは1台だけなんでしょ?

なんで「一群の虎」になったの?

サリンジャーは『THE CATCHER IN THE RYE』で、DBのジャガーのことをこう書いている。

It cost him damn near four thousand bucks.

「4000ドル近くもした」と書いてあるだけじゃん。

「buck」は「ドル」のスラングとして使われるんだけど、元々は「オスの動物」という意味の単語なんだ。

つまりさっきの一文は、こういうふうにも訳せる…

It cost him damn near four thousand bucks.
気の毒なことに4000頭近いオスが犠牲となった。

まあ!

ヒュ~♫

・・・・・

笑えるよね、村上春樹って。

わかった!じゃあ「インドの森」は「ハリウッド」のことね!

「ボリウッド」のギャグだわ!

まあ、そんなとこだろう。

さて続く部分も非常に興味深い…

みごとに記念碑的な恋だった。恋に落ちた相手はすみれより17歳年上で、結婚していた。さらにつけ加えるなら、女性だった。それがすべてのものごとが始まった場所であり、(ほとんど)すべてのものごとが終わった場所だった。

美魔女ミュウ様の登場ね。

「記念碑的な恋」というのは、若き日に村上春樹が抱いていたサリンジャー『THE CATCHER IN THE RYE』への「恋」のこと。

この小説のタイトル「スプートニクの恋人」とは「ライ麦の恋人」という意味だからね。

すみれが恋した相手ミュウは「39歳」なんだけど、この年齢は特に意味はない。

村上春樹はミュウがすみれよりも「17歳年上」ということが書きたかったわけだ。

なんで?

『THE CATCHER IN THE RYE』の主人公ホールデンが「17歳」だから。

冒頭で「17」という数字を出したかったんだよ。

そしてミュウは若くして「白髪」だった。これもホールデンのネタだね。

じゃあミュウのモデルはホールデンなの?

いや。ホールデンの役は「すみれ」と「ぼく」が担う。

ミュウの役割は、ホールデンの兄DBだ。

どちらもジャガーに乗ってるでしょ?

あ、そっか!

ちなみにDBのフルネーム知ってる?

フルネーム?

確か最初から最後まで「DB」としか呼ばれてなかったような…

春木さん『ライ麦畑でつかまえて』を読んだことあるでしょ?

DBの本名って出て来たっけ?

い、いや… 出ては来ませんね…

しかし…

「DB(ディービー)」の本名は「David(デイヴィッド)」なんだよ。

おそらく「David Benjamin Caulfield」の略だろう。

デイヴィッド・ベンジャミン? なんだかユダヤ系っぽい名前ね。

だって主人公ホールデンの家族は、ユダヤ系であるサリンジャーの家族の投影だから。

サリンジャーの本名もジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(Jerome David Salinger)という。

「Jerome」はユダヤ系キリスト教徒に多い名前だな。

「Jerusalem(エルサレム)」と「Rome(ローマ)」の両方が入ってるから。

そういうわけで、『THE CATCHER IN THE RYE』における「DB」は「ダビデ」が投影されたキャラクターになっている。

「昔は優れた短編小説家だった」というのは、ダビデが名著『詩篇』を書いた優れた作家だったことを言ってたんだ。

じゃあ『スプートニクの恋人』のミュウもダビデなの?

そうだね。ミュウの場合は音楽家に置き換えられた。

まあダビデも竪琴の名手で、演奏しながら詩篇を詠んだわけだから、ほとんど一緒だけど。

あ、そっか!

そしてもっと興味深いことがある。

さっきの文章から「17歳年上」という言葉を抜き取ると、こうなるんだよね。

「恋に落ちた相手は結婚していた。さらにつけ加えるなら、女性だった。」

これはミュウにダビデだけでなく、人妻バト・シェバも入っていることを示している…

『Bathsheba at the Bath』
ウィリアム・ブレイク

ダビデが入浴シーンを覗き見して狂っちゃった相手ね…

ん?

そういえばミュウって…

自分自身の裸を覗き見して…

その通り。

ミュウにはダビデとバト・シェバが両方入ってるから、一人二役を演じたというわけ。

なんてこと…

おいおい。面白くなってきたな。

すると、この文章の意味も見えて来る。

それがすべてのものごとが始まった場所であり、(ほとんど)すべてのものごとが終わった場所だった。

ダビデがバト・シェバの裸を覗き見したところはエルサレムの王宮、つまり旧市街地、神殿の丘周辺だ。

そこは始祖アブラハムが息子イサクを神に捧げようとした石台がある丘…

そして新約聖書の出来事の(ほとんど)すべてのものごとが終わった丘…

その場所について村上春樹は説明しているわけだね。

すごい…

すごいと思わない? ねえ、春木さん…

・・・・・

あっ! また花が変わってる!

今度は何?

この薄く青みがかった六芒星の花は…

ハナニラかな…

ホントだ。いささかレバニラ臭がする…

うまい。

ついでと言ってはなんだけど、ミュウについてあと1つだけ話しておこう。

小説の最後に彼女は再登場するんだけど、その場所は「広尾の明治屋前」だった。

青いジャガーに乗った美魔女が出没するのにピッタリな場所じゃない。

でもなぜ青いジャガー? ジャガーといえば緑じゃない?

これも「ぼく」の嘘だ。

え?

「ぼく」はタクシーに乗っている時に「広尾の明治屋の前でジャガーを運転するミュウを見た」と語るんだけど、これは妄想で間違いない。

「ぼく」は東京23区外の国立市の小さなアパートに住んでいて、そこからさらに電車で数駅離れた別の市にある小学校で先生をしていた。

そういう背景の人物が広尾でタクシーに乗るという状況は、ほとんど考えづらい。

まあ、確かにそうね。

でもなぜ「広尾の明治屋前」なんてピンポイントで妄想をしたの?

「ぼく」がダビデの妄想をしていたから「広尾」と「明治屋」が出て来たんだよ。

ダビデの妄想?広尾?

あっ!もしかして!

そう。

広尾のパパス本社にある巨大ダビデ像だ。


あれ結構ビックリしちゃうのよね!

普通に歩いてると突然ダビデが立ってるから。

いや、立ってはいないんだけど…

どっちやねん。

そして「明治屋」…

これもダビデの妄想の産物だ…

明治屋がダビデ? どうして?

春木さん、わかる?

答えは、風に吹かれてる…

ん? 六芒星の形をしたハナニラが風に揺れている…

六芒星って確か…ダビデの紋章…

上向きの三角形と下向きの三角形が重なり合ったような形よね…

ああっ!

わかった! 明治屋のロゴよ!

その通り。

明治屋のロゴ「三つ鱗」の三角形を少しずらすと、六望星「ダビデの星」が出来るんだ…

もう驚きの連続よ…

まさか『スプートニクの恋人』のミュウのモデルが『ライ麦畑でつかまえて』のDBで、その大本がダビデだったなんて…

なんだか歌いたくなってきたぞ。

DBじゃなくて「シビー」だけど。シビ~シビ~♫

それちょー懐かしい!

ローザ・ペテルスブルグだっけ?

ルクセンブルグ。

「シビー(Sibby)」とは…

ギリシャ語で「女預言者」という意味…

それでは歌います、ローザ・ルクセンブルグの『シビーシビー』…

今宵、世界が平和でありますように…



つづく





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