深読み_スプートニクの恋人_第6話1

『深読み 村上春樹 スプートニクの恋人』第6話「愛を、ごめんね」


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スナックふかよみ にて


身体を動かしたら何だかスッキリしたわ。

ずっと同じ姿勢で字を読んでたり何かを考えてたりするのって身体によくないのよね、エコノミークラス症候群じゃないけど…

1時間おきくらいにあのダンスしましょ。

もうしません。

あれ? またスミレに戻ってる。

あのキュウリはどこへ行っちゃったの?

収穫しておけばよかったわ…

勘弁してくれよ、深代ママ。

あいつの口から生えたキュウリでモロキュウとか作られた日にゃ、たまったもんじゃない。

さて、「ぼく」は再び「すみれ」について語りはじめる。

「すみれ」に恋をしていたけど、「ぼく」はそれを本人に面と向かって言えなかった。

でも「それでよかったのかもしれない」と語るんだね…

 やはり断っておいた方がいいと思うのだけれど、ぼくはすみれに恋をしていた。最初に言葉を交わしたときから強く心を惹かれたし、それはあと戻りできないような気持ちへと少しずつ変わっていった。ぼくにとっては長いあいだすみれしか存在しないのも同じだった。当然のことながら、ぼくは何度もそんな気持ちを彼女に伝えようとした。でもすみれを前にするとなぜか、自分の感情を正当な意味を含む言葉に換えることができなくなった。もっともそれは結果的には、ぼくにとってよいことだったかもしれない。もし僕がうまく気持ちを伝えることができたとしても、すみれは間違いなく笑いとばしてしまったはずだから。

なんかアヤシイわね、この部分。

村上春樹は「すみれ」のことをホールデンそのものとして描写してたじゃない?

てことは、これって村上春樹が『THE CATCHER IN THE RYE』やサリンジャーのことを言ってる可能性があるわよね?

そうだね。

世間から距離を置き隠遁生活を送っていたサリンジャーに対し、村上春樹は何度もコンタクトを取ろうとしていたのかもしれない。

世界初となる、注釈や意訳を駆使した「完全版キャッチャー・イン・ザ・ライ」を書きたいという気持ちを伝えたくて。

もしかしたらサリンジャー本人とも会っていたのかもしれないな。

でも、想いを伝えることは出来なかったのね。

本題に入る前の何気ない会話を交わす中で、村上春樹はサリンジャーに「決して受け入れてもらえない、断固とした拒絶感」を感じ取ってしまったのかも…

「やれやれ、またか。お前みたいなのはこれまで何人も来た」みたいな…

それを映画にしたやつがいたな。

「僕はあなたの作品を本当に理解しています。だから劇化させてください」ってお願いに行く物語に形を偽装した『俺流THE CATCHER IN THE RYE』を作っちまったやつが…

『COMING THROUGH THE RYE(ライ麦畑で出会ったら)』のジェームズ・スティーヴン・サドウィズ監督ですね。

サドウィズは実際にサリンジャーにお願いに行きました。だけど許されなかった。

でも彼はそれを「自伝的青春ロードムービー」の体にして描くことで、禁じられた『俺流THE CATCHER IN THE RYE』を実現させてしまう。

『THE CATCHER IN THE RYE』の中で駆使されている比喩やダブルミーニングを、全部表現してしまったんですよね…

これって、そういう映画だったの?

そう。サドウィズはこの映画の中でずっとサリンジャーに問いかけ続けている。

「あれはこういう意味ですよね?この場面はこういうことですよね?」と。

でも村上春樹は約20年も前にそれをやっていた。

『スプートニクの恋人』として…

・・・・・

だけど、さっきの段落部分に隠されているのは「村上春樹のキャッチャー愛」だけではない。

「ぼく」が「すみれ」へ抱く複雑な想いとは、「キリスト」が「イエス」に抱くそれなんだ。

「でもすみれを前にするとなぜか、自分の感情を正当な意味を含む言葉に換えることができなくなった。」という一文は…

「でもイエスに対してなぜか、(近い将来に罪人として処刑される計画になっているので)自分の感情を正当な意味を含む言葉に換えることができなくなった。」

という意味にもなっているんだよね。

マジで?

それは次の段落で明確にわかる。

村上春樹はこんなジョークをとばすんだ…

 ぼくはすみれと「友だち」としてつきあっているあいだに、二人か三人の女性と交際した(数をよく覚えていないというのではない数え方によって二人になったり、三人になったりするのだ)。一度か二度だけ寝た相手を加えれば、そのリストはもう少し長いものになる。

数え方によって二人になったり三人になったりする?

もしかしてこれ「三位一体」のこと言ってるとか?

その通り。

そしておまけに「リスト」なんて言葉までリップサービスで出してしまう。

もちろん「キリスト」の駄洒落だけどね。

まあ。

そして「ぼく」は、他の女性と身体を触れ合わせている間も「すみれ」のこと思い浮かべていたと告白する。

ぼくが抱いているのはほんとうはすみれなのだと想像したりもした。もちろんそれはまともなことではなかっただろう。でも正しいとか正しくないという以前に、そうしないわけにはいかなかったんだ。

これは神の分身である「聖霊」が他の預言者の体内に入っていた時も「イエス」のことを想っていた…という意味になっている。

この場合は洗礼者ヨハネのことだろうね。

そしてもちろん「村上春樹のキャッチャー愛」としても読めるようになっている。

「抱いて」は「いだいて」とも読めるから。

「すみれ」は「ホールデン」の記号であり、置き換えることが出来た。

そう思うと何だか切ないわね…

「でも正しいとか正しくないという以前に、そうしないわけにはいかなかったんだ。」って部分がさ…

サリンジャーと『THE CATCHER IN THE RYE』への強い愛をずっと抱いていたがゆえに、苦しむ村上春樹の姿が目に浮かんじゃう…

そうだよね。

村上春樹が恋焦がれた相手サリンジャーが「愛をはっきりとした形にする」ということを望んでいなかったんだから、どうすることもできない。

誰が悪いわけでもなくて、誰のせいでもないんだよ…

愛を… ごめんね…

ごめんね~♫

え?

春木、歌います。



KYON²の『夜明けのMEW』!

あたし、この歌だ~い好き~💛

こないだ無性に聞きたくなってベスト盤『K25』買っちゃったし!

・・・・・

どしたの?

いや… この歌詞って、なんだか…

寄り道はいいから先に進もうぜ。

でも… 僕の直感が正しければ、この歌は…

いいんだよ、そんなことは。

次は大事な場面「すみれとミュウの出会いと恋に落ちるまで」だろ?

まだまだチャプター1の半分にも行ってないんだぜ。

たしかに… そうでした…

次のパートは、この作品の「種明かし」になっている部分…

非常に重要な描写の連続です…

作品のタネ明かし!?そうなの?

うん。では、じっくりと見ていこう…

・・・・・


つづく




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