深読み_スプートニクの恋人_第2話あ

『深読み 村上春樹 スプートニクの恋人』第2話「すみれ」


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スナックふかよみ にて


春木さん、どうしたの?

拳なんか突き上げて…

ギ、ギ、ギター…

え?

ギターをよこせ! もう我慢ができん!

私に歌わせろーー!

へ!?は、はいっ!

ど、ど、どうぞ…

ハァ…ハァ…

ハァ…ハァ…

・・・・・

アァ💛

スッキリしました。

ねえ岡江クン…

あたしの気のせいかもしれないんだけどさ…

何?

チャンピオンの歌詞さ…

なんだか「アレ」のことみたいに聞こえた…

春木さんが「イった時の声」みたいのを出したせい?

あたしも頭がおかしくなっちゃったのかな…

大丈夫。正常だよ。

実はこの曲って「アレ」のことを歌ってるんだ。

やっぱり!

「ボクシング」と「ライラライ」でわかるように、この歌はサイモンとガーファンクルの『the boxer』が元ネタになっている。

そもそも『the boxer』が「アレ」のことを歌っている曲だから、アリスの『チャンピオン』もそれを踏襲しているというわけ。

S&Gの『ボクサー』もそうなの?

そうだよ。知らなかった?

出だしの歌詞はスコットランドの猥歌『COMIN' THRO' THE RYE(ライ麦畑で出逢ったら)』のパロディになってるんだ。

「poor body」が「poor boy」になって「seldom dry」が「seldom told」に変わってるんだよね。

そして歌全体のストーリーはサリンジャーの『THE CATCHER IN THE RYE(ライ麦畑でつかまえて)』のパロディになっている。

主人公が「これは人には滅多に話さないことなんだけどね」って語りながら始まったり、内容もニューヨークでの殴り合いや娼婦との話だからね。

『COMIN' THRO' THE RYE』も『THE CATCHER IN THE RYE』も「アレ」の物語だ。

だからアリスの『チャンピオン』もそう聞こえる。

なるほど。そういうことだったのね…

春木さん、このこと知ってたの?

はい?

あっ!いつのまにスミレが!?

ずっと咲いてましたけど。

デビッド・カッパーフィールドみたいに鮮やかだ…

こちらにいる美女も消してみせましょうか?

もう!あたしがいなくなったら、お店どうすんの!

そうでした。ふふふ。

それではチャプター1に入ろう。

『スプートニクの恋人』の本編は、こんなふうに始まる。

 22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。

そうそう。まるで『オズの魔法使い』みたいな恋よね。

「まるで」じゃないよ。オズの魔法使い「そのもの」なんだ。

は?

『オズの魔法使い』は、思春期のドロシーが見た夢物語だったよね。

現実世界で気になってる人たちが、夢の中では別のキャラクターになって登場するんだ。

映画版『海獣の子供』と同じ構造。


ちょっと待って。じゃあ『スプートニクの恋人』もそうなの?

そうだよ。語り手である「ぼく」の夢物語なんだよね。

サリンジャーの『THE CATCHER IN THE RYE』がそういう構造だから、それをそっくりそのまま踏襲しているわけだ。

でなきゃ、いきなり冒頭で『オズの魔法使い』を持ち出したりはしない。

てっきり「バイセクシャル」の伏線かと思ってた。

だってドロシーを演じたジュディー・ガーランドって、そうだったんでしょ?

確かにそれもある。

だけど「バイセクシャル」はこの小説のアツアツポイントではない。

キモは「語り手は嘘つき」ということなんだ。

種明かしギリギリのヒントを最初にシレーっと見せてるんだな、村上春樹は。

まあ! あたし、すっかり騙されてた!

すみれが結局どうなったのか、読んだ後もずっと悩んでたのよ…

こういう手法をブンガク的には「信頼できない語り手」と呼ぶ。

信頼できない語り手?

岡江クン、ずっと前もその話してなかったっけ?

そうだったっけ?

ちなみに「すみれ」という名前についても少し説明しておこう。

知ってるわよ。後で出て来るじゃん。

お母さんがモーツァルトの歌曲のタイトルからつけたんだけど、実はその歌詞が「すみれ」という名のイメージとはぜんぜん違うものだったってやつでしょ?

あれ?

これも『COMIN' THRO' THE RYE』じゃん!

『故郷の空』のイメージを想像してたら、超エロい歌だったみたいな!

その通り。

歌詞の勘違いはサリンジャーの『THE CATCHER IN THE RYE』でも非常に重要な意味をもっている。

だけど「すみれの歌詞」については、またその時に詳しく話そう。

今は「すみれ」のちょっとした小ネタから。

小ネタ?

あとでまた説明するけど『歌曲すみれ』の歌詞はそんなにひどいわけじゃない。

村上春樹の誘導的な文章に騙されなければ、割と美しい詩なんだよね。

そうなの?

でもあのゲーテの詩だもんね。そんなにひどいわけがないかも。

じゃあなぜ「すみれ」は自分の名前をあそこまで嫌っていたのかしら?

「スミレ」の花を英語で何て言うか知ってる?

英語で? ヴァイオレットじゃないの?

惜しい。「Manchurian violet」っていうんだ。

マンシュリアン・ヴァイオレット?

マンシュリアンって何?

「満州の」という意味。つまり「満州の花」ということ。

だから「すみれ」は自分の名前を嫌っていたんだね。

なんで?

「マン臭の花」みたいだから。

は?

きつこ・まんしゅう。


ええーーーーっ!?マジで!?

他にももう1つ「すみれ」という名前を嫌う理由があるんだけど、それはまた順を追って話すとしよう。

冒頭で提示される「すみれ」が恋に落ちた時期「22歳の春」について解説しなければいけないから…

それも重要なの?

すっごく重要だ。

なんで「22歳の春」がすっごく重要なの?

別に21歳の春でも23歳の春でも何でもいいじゃん。

何でもよくはないんだな。

「すみれ」は「22歳の春」に年上の女性ミュウに恋をした。

人生で初めての恋だ。これまで「すみれ」は性欲というものを感じたことがなかったんだよね。

うん。でも改めて考えてみると、かなり無理のある設定よね。

いくら発育の遅い子でも、22歳まで性欲を知らなかったなんてありえないでしょ。

まあ、語り手「ぼく」の妄想ストーリーだから、細かい突っ込みはやめておこう。

重要なのは「すみれ」が「22歳の春」まで性欲が無く、容姿も性格も「中性的」な存在であったことだ。

つまり22歳の春までの時点では「性」が決定されていなかったんだよ。

まあ、そういうふうにも捉えられるわね。

なぜ「すみれ」は「22歳」まで「性」が決定していなかったのか?

そしてなぜ「23歳」の誕生日を過ぎてから「ぼく」のもとに帰って来たのか?

22の時は性が決定してなくて…

23になったら「ぼく」のところへ来た…

どゆこと?

『海獣の子供』や『COMIN THRO' THE RYE』を思い出すといい…

「23」にまつわる話があったはず…

染色体!?


カランカラン♫
(ドアの開く音)


ちーっす。

あ…

イソグロ…

カヅオさん!

いきなりで何だけど1曲歌わせてもらうよ。

堺正章の『二十三夜』、聴いてね。



つづく



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