深読み_スプートニクの恋人_第12話あ

『深読み 村上春樹 スプートニクの恋人』第12話「赤坂の高級ホテル」


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スナックふかよみ にて


では『スプートニクの恋人』チャプター1の続きに戻りましょう…

そうそう。まだチャプター1の半分くらいだった。

まだまだ先は長いわね(笑)

すみれとミュウによる「ビートニク/スプートニク」の会話シーンは、ミュウがすみれの髪の毛をくしゃくしゃにすることで終わる。

そしてその後に、印象的なイメージについて語られるんだ。

この作品における非常に重要なイメージがね…

 すみれはそれ以来ミュウのことを心の中で、「スプートニクの恋人」と呼ぶようになった。すみれはその言葉の響きを愛した。それは彼女にライカ犬を思い出させた。宇宙の闇を音もなく横切っている人工衛星。小さな窓からのぞいている犬の一対の艶やかな黒い瞳。その無辺の宇宙的孤独の中に、犬はいったい何を見ていたのだろう?

この小説における「スプートニク」は「ライ麦」の象徴だったわよね。

象徴ではない。「記号」だ。

実はこのイメージ、『THE CATCHER IN THE RYE』で描かれた「あるイメージ」に対応しているんだ。

あの小説のタイトル『THE CATCHER IN THE RYE』の由縁である、あるイメージにね…

わかった!

主人公ホールデン君が妹フィービーに語った、あの有名な「夢」のイメージね!

その通り。

村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』では、こう書かれている…

「でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ」

ちなみにこのイメージはダブルミーニングになっている。

ひとつめの読み方は、「子どもたち」が「精子」で、「ライ麦畑」が「生殖器」というもの。

つまりホールデン君は、朝から晩まで「自慰行為」に耽る毎日を過ごしたいという夢を語っていることになる…

まあ!

そしてふたつめの読み方…

「崖から落ちる子ども」とは「犠牲になる子」を意味している。

「前をよく見ずに突っ走って落ちる」わけだから「その場の勢いで死に向かってしまう」ということだよね。

つまりこの「子ども」とは「イエス」のことだ。「子イエス」のことだね。

それをホールデン君は「死なないように助けてあげたい」と語った…

だから妹のフィービーにこう突っ込まれたんだな。

「お父さんに殺されるんだから」

『THE CATCHER IN THE RYE』の語り手「僕」ことホールデンは「聖霊・キリスト」で、妹フィービーは「イエス」の役割を演じている…

そして二人の「お父さん」とは「神ヤハウェ」…

「自慰行為」も「イエスが贖いの小羊にならないこと」も、この「お父さん」にとっては決して許せないこと…

文字通り「お父さんに殺される」だろう…

なるほど。そうだったんだ。

知ってた春木さん?

ま、まあ…

この小説を読むことが通過儀礼みたいなものだった我々の世代では、勘のいい奴はだいたい気付いてました…

ちなみに村上春樹は、この「スプートニクの恋人」のイメージが、ホールデンの「ライ麦畑のキャッチャー」に対応していることを示すため、面白い細工を施した。

細工?

村上春樹は、直前のシーン、すみれとミュウの会話の中で「建武の中興」「ラッパロ条約」という言葉を使った。

実はこれ、『THE CATCHER IN THE RYE』のパロディなんだよね。

パロディ? どういうこと?

ホールデン君が妹フィービーに「夢のイメージ」を語る前に交わされた会話のパロディなんだよ。

「建武の中興」とは、後醍醐天皇が鎌倉政権から権力を奪い取って、天皇による親政を行った「ある種のクーデーター」みたいなものだ。

わずか3年で再び武家の足利尊氏らに打倒されたことは知ってるよね?

それくらい知ってるわよ。

だけど後醍醐天皇と足利尊氏って、見る人の立ち位置によって英雄にされたり悪者にされたり、何だか可哀想よね。

それによく似たアメリカの歴史的人物が、ホールデンの夢語りの直前に登場するんだ。

ホールデンの妹フィービーは、学校の劇で「ベネディクト・アーノルド将軍」を演じることになったと兄に語るんだよね…

アメリカ独立戦争で活躍したベネディクト・アーノルドは、祖国アメリカのために戦った英雄的な軍人であると同時に、アメリカを英国の統治に戻そうとした反逆者でもあるんだ…

そういえば、フィービーちゃんはそんな話をしてたわね…

確かに「建武の新政」みたい…

そして村上春樹は、ミュウに「ラッパロ条約」と言わせた。

実はこれ「言い間違い」なんだよね…

イタリアのRapalloで締結されたものだから、正確には「ラパッロ条約」という。

あっ!

フィービーちゃんもあの場面で「言い間違い」を繰り返してたじゃん!

ヒュ~♫

こいつは愉快愉快。

・・・・・

村上春樹は『スプートニクの恋人』の中で、とことん『THE CATCHER IN THE RYE』を再現しているんだ。

きっと本気で「ぼく版キャッチャー・イン・ザ・ライ」を書きたかったんだろうね。

それがサリンジャーの意向によって叶わなかったから、こういう形をとったんだよ…

なんだか俄然、真実味を増してきたわね。

ひどいなあ。それじゃあ今までは話半分で聞いてたわけ?

そうじゃないけど、さ…

ほら、先に進みましょ。

うん。

「スプートニクの恋人」のイメージが語られたあと、すみれとミュウが出会うことになった結婚式について説明される。

それは「赤坂の高級ホテル」で行われた「すみれの従姉(いとこ)」の結婚披露宴だった…

 そのスプートニクの話が出たのは、赤坂の高級ホテルでおこなわれたすみれの従姉の結婚式の披露宴だった。とくに親しい従姉ではなかったし(むしろ嫌いだった)、誰かの披露宴に出ることなどすみれにとっては拷問にも等しかったのだが、このときばかりは事情があってうまく抜けることができなかった。


なぜ村上春樹は「赤坂の高級ホテル」なんて濁したのかしらね?

別にホテル名を隠す必要なくない?

他のことでは具体的な固有名詞バンバン出してるのに。

「12気筒の紺色のジャガー」とか「広尾の明治屋前の交差点」とか各種クラシック音楽とか。

村上春樹は、わざとホテル名を伏せたんだ。

そして「従姉」の名前もね…

わざと? どうして?

岡江クン、ホテルと従姉の名前を知ってるの?

ホテルの名は「プリンス」…

そして従姉の名は「カナ」だ。

え? なんでそんなふうに言い切れるのよ。

まるで村上春樹本人から聴いたみたいな言い方じゃん。

そんなのおかしいわよね、春木さん?

あ、ああ…

村上春樹は、ホールデンの口癖「プリンス」を使いたかったんだ。

ホールデンは気に喰わない奴のことを「まったく君はプリンスだよ」と言う癖があったんだよね。皮肉を込めて。

だけど「プリンス」と直接書いたら芸がない。

だから「赤坂の高級ホテル」と濁したんだよ。

ああ、そうか!

それですみれは結婚披露宴みたいな場は拷問でしかないと言って、従姉のこともよく知らないし別に好きじゃないって愚痴ってたのね…

そういうこと。

そして「よく知らない従姉」の名が「カナ」である理由は、これだ…

『カナの婚礼』ジョット

カナの婚礼?

「すみれ」は「イエス」が投影されたキャラクターだ。

そして「イエス」が「よく知らない親戚の結婚披露宴に出席する」といえば…

それは「カナの婚礼」のことを指す。

でも「カナ」って地名でしょ?

もちろん。村上春樹は駄洒落として使っている。

ちなみに「カナの婚礼」は4福音書のうち『ヨハネの福音書』にしか描かれていない。

イエスが最初に奇跡を行う重要なエピソードだというのにね。

だからこの披露宴の花婿は使徒ヨハネの縁者、あるいはヨハネ本人ではないかと考える人もいる…

ちなみにイエスは披露宴の席でこんな名言を吐いたよな。

「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです?」

すみれじゃん!

「すみれの従姉の結婚披露宴」は、まさに「カナの婚礼」のパロディになっているんだよね。

これで合点していただけたカナ?

ガッテン!

Goddamn!

え?

すまん。つい流暢な発音が出てしまうんだよな、英国育ちだから俺は。

あらためて、ガッテン!

チッ…

春木さんも、合点していただけましたカナ?

ほら、春木さん。恥ずかしがらないで。

意外とチキンなんだから(笑)

こうするのよ。ガッテン!ガッテン!

う、うむ… こうか?

ガッテン…

ああ、よかった。合点していただけて…

では続くシーンを見ていきましょう。

「すみれの性欲」や「父」について語られる場面です…

ちょっと… 待ってくれ…

え?

一曲、歌ってもいいカナ?

歌… ですか?

ええ、構いませんが…

ふと、父さんや母さんのこと思い出したんだ…

そしたら何だか切なくなって…

カヅオ君はネーサン・ロスチャイルド卿に引き取られる前は、御両親と暮らしていたんですか?

そう。短い間だったけどな。

先の短い超高齢夫婦だったんで、俺はすぐにネーサンに預けられた。

だから俺の親をネーサンだと思ってる連中も多い。実際ネーサンに育てられたようなものだから、間違ってはいないのだが…

で、何が言いたいわけ?

俺にとっての「親孝行」って、誰へのことになるんだろうって、ふと思ったんだ…

育ててくれたネーサンか? それとも生んでくれた両親か?

そんなことを考えていたら、歌いたくなった。

へえ、どんな歌かしら?

でもやっぱり… やめようカナ…

こんな歌、嫌がれるカナ…

歌うのか歌わないのか、どっちなのよ。

カヅオさんも春木さんに負けないくらいチキンで優柔不断なんだから…

耳、つねっちゃうわよ。

もう、ネーサンみたいなこと言わないでくれ…

能書きは要らないですから、最後は笑いに変えてください。

うるせえな春木。お前に言われたくないね。

まったくデカい口たたきやがって。この俺様を誰だと思ってるんだ。

ほら、これでも食っとけ。のど黒~飴♫

その先のフレーズ、言ってみろ。

このチキン野郎が。

チッ… そのうち聞かせてやるよ。

まあまあ、二人とも…

ケンカはやめて。ホントは仲いいくせに…

じゃあそろそろ歌わしてもらおうカナ。

俺を育ててくれたネーサンに捧げます…




つづく





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