雨の日のグラウンドで一人、盛大にこけて気づいたこと

私は歩いて通勤をしていて、その途中、長い遊歩道を通ります。

その遊歩道沿いに、市内の高校が所有しているグラウンドがあるのですが、数か月前のある日、私はそのグラウンドの一角に石碑があるのに気づきました。

遊歩道から石碑まで、少し距離がありましたが、なんとなく見覚えがあるような気がして立ち止まって見てみると、宮崎県内に私が知っているだけで3か所ほどある、神武天皇がお船出をしたことを縁とする石碑と非常に良く似た特徴をしていたのです。

もしかしてこの石碑も何か関係があるのでは!と、私は一人、世紀の大発見をしたかのような気持ちになりました。

私には、県内の歴史や文化、神話に詳しい歳の離れた友人が何人かいるのですが、彼らからは本当に教えてもらうことばかりで、3年ほどになる付き合いの中で、大げさでなく、その類の話においては、私が知っていて彼らが知らないことは一つもない状況でした。

その彼らからも、ここに石碑があるという話は一度も聞いたことがなかったので、もしかしてこれは、私が初めて彼らに教えられることかもしれない、と、弟子が師匠の背中を捉えた瞬間のように(一個の情報じゃ到底超えられませんが^^;)、静かな興奮を覚えていたのです。


しかし、そこからの進展は、非常に遅いものでした。

見つけた時は通勤途中だったため、じっくりと見る時間の余裕もなく、毎日通るから次の機会に、としたのですが、そのグラウンドは、ウォーキング等での一般利用もOKとされていたので、朝にはご年配の方が、そして夕方には高校の部活動生と、いつも誰かがいました。

石碑を見に行くのも一般利用の範疇とは思われたのですが、明らかにオフィスワークの格好をした大人の女性が、その中でスマホで石碑を撮影しているのは、想像しただけで異様に映りそうで、結局、一定の距離から眺める日々が長く続きました。

石碑の名前と、説明文らしきものが彫られているのは分かるものの、石碑までの距離と絶妙な角度によって、その内容は分からず、私の中で情報がアップデートされないまま、数か月が過ぎました。


梅雨入りし、雨の中帰宅していた先週、歩きながらふと顔を上げると、誰も人がいない静かなグラウンドが目に入ったのです。

降り続いていた雨でグラウンドの土には水溜まりができていましたが、心の中で「今しかない!」という自分の声が響きました。

グラウンドの入り口から石碑までは100メートルほど距離があり、私は憧れの人に会いに行くような面持ちで、その石碑に近づいていきました。

いざ近づいてい見ると、今度はその石碑が1メートルくらい土が盛られた上にあることが分かったので、なるべく傾斜が緩そうな場所を選んで登っていきました。土には雑草が勢いよく茂っていて、足を進めるたび、私に驚いたバッタが飛んで行きます。まるでモーゼの海割のようでした。

普段だったら驚いて逃げそうなシチュエーションでしたが、その時は全く動じず、私はずんずん石碑に向かっていったのです。

石碑の名前と、説明文のようなものが彫ってある箇所をスマホで撮影した時、とても満ち足りた気分になっている自分がいました。


目的が無事達成され、さっそく家路に戻ろうとした私は、土が盛られた部分から、安全に降りられそうな場所が無いことに気づいたのです。

登ってきた所なら大丈夫だろうとその場所へ戻ると、そこも、登るにはいいけれど降りるとなったら、この雨の中足を滑らせるのは明白でした。

石碑周辺をしばらくうろうろして、他の場所よりなんとなく低いように感じる場所があったので、そこから思い切って、飛んで降りることにしました。

70/30くらいで、普通に着地できるだろうと見込んで片足で着地する格好で飛び、気づいた時には右半身を下に、グラウンドの土の上でスライディングしている自分がいました。

盛大にこけたということは瞬時に理解し、とりあえず上半身を起こした私の右ひじと右腰には、グラウンドの土がべっとりとついていました。その日私は、白いシャツに花柄のスカートを履いていました。

ゆっくり立ち上がると、骨を折ったり捻挫をしたりはしていないことが分かりましたが、脛にヒリヒリした痛みを感じてスカートをめくると、ストッキングが摩擦で破れ、そこに自分史上最大の擦り傷が出来ていました。


さすがにこの見た目では帰れないと思い、片手に傘を持ち、ハンドタオルである程度の泥を落としながら、私は、「こけたこと」については、何とも思っていない、つまり無の感情である自分に気が付いたのです。

もちろん、頭の中では、「シャツの泥落ちるかな」とか、「部屋干しで乾くかな」とか、「このストッキング結構高かったんだけどな」という雑念は浮かびましたが、こけたことに対しては、完全に受け入れていた自分がいたのです。

色々な雑念が過ぎ去った後に残ったのは、気になっていた石碑の写真が取れてよかった、という気持ちでした。


これは私にとって衝撃でした。

「自分の中で考えていた、私」で、同じ行動をシュミレーションしたら、良い歳して雨の日に、こける可能性があるのを分かりつつやっぱりこけて、泥まみれになった自分にきっとショックを受け、3日くらいは後悔の念を引きずりそうだったからです。ちなみに私は好奇心は強いけれど、石碑マニアではありません。


雨の日に一人グラウンドでこけること>>>石碑について新情報を知れること、そして友人に共有できること

という想定が、実際は、

石碑について新情報を知れること、そして友人に共有できること>>>>>>>雨の日に一人グラウンドでこけること

だったのです。

何で下の方の不等号を増やしたかというと、家に帰ってからも、面倒くさがりのはずの私が、こんなに手際がよかったっけと思うくらい淡々と、シャツとスカートを手洗いからアイロンまで一気に終わらせたからです。


もちろん、本当に幸いにも大きな怪我にならなかった(眼鏡もしていたけど大丈夫だった)からこその結果ではあるのですが、それでも、やはり、自分が考えている自分って、案外当たってないんだなという確かな気付きを得ることができました。

多くの人が、何かする前に頭の中で、これは好きあれは嫌、これは得意あれは苦手と考えると思います。(人間としての正常な反応です。)

でも意外と、それも思い込みというパターンもあるかもしれません。


擦り傷の痛みはもう無いものの、見た目が大げさなため、おそらく今週いっぱいまではスカートは履けないという痛手は負いましたが、ショック療法的に、こんな気づきを得ることができましたので、記事にしてみました。

ちなみに、やはり石碑は神武天皇のお舟出と関連がありそうなのですが、説明文が非常に難解で、友人たちの力を借りることになりそうです笑


こんなバカがいるんだなと笑っていただけましたら幸いです。

お読みいただき、ありがとうございました^^








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