「あなたは真面目すぎる」という言葉の刃

前回の記事で、過去に未消化だった気持ちの整理をしていることを書いた。

過去、人から色々と言われてきたことを思い返す中で、一番傷ついたのは「あなたは真面目すぎる」という言葉。

私が何か行動したことに対する否定の言葉ならば、その行動には自分なりの考えや背景があるから、相手の一意見として受け止められるけれど、「真面目すぎる」という言葉は、私の個性、存在を否定する言葉だった。

そもそも、自分としては、比較的真面目な方かな、というくらいの認識で、どちらかというと言ってくる相手の方を、要領の良いタイプだなと感じることが多かった。


「あなたは真面目すぎる」という言葉の裏側には、もっと力を抜いて良いよ、という労いの気持ちがあるかもしれないし、自分が本質的に真面目になれないからこその嫉妬の気持ちがあるのかもしれない。

もし前者であれば、ぜひ別の言葉をかけてあげてほしい。多くの人は、わざと真面目にしているのではなく、自然な状態が真面目(あくまで言う人の物差し上)なのだ。


約1年間、モラハラを受けていた元上司(辞める直前に人に状況を説明した時、それはモラハラだよと言われようやく気づいた。)からも、何度も何度も「あなたは真面目すぎる」と言われていた。

最初こそ、真面目というのは私の個性の一つであり、集団の中にそういう人がいることにも意味がある、と思えていたけれど、残業が続いて体力的にきつくなってきたり、当時趣味を辞めて頭の中を仕事ばかりが占めるようになってくると、私の真面目さが人に迷惑を掛けているんだ、と自分を責めるようになっていった。

(巧妙なモラハラは、明らかにハラスメントと分かる言葉は使わない。状況やタイミング、相手の状態を見て、一番ダメージのある言葉を投げる。それについて何か言われても、受け取り方が悪いと言える逃げ道をいつも作っていてたちが悪いので、本当に気をつけて欲しい。)


相手が真面目かどうかは完全に自分の主観であること、「真面目すぎる」という言葉は、真面目な傾向がある人にとっては刃になりうることを知ってほしい。

もし相手が真剣になりすぎたり自身を追い込んでいる状況があると感じたなら、「真面目すぎる」という言葉で気づかせようとするのではなく、単純に今の状況を話してもらうことで、自分を俯瞰できる機会をつくってあげてほしい。


なんだかお願いばかりの文章になってしまったけれど、もし労いの気持ちや優しさからその言葉を使っている人がいたら、言う前に一度立ち止まって頂けたらありがたいです。

取り急ぎ、記事にさせて頂きました。


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