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ポンコツ女将を変えた♡あの老舗旅館の女将のもとへ!〜給付金をきっかけに〜

待ちに待った給付金の申請、やっと始まりましたね。
私の住む横浜日吉の地域にも、オレンジ色の封筒がそれぞれのご家庭に届いたようです。

さて。この給付金、お手元に届いたら、どのように使いますか?
その使い方について、ご家庭でお話し合ってみんなで使ったり、自分研鑽に使ったり、今しなければならない支払いに回してみたり・・・と、それぞれの使い道があるかと思います。

どんな使い方でも、有意義な使い方をされることを祈りながら、私もどのように使おうかと考えてみることにしました。

二人の女将との出会いで意識が変わった♡

そもそも、女将とはなんぞや!!
この疑問は私の永遠の課題です。特に飲食業の女将とはなんぞや!いつもこの問いの答えを求めていました。

10年前の私は、

飲食業の女将とは、厨房で調理された料理を注文されたお客様に届け、スタッフさんの陣頭指揮をとる!!!

これが、女将のすべき仕事なんだと、あほなことを真面目に信じていたのです!

あの時ポンコツ女将だった私の意識改革をしてくれた、二人のプロの女将。

今、給付金をきっかけに、あの時飲食業の女将としての私の意識を変えてくれた二人の女将のもとに、今この時期、もう一度行ってみたくなりました。初心に戻りたくて・・・。

越後湯沢温泉 ホテル双葉の女将に学ぶ!

まず、お一人目の女将を紹介したいと思います。
越後湯沢温泉のホテル双葉の女将です。

直接お会いしたこともなければ、お話したこともありません。ですが私にとっては、尊敬に値する女将です。あの時、あのような形で、さりげないおもてなしで、孤独感いっぱいだった私に幸せな時間をくださった女将ですから。

茶髪の登校拒否の我が娘と、飲食業の女将の母。その二人が二人三脚でスタートした浪人生活。誰になんと言われようと目標に向かっていた母娘でしたが、世間の目は厳しかった・・・。当時は四面楚歌の毎日。孤独な毎日でした。

一年後、お嬢が念願の第一希望の大学を合格。合格祝いにと、二人でそっと密かに内緒で訪れた宿。それが越後湯沢のホテル双葉です。。

茶髪で登校拒否の娘を、就職も進学もさせない・・・
飲食業を営む母親は、子育ても子供の教育もまともにできてない・・・

いくら鈍感な私でも、そんな風に言われていたのは薄々感じてはいました。飲食業の女将への世間の風当たりは、なかなか厳しいもので、応援人はつかないものです。孤独を感じながらもお嬢は勉学に励み、母の私は食事作りに励みました。そして掴んだ合格切符。

どっか、行こう。二人でそっと。秘密の旅行。どっかで、やったぜーって二人でそっと叫ぼうか!!

そういうと、

温泉とご飯とスノーボード教室のあるところへ行きたい!!初めての土地で、知らない人と、やったことのないことに、挑戦してみたい!!

とお嬢。

4月の上旬。ネットで調べて、お嬢はガーラ湯沢の初心者用のスノーボード教室へ参加することになりました。宿は、サイトから感じた宿の暖かさと温泉に魅せられ、予約。それが越後湯沢のホテル双葉さんです。

予約の際、二人の秘密のお祝い会であることも記しました。

そして宿泊当日の夜。女将からのサプライズが。
お料理のコースに入っていないはずの一品が。それもお嬢の大好きなエビ料理。最後に可愛いいりんごのお菓子とお手紙が運ばれてきました。

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そのお手紙は、双葉の女将からでした。エビのお料理は板長さんから。優しさに触れたのは本当に久しぶりの母娘。

その夜、露天風呂から雪降る越後湯沢の街を眺めながら、お互いにお互いの労を労う二人。ホテル双葉の女将のさりげないおもてなしと、いただいたひとときの幸福時間を忘れないでいようと、誓い合ったのです。

訪れてくださったお客様にさりげないおもてなしと、幸福な時間の提供をする・・これこそが女将なのだ!
私もこれからは、海んちょに足を運んでくださったお客様に、さりげないおもてなしと幸福な時間をご提供できる女将になろう!!


と意識が変わったのでした。

日光 千姫物語の女将に学ぶ!

そしてお二人目のご紹介。日光千姫物語の女将です。

お嬢が第一希望の大学に合格後、その大学生活必死で支えるため、寝る間も惜しんで働きました。お嬢も必死で寝るまも惜しんで学びました。一心不乱とはまさにこのこと。そんな毎日でした。その甲斐もありお嬢がゼミ長に就任した秋のこと。結婚25年目だった私は、マスターでもある夫に初めてお願い事をしました。

一度でいいから両親揃って、ゼミ長に就任した娘を日光へ連れて行ってあげたい!!

と。計画を立て始めたその年の夏の終わり、大型台風が北関東を襲ったのです。川は氾濫。電車も不通に。日光行きを諦めていたとき、あるサイトが目に入ってきました。

日光の温泉旅館・千姫物語。宇都宮からピストン輸送で送迎バスでお客様をお迎えしたり、都心から日光へ続く道路には問題はないなど、情報発信を毎日毎日し続けていたのです。

元々一度は訪れてみたいお宿でした。日光東照宮にほど近く、何より温泉とお部屋食の朝ごはんに魅せられました。

女将の情報発信の通り、高速道路を使っての日光行きは、何ら問題ありませんでした。お宿のサービスも想像遥かに上回るもので、特に大好きなお抹茶と和菓子をいただきながらのチェックイン手続きには、大感動!さらに、感動したのは、期待を大きく上回ったお部屋食での朝ごはん。大満足の私たち。

こうして、我が家の初めての3人での温泉旅行は、大成功に終わりました。

その後、こちらの女将が当時日光女将の会の会長をされているということを、Facebookで知りました。千姫物語の女将、日光女将の会の会長・・・とても手の届かない、遠い存在の女将。そう思っていました。

ところが、ある日。彼女の勇しくそして優しいその勇姿を拝見したのです。そのときの衝撃は、忘れることができません。

自ら法被を羽織り、日光の女将たちと共に、朝早くから浅草の駅前に立ち、チラシを手渡しで配りながら、日光復興のアピールのため、陣頭指揮をとっていたのです。パソコン越しとはいえ、涙と震えが止まりませんでした。

そしてその日のFacebookで、

浅草でたくさんの方に日光の素晴らしさを伝えられて、とても良い一日だった。

と。そのようなコメントを投稿されていたのです。日光での女将の仕事でくたくたのはずなのに、疲れた顔など一切見せずに満面の笑顔で。

毎日毎日仕事づくめの時間を過ごしていた私と、勉強以外の時間を持たなかったお嬢。あの時の二人にとって、日光千姫物語の女将の笑顔で先陣を切って進んでいく姿は、とても美しくとても勇しく、そしてとても優しく感じました。きっときっと、目まぐるし忙しい毎日を過ごしていただろうに。それなのに、あの笑顔とは。

あの時以来、私は飲食業の女将として、あの女将のような笑顔と勇姿を見せられようになりたいと思うようになりました。また、お嬢も大学のゼミ長として「大学の顔」となるため、女将の勇姿に学ぶものがあったようです。

今、この時。 初心に戻って考え直す時期。

Withコロナの生活を余儀なくされた今。もう一度初心に戻って考え直してみたくなりました。

さて、初心に戻って考え直したい私ですが、女将としての初心とはどこであったのか・・・

そうだ、あの女将たちが私の意識を変えてくれたあの時だ!!

給付金のきっかけに! いざ、越後湯沢と日光の女将のお宿へ!

給付金の使い道。それは、もう決まっています。そうです。

もう一度、初心に戻る時間に使おう!と。 

あの時、ホテル双葉の女将が教えてくださった、さりげないおもてなしと幸福な時間。

あの時、千姫物語の女将が見せてくださった、疲れを見せずに笑顔で先陣を切って進む勇姿。

もう一度、あの老舗旅館の女将達から、女将の姿を学びに行こうと思います。そしたら、また初心に戻れる。。。。

ポンコツ女将だった私の意識を改革してくれた二人の女将。女将とはなんぞやを教えてくれたお二人。

そのお二人から再び女将学を学ぶため、今回の給付金を使って、越後湯沢と日光へ足を運んでみたいと思います。

もちろん、安心して県を超えての移動が出来るようになってからのお話ですが・・ウィルスの運び屋さんにならないように、大切な女将たちの命を奪わないように。


#給付金をきっかけに

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