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大衆演劇「劇団朱雀」2代目座長の早乙女太一に生き方を学ぶ!『①初めて太一に会った日♡』

たしか、あれは2010年の秋だったと思う。

今までなんとなく逃げ道作って、「なんちゃって女将」できたけれど、
あるトラブルが境に、腹くくってほんまもんの女将になった。

あの日から、ちょうど1ヶ月がたったころだった。

なんだかふわふわとした、でも、ドタバタとした怒涛のような一ヶ月がすぎたころ。

学校勤務もオフ日で、経営するお店も定休日。
テレビの特番でちらっと見てから、気になっていた早乙女太一という、大衆演劇役者。
直接会って、そして生で見てみてみたくなった。
そして何かを直接感じてみたかった・・・

そう、あれが、初めて早乙女太一くんの舞台を見に行った日だ。
大衆演劇を観るのも、初めてだった。

夕方娘と待ち合わせして、電車にとびのって、町田の地へ。

娘に
「テレビで特集してて、すごく興味があって、で、直接観に行きたいんだけど、どう思う?」
って、聞いたら、

「実はあたしも隠れファン!!」

って告白された。
で、二人で行ってみるか!!ってことで、すぐにチケットを取った。

いつもはジーンズ姿の私だったが、
この日は、久しぶりのお出かけとあって、黒地のパンツスーツ姿で出かけてみた。

結果から言うと、あの日から、私の心は、太一君一色になった!

早乙女太一、当時は若干19歳で大衆演劇の劇団朱雀の2代目座長。

小さな頃から転校ばっかりで、小学校だって、中学校だって満足に通えなかっただろうに。

自分で自分の職業を選択するという、最低限度の自由すら与えられず、反抗は常に心に閉じ込めたままで、ひたすら芸に打ち込んで。

親を恨んだり、憎んだり、自分の環境を恨めしく思ったりしながら育っただろうに。

子供だったら素直に親に反抗して、素直に友達を優先して、素直にイエスとノーを言って・・・

それができなかった人生を考えると、本当に涙が出る。

19歳。世間の19歳は、親に学費を払ってもらって学生生活を満喫し、夜や週末はコンパやデートで、たまに?試験勉強して・・・

それなのに、劇団を引っ張り、みんなの生活の面倒をみて。。。

すべて放り出したくなるときはないのだろうか?

投げ出したくなるときはないのだろうか?

「もう、うんざりなんだよぉ」
と、怒鳴りたくなる時はないのだろうか。

はじめてみる板の上の太一君は、豪華絢爛。
そして、ちょっと斜め下にうつむいて、そして上を見上げながら微笑んだ。

この日から、私はこの物悲しく微笑む太一が大好きになった。

とっても優しい柔らかい微笑だから、見ていて泣けてくる。

この微笑はどこからくるんだろう。

芸だけではない 本当の美しさ。

太一君のこの微笑の裏には、とても他人にはわからないであろう、心の葛藤があったんだ・・・と思うと、余計に引き込まれる。

「辛い時は笑う。 苦しい時は微笑む。 」

私も、自分にいつも言い聞かせている。
でも、どうしても折れそうになる時だってある。

そんな時、若干19歳の太一君の微笑みを見ると、素直に泣けてそして頑張ろうって思える。

だから、やっぱり今でも早乙女太一君のファンはやめられない。

この日の太一君、やっぱり素敵だった。

舞台終了後、当時恒例だったのお客様の送り出し。
そう、当時は、舞台終了後に、「送り出し」があったのだ。
(今は、もうない・・・残念!)

「今日もとっても素敵でした。ありがとうございました。」

と、太一君に声をかけた。

何千、何万といる中の、たった一人のファンの私に、
「ありがとうございます。」
と。
いつものように、素敵な笑顔で。

この微笑は本当に強くそして優しい。
また、明日から、頑張れる。

そう思いながら、女将業に精進しようと決意したのだ。

あれから、13年。いまだに早乙女太一を追いかけている自分がいる。

遠い遠い昔を思い返しながら、大衆演劇劇団朱雀・2代目座長の早乙女太一の生き方に学んでいこうと思う。


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