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台風が過ぎた朝の痩せた鳩

 台風一過、空は晴れ渡っている。真っ青よりもむしろ紺に近いくらいだった。通勤電車が何度かオーバーランして早朝のミーティングに遅れそうなこと以外は悪くない朝だった。車内では意識が高そうなネット記事をいくつか流し読みしていた。それらを読んでいるうちに、どんどん自分のモチベーションという名の風船が萎んでいき、心なしか吐き気を催してきた気がした。ほとんど無意識のうちに降車すべき駅のホームに降り立った。

 これからのミーティングのことを考えると気持ちが落ち込んだ。性格からアイデアからプロジェクトの進め方から、とにかく何から何まで合わない上司がいるからだった。その上司がいる案件では自然と発言が少なくなっている自分を自覚している。発言が減れば減るほど、その場にいる存在意義がなくなるようだった。「発言しない打ち合わせはその人がいないのと同じだ」。職場に横たわる不文律がなおさら自分をがんじがらめにしていた。そんな思いを拭うように、近くのコンビニでアイスコーヒーを買った。

 コンビニから出て狭い事務所へ向かう途中、路肩にいた痩せた鳩が不意に飛び上がった。前を歩いていたスーツ姿の若い男がのけぞり、立ち止まる。のけぞった瞬間、背負っていたリュックが軽く浮くほど驚いたようだった。あるいは、鳩にとてつもないトラウマでもあるのかもしれない。

 結局、2mほど飛び上がった鳩は、思い直したように再びコンクリートの道に降り立った。近所のビルの清掃業者が撒いたものだろう、アスファルトの地面はじっとりと黒く濡れていた。

 ふと遠くで嬌声のような奇声のような声が上がったのが聞こえた。時刻はまだ午前8時半。おそらくは飲み明かした連中だろう。心の底から楽しそうにも聞こえたが、どこか自分を哀れんでいるような気配が滲んでいた。
 
 若いサラリーマンを驚かせた鳩が再び降り立ったところには、人間のものと思しき吐瀉物が広がっていた。若い女性にも人気の飲み屋が多い通りだから、彼女達の誰かのものかもしれない。たとえそうだったとしてもいい気分ではないけれど、人間から吐き出されたものには違いなかった。

 痩せた鳩はそれを躊躇なくついばんだ。貪欲、という言葉はふさわしくないように思えた。鳩の目の焦点はまるで合っていなく、近視の人が眼鏡を外してどこに忘れたかを忘れてしまったかのような表情だった。無心に黄土色の吐瀉物をついばんだあと、鳩はまた不意に飛び上がった。鳩は電柱に留まり首を傾げ、それから少し鳴いた。

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