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「自分がされて嫌なことは、相手にもしない」についての話。

 人は、いつも2種類に分けられます。あるいは、分けようとします。好きか嫌いか、男か女か、白か黒か、もしくは、する側かされる側か。

 これからあまり人に言えない、でも個人的にずっと引っかかっている話をします。誰にでも、どちらかの立場で、よくある類の話かもしれない。でも自分としては、若気の至りや幼かったから、という言い訳では済まない話です。

 親が転勤族だった僕は、北は北海道、南は鹿児島まで、わりと全国的に小さなころから親にくっついて引っ越しをくり返していました。最短では1学期の終わりに引っ越し、2学期が終わったらまた引っ越し、ということもあったように記憶しています。
 東京には小学校3年生の時に越してきて、以来ちょこちょこと都内で住まいは変わったけれど、基本的には転校もせず、ようやく落ち着いた学校生活を送っていました。

 どこに転校しても、引っ越してきた当初はいじめられないようにするのに必死でした。やはり小学校の転校生はいやが応にも目立つので、低学年の時は転校するたびにちょっかいを出されたりいじられたりで、「学校に行きたくない」「元の学校がいい」と母親に泣きついたりもしました。そんなときいつも母は「私の大事な子をいじめてる奴がいるなら今すぐ言ってみろ、絶対に守ってやる」と怖いくらいの真剣な表情で言いました。僕はもちろん素直に言うわけもなく、なんとか折り合いをつけながら新しい環境に慣れるようにしていました。「逃げたら負けだ」とも言われていたような。

 ただ小学生というのは、運動神経が良かったり成績が良かったりすると一気にその価値が反転するもので。運良く足もそこそこ早く、体育の授業などで50メートル走をやったりすると学年で一番速く、背も比較的高い方だったので、いじられることは学年を跨ぐたびになくなっていきました。むしろ、一度みんなに認められてしまえば、転校生は一気に人気者になるのが常でした。

 確か、小学校高学年の時だったと思います。

 そのころには僕はもうクラスでも学年でもわりと明確なポジションにいて、むしろほかの生徒からも先生からも一目置かれるほうでした。比較的明るく快活、体育もできて成績も上位、放課後の遊びでも中心的存在でした。

 いま思えば、わりと融通の利く環境になっていい気になっていたんだと思います。小学生だから当たり前だけれど、価値観が安定していなかったというか、何が(あるいはどういう行為が)善で何が悪か、あまりにも判断基準が曖昧でした。単純に言うと、バカだった。

 ある日の休み時間のことです。

 そのとき、なぜ廊下にいたかは思い出せません。クラスの友達とただトイレに行くだけだったかもしれないし、音楽や何かで教室を移動する必要があったのもかもしれない。とにかく、僕は廊下を歩いていました。

 目の前に、中学年の時に同じクラスだった(と思う)男子がいました。
 彼の髪は少し天然パーマで肌は色白く、いつも少しオドオドとしていて、女子からも軽んじられていました。先生ですら授業中すぐに応えられなかったりするとちょっとイラついている節がありました。でも僕はたまに彼と話をしたりして、決して仲が悪いわけでもありませんでした。

 にも関わらず、廊下を歩いていた僕は、周りの生徒たちにウケるとでも思ったのか、あるいは、自分という存在を誇示したかったのか、あるいは単にじゃれ合いたかったのか、その男子の名前を後ろから呼び止め、その背中を蹴飛ばしました。
 その子はあえなく廊下に倒れ込み、こちらをチラッとは見たものの事態を受け入れられなかったのでしょう、へへへへ、と力なく笑って歩いて行きました。

 それからも、彼とはなぜか卒業まで普通に時折話したりしました。でも今思うと、本当は自分とは話したくなかったかもしれません。仕方なく、普通そうにしていただけかもしれない。いずれにせよ、その時の自分に対する気持ち悪さが30年近く経っても消えません。自己中心的で、自分勝手で、身の程知らず。この行為が、ずっと心にひっかかっていて、まるで釣り針が体の中途半端なところにかかってしまって取れないかのようです。
 おそらく蹴られた彼のほうも、ずっと忘れていないのではと思います。記憶に蓋をしてくれていればと思うけれど、それはこちらの都合が過ぎます。もしかしたら、恨まれていたかもしれない。いや、現時点でも僕にいい印象を持っていないかもしれない。なぜなら、細かい記憶はさておき、僕も何回の転校時にいじめようとしてきた人間の印象を今も忘れていないから。不快な記憶というのはわりと長い間、澱のように心に留まるものです。

 いま、自分の息子(あるいは娘でも)が同じようなことをしたら、僕は子どもをはっ倒すと思います。「何考えてんだ!」、「相手の気持ちを考えろ!」と。

「自分がされて嫌なことは相手にもしない」。

 子どもたちにそう言い聞かせているとき、いつも小学生のころのこの苦い記憶がいつもよぎります。「お前はそんな偉そうなことを言える人間なのか?」と。小学校に上がった子どもの行事などに付き合い、小学校の校舎にまた足を踏み入れるようになった今、廊下を見たり歩いたりするたびに、よろよろとうつむきながら立ち上がったあの彼の横顔を思い出します。

 あなたは、どちら側の記憶が残っているでしょうか。

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