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38歳の憂鬱。あるいは、忘れられた街路樹の名前。

 「あなたは心の病気ではありません。脳が疲れているのです」
 専門医はそう言った。口もとと表情は柔和に見えるが、眼鏡の奥の眼は笑っていない。
 「ずーっと忙しく働かれてきて、脳が疲れちゃったんです。ほら車でもあるでしょう? オーバーヒートのようなものです。公園の脇に車停めてボンネット開けてタクシーのおじさんがよく公園で休んでるでしょう? あのようなものです。脳だって疲れたら休めることが大切なんですよ。身体だけじゃなくね」

 ここ半年間、心身ともに調子が優れなかった僕は、人生で初めてメンタルクリニックに電話をかけ、受診の予約をした。スーパー銭湯に行ったり、旅行したり、余計な買い物をしたり、映画を見たり、低空飛行し続ける脳で考えうるありとあらゆるポジティブな気分転換行動を起こした。が、まるでだ効果がなかった。生きる気力を失うほど空しくなりはしなかったけれど、新人のころのように闇雲にやる気が満ちあふれることもなかった。
 電話に出た受付と思しき女性は、心なしか包み込むような、世界の不安をできるだけ払拭したいと思っているような優しい声だった。

 「ごめんなさい、今週来週は再診の患者さんや新しい患者さんの予約でいっぱいなんです」。本当に申し訳なさそうな声だった。慣れというか、メンタルクリニックの受付を捌くある種のプロなのかもしれない。そうして僕は、となり駅のクリニックに行ったのだった。

 「さてと、カブラキさん、どうされましたか」
 面談の冒頭、その専門医はなんでもないような感じで尋ねてきた。深刻な診察も多くこなしてきているのだろう。両手の指が優しくデスクの上で組まれていた。
 僕はここ半年の様子をできるだけ正直に話した。時系列に沿って、どのような精神状態で、原因はどれだと考えていて、そういったことだ。
 専門医は僕の話を遮らずに聞いていた。時折、ちょっとした質問を挟むことはあった。家族構成、精神疾患を抱えた人の有無、これまでの疾病についてなど。診察室の窓からは並木道に立つ樹が見えた。あれはなんの樹だっけ?そんなことを思いながら、僕は椅子に座っていた。

 「いわゆる鬱ではないと思います。うつ状態にはあるとは思いますが、お話を聞いたかぎりでは、現時点ではそこまで深刻なものではありません」
 カルテに何かを書き込みながら専門医は言った。話をしていたのは30分もかかっていなかっただろう。専門医は話を変えるように明るい感じで言った。
「ところでカブラキさん、お酒は飲まれますか?」
「ええまあ」。こういうの健診でも聞かれるなあ、と思いながら僕は答えた。
「1日にどのくらい飲まれますか?」
「そうですね・・・、最近は減りましたが、飲むときは1日4合くらいは」
「4合!毎日ですか? それはちょっと多いですね。私も飲むほうなんですが」
「まずいんでしょうか?」
「お酒でストレスを発散する人が精神的に落ち込みやすい、あるいはトリガーになる可能性は確かにあります。ですが、私がお酒のことを聞きましたのは、これからちょっと一杯どうですか、と思いまして」
「・・・は?」
「いや普通の展開じゃまったくありえないんですが、部屋に入られた時からこの人と飲むと話せるんじゃないかって気がしましてね」
「話せる」
「ええ、話せる。ほらこの歳になってくるとそういうの、感覚的にわかってくるじゃないですか」
「ええまあ」
「で、カブラキさんはそんな気がしたんです。私にとって」

 それで、はいそうですか行きますか、と飲みに行くかというほど、僕はオープンな性格ではない。第一、僕は飲み友達に探しに行ったのではなく、自分の人生における現在地を知るために受診しに行ったのだ。診察に行って飲みに誘われたなど聞いたこともない。それどころか、何でも炎上させたがる昨今では露呈すれば問題にすらなるだろう。でももちろん、僕はそんなことはしなかった。そんなことをして誰が得をするだろう。いや、損得の問題ではないかもしれない。何でも損得で考えるから、きっといろんなことに苛立つのだ。

 診察が終わり、待合室で精算を待つ。まるでカフェのようなその壁に、紺と青で描かれたよくわからない絵が掛けられていた。カラスのようにも見えるし、泣いている赤ちゃんのようにも見えた。窓の外から、子どもたちの元気な声が聞こえてきた。1人が「置いてかないでよー」と叫んでいた。そこでふと、診察室の窓から見えた街路樹の名前を思い出した。

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