見出し画像

いくつかのスイッチについて

 以前から、高田純二のような人になりたいと思っていた。「適当教典」をパラパラめくったこともあるが、適当すぎて笑って数十ページで閉じた。あの人は意図的に適当にしているのだろうか。頭は良さそうな感じを受けるので、おそらくあえて適当な高田純二を演じているのだろう。どうすればあのように振る舞えるのか。その秘訣はいまだに解明できていない。

 どこかの塾か何かのCMで「やる気スイッチ」を謳っていたけれど、あれもなかなかすごい視点だ。いつもふざけて「やる気〜スイッチ 僕のはどこにあるんだろう〜」と歌うことがあるんだが、あのCMのように見つけてくれる人がいるのならぜひお願いしたい。まあそんなスイッチ、押すこと自体は自分次第なのだと思うのだけれど。

 家族と静かなところで静かに過ごしていたい。できるかぎり長い間。そんなことを考えることが増えた。都会に暮らす人間の贅沢なんだろうか。左脳で動き過ぎていて、右脳が働いていない気がする。ひたすらにぼうっとする時間は格段に減った。日々何かの情報に触れ、何かの用事を済ませ、何かのことについて考えている。

 年々、バランスが取れなくなっている。いったい僕は何に疲れているんだろう。いわゆる大企業特有の会社のルール(承認が必要な量といったら信じられないほどだ)? 下の芽を摘む上司の度量の狭さ? そもそも今の業種に対する不満? どれかかもしれないし、そのすべてかもしれない。

 20代から30代中盤までは、馬車馬のように働けていた。制作会社にいたころは徹夜も当たり前だったし、金曜にクライアントの戻しを受けて月曜に返すといったこともままあった。ある会社では女の子が会社のトイレで頭を洗っていたりした。いずれにせよ、仕事が忙しければ忙しいほど充実していた(ような気がしていた)。

 何でもかんでも真面目に向き合い過ぎなのかもしれない。趣味を持て、有酸素運動をしろ、もう少し賢く、適当にやり過ごした方がいいという人たちも多くいる。それはもちろんそうなのだろう。どれもひと通りやってみた。けれど古い木造家屋の天井や壁にじっとりと現れたシミのように、なかなかそううまくは行かないのだ。人間はあんまり容易に変わることはできない生き物なのだなと思う。

 思い起こせば、高校時代のころもそうだった。所属していたサッカー部には顧問・コーチがいなかったので、部長をしていた手前、自分で練習メニューを考え、自分が先頭に立って一番厳しく練習をこなしていた。そうすることでしかチームをまとめられないと思ったからだ。いくらでも手を抜くことはできたはずだと思う。けれどそこでも僕は、変な真面目さを垣間見せていた。

 やる気のスイッチ。適当と真面目のスイッチ。ONとOFFのスイッチ。右脳と左脳のスイッチ。僕たちはロボットじゃないけれど、確かにスイッチが必要だと思う。僕のスイッチは、今のところOFFのままだ。そして誰もそのスイッチをONにしてくれないことはわかっている。結局のところ、それを押せるのは自分でしかないのだ。当たり前のことなのだけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?