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賞味期限

 冷蔵庫を開けると、賞味期限まであと5日のキムチがあった。あったというより、見つけたというほうが正確だ。いつからそこにあったのか、いやいつ買ったのか、思い出すことができない。見つけたのが賞味期限前だったことを考えると、それほど前のことではなかったのだろう。

 そもそもキムチというものは、生活の一部である韓国の人たちのように毎日欠かさず食べれば食べきれなくはないが、きちんと食べ終えるのがわりと大変なものだ。いつもなら残ったキムチと豚肉などを炒めてキムチ炒飯などで片してしまうところだが、蓋を開けてみるといくらか酸っぱい香りがしてまた蓋を閉じて冷蔵庫に仕舞ってしまった。

 冷蔵庫は毎日開けていた。だというのに、キムチの存在は認識されていなかった。すっぽりと、すっかりと抜け落ちていたのだ。キムチは変わらずそこにあったのに。
 考えてみれば、ここのところそういった物忘れが増えてきているような気がした。いつも財布に入ってあるはずの定期券を忘れて改札で捕まったり、会社の入館証を出先の会議室に置いてきて自分のオフィスに入れなくなったりしていた。そういったことが重なっていたから、「若年性じゃない?」と同僚からアルツハイマーの冗談をされていたりした。

 アルツハイマー。アルツハイマー型認知症。それは、自分の祖父がかかった病気だった。物忘れがひどくなり徘徊などもするようになったという祖父が入院したのは、確か小学校の高学年だったと思う。いよいよ手に負えなくなった祖母が、専門の病院に入れたのだ。祖父は祖母の顔は覚えていたが、次第に直近の記憶は薄れるようになり、どんどんと幼稚化していったらしい。

 いつだったか夏休みのころ、そんな祖父に会いに行った。それはあまり楽しい部類の帰省ではなく、お見舞いという子ども心にかすかな影を落としたものだった。
 祖父のいる病院は、例に漏れず病院独特のアルコール臭と老人たちと清潔すぎる匂いがした。看護師たちはみな笑顔で穏やかそうだった。入院している老人たちは誰もがぼうっとしていて、窓の外を見ているか話しかける看護師や見舞いの人たちを無視しているかだった。広間のようなところでは、誰も見ていないテレビでワイドショーが流されていた。

 たくさんいる老人の中から、自分の祖父を見つけ出すのにやけに時間がかかった。老人たちはみな同じような格好なのだ。白髪でやや天然パーマがかかっており、パジャマのような服を着て、車椅子か普通の椅子に座っていた。
 父方の祖父だったので、さすがに父が一番先に祖父を見つけた。父、母、兄、僕の4人で行ったのだが、父と母はいくらか慣れている素振りで、先に祖父の元へ歩いて行った。兄と僕は何かに気圧されるような感じで足取りが重かった。

 父と母は今までと変わらない感じで、祖父と接していた。「元気ね?」とか「ご無沙汰やね」とか言っていたが、両親が話す出身地の方言は東京で暮らしていた自分たちにはほとんど理解できなかった。外国語のように、単語単語で少しわかるものがふわふわと耳に届くと言った感じだった。
 「ほら、あなたたちも」と促され、兄と僕も祖父に挨拶した。祖父は初孫である兄のことはまだ覚えていたが、弟の僕のことは覚えていないようだった。
 「お義父さん、陽ですよ。壮の弟の。覚えているでしょ?」
 母が言ったけれど、祖父は首を傾げただけだった。遠くに住んでいたのでたまの帰省で会うくらいだったけれど、僕は祖父が自分のことを忘れたことがとてもショックだった。バイクに2人乗りしてカブトムシを取りに行ったり、祭りで獲ったお面で祖父をこっそり驚かせようとしたことをフラッシュバックのように思い出した。途端、涙が溢れそうになった。それからというもの、僕はその病院からどうやって帰ったか記憶していない。

 もう一度、冷蔵庫を開ける。そこにはやはり、賞味期限切れ前のキムチがあった。僕は冷蔵庫を開けたまま、それを一気にそのまま食べた。辛かったけれど、そんなことは大した問題ではなかった。最後は白菜などが漬けてあった汁まで飲み干した。口の中が少し痛く、鼻の奥は酸っぱい感じがした。箸を洗い、空になった容器を水で簡単に流してゴミ箱に捨てた。やけに涼しいなと思ったら冷蔵庫がまだ開いたままだった。僕はため息をつきながらそれをゆっくりと閉めた。

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